夜、里との通信のため詰所に向かい、部屋に入ると巻物にチャクラを込める。
現れたカカシ先生は、やけににこにこと笑っていた。
首を傾げれば、先生は口を開く。
「ねえ名前、下賎な者って、何?」
きょとんとすれば、先生は続けて、
「名前がそう言われたって、本当?」
私は、そのことか、と思った。
今日私を呼びに来てくれたのはナルトで、そしてナルトは何やら随分焦っていた。
しきりに謝りながら、ひとまず早く詰所に行ってほしいと懇願してきたのだ。
私は拘りなく首肯した。
「はい、そうです」
言えば先生は笑んだまま動かなくなった。
私は首を傾げて言葉を待ったが、ややあってはっとすると軽く巻物を叩いた。
「いや、通信が可笑しくなったわけじゃないから」
すると言った先生に、私は姿勢を戻す。
先生は読めない視線を私に向けていたかと思うと、ふと聞いてきた。
「ね、名前、今回の任務とはまた別に、今までにも似たようなことを言われたことって、あるのか?」
「似たようなこと、ですか」
「うん」
「うーん・・・・・・不遜な者、とかでしょうか。ああでも、似てはいないですかね」
「いやいや、いいんだよ。そういうこと」
「そうですか?それじゃあ、恥知らずとかもですかね」
「うんうん。とりあえず、帰ってきたらそれらのときの話、全部教えて」
不思議に思いながらも、はいと言えば、先生は息を吐いた。
がしがしと頭を掻くのを見て、もしかして、と首を傾げる。
「カカシ先生、怒ってますか?」
「怒ってないと思う?」
「あの・・・・・・」
「怒ってないと思ってることといい、俺にそれらの話を言わなかったことといい、帰ってきたらもう一度たっぷり教えてあげるから、覚悟しててね、名前」
そう言ってにこりと笑んだカカシ先生の圧が、画面を飛び越えて来た気がして、私は唾を飲んだ。
えっと、と言って頬を掻けば、先生は少しだけ苦笑する。
「今日の報告役はナルトだったでしょ」
「ああ、はい」
「ナルト、昨日のサクラと同じように、何か言いたそうで、それでいて言ってもいいか悩んでいるような顔をしてたから、言ったんだよ。名前とお姫様の話なら昨日、名前から直接聞いたよ、ってね。そしたら、下賎な者だなんてカカシ先生もひどいと思うだろ、なんて言うじゃない」
そう言うとまたため息を吐いたカカシ先生を、私は窺い見た。
「あの、先生」
「ん?」
「私別に、何も思ってないですよ」
「・・・・・・うん、そうだよね」
「だから──」
「でも、俺が嫌なの」
口を噤めば、先生は、俺はさ、と続けた。
「嫌なんだよ。名前がそんなふうに言われるのは」
「・・・・・・」
「名前がそれらを、慣れたように受け取るのが、嫌だ」
「カカシ先生・・・・・・」
「自分のことなら、何をどう言われたって、別に気にならないんだけどね。名前のこととなると、どうにも駄目だな。好きに言わせておけばいい、なんて、思えないんだよ」
「・・・・・・」
「傍にいる連中は全員、名前のことをちゃんと分かってるし、それ以上のことは、俺以外の誰にも教えないとも思ってる。でも、俺の大好きな子のことを悪く言われると、やっぱり苛立たしくて、仕方がなくなる」
そう言って、ふうと息を吐いたカカシ先生は、私に視線を戻すと、そして困ったように微笑った。
「どうして名前は、こんなときに笑うんだろうね」
「・・・・・・」
「俺怒ってるんだけど、分かってる?」
はい、と私は言ったが、湧き上がってくる喜びが抑えきれなくて、やっぱり笑ってしまう。
私は眩しくカカシ先生を見つめると、口を開いた。
「ありがとうございます」
「・・・・・・」
「嬉しいです・・・・・・」
「・・・・・・」
「私、強がりでも何でもなく、本当に気にしてないんです。それにこの先、もし本当に辛いと思うようなことを言われたとしても、絶対に大丈夫。だってカカシ先生や皆が、いてくれるから。悲しいことも辛いことも、全部吹き飛んじゃいます」
「名前・・・・・・」
楽しいことや悲しいことは表裏一体だと、私は思っている。
だけどいつも思うのだ。
これでは幸せな部分の方が勝りすぎている、と。
これでいいのかと思う反面、その幸せを享受したいと思っているのだから、自分は中々に強欲だったのだなと、知らなかった一面に近頃は感心すらしているところだ。
「私は幸せ者です」
「・・・・・・」
「あの・・・・・・カカシ先生」
「ん・・・・・・?」
優しく聞いてくれるカカシ先生に、私ははにかむようにして笑った。
「だ・・・・・・大好き、です。・・・・・・画面越しでも、やっぱりどきどきしちゃいますね」
そう言って頬を掻けば、先生は長い息を吐きながらうなだれた。
えっ、と慌てれば、大丈夫だというように軽く手を挙げる。
「これ、離れてても名前の顔が見れていいって昨日言ったんだけどさ」
「はい」
「やっぱり駄目かも。生殺し感がひどい」
いきなりの話題の転換を不思議に思った私は、カカシ先生が言った言葉にさらに首を傾げたのだった。
「ああもう嫌じゃ!」
ラナ様はそう声を上げると、ベッドにダイブした。
少女にとっては大きすぎるベッドの上で、じたばたと暴れる。
「来る日も来る日も、式典の準備ばっかり。もうよいじゃろう?これを本番当日までやると思うと、気が狂いそうじゃ!」
「お疲れ様です」
「どうして私ばかりがこんなことをしなければならないのだ?私だってもっと遊びたい!」
「確かにラナ様と同じくらいの年齢の子は、まだ自由に遊んでいる子の方が多いでしょうね」
「そうであろう。それに、大人であっても何もしていない者たちがおるのはどういうことなのじゃ?」
「何もしていない?」
「父上や母上やヨウ以外、何も動いてなかったではないか。あのナルトとかいう男も、黙って立っているだけで、何もしておらん。英雄とはとんだ名ばかりじゃ」
「それは違いますよ」
「違う?」
むくりと体を起こしたラナ様に、私は頷く。
「目に見えて動いてないからといって、何もしていないわけではありません。黙って立っているだけのように見えても、周囲に目を配って、警戒しているんですよ」
「そう、なのか?」
「はい。それに、他の人たち──控えていた人や、そもそもあの場にいなかった人たちだって、見えないところできちんと働いています。だからこうして、在位をお祝いする式典を開くことができるんですよ」
「見えないところ・・・・・・」
ラナ様はその言葉を舌の上で転がし、考えているようだった。
やがて私は、ベッドに腰掛けたラナ様の前に膝をつくと、少女を見上げた。
「ラナ様のご苦労は、ラナ様以外、真に分かる者はいません。ですがそれは、誰にとっても同じことであり、そして誰にだって、幸不幸はあると、私は思っています」
「誰にでも・・・・・・?」
「はい。そして幸不幸は表裏一体であるとも。幼いながらに大変な役目や責務があって大変だとは思いますが、辛い分、きっとそれ以上に大きな幸せがありますよ」
ラナ様はしばらく、口を噤んでいた。
やがてぽつりと呟く。
「なあ名前、また空に上がってはくれぬか」
「はい、いつでも」
「今度はもっと、低いところへ行ってくれるか?」
「低いところ?」
「・・・・・・街の様子を、民の顔を、もっと近くで見てみたいのじゃ」
「ラナ様──それなら、街に下りてみましょうか」
ラナ様はぱっと輝いた顔を上げた。
「いいのか?」
「私からご両親にお願いしてみますよ。忍は変化の術というものを使うことができるんです。見た目をまるっきり別人に変えるものですね。それをラナ様にも掛ければ、まず姫だと気づかれることはないでしょう」
「街に、下りれるのか・・・・・・本当に?」
「頼んでみましょう。大丈夫、必ず私が、ラナ様をお守りしますから」
「ラナ様、私の手を離さないでくださいね」
「わ、分かっておる。それが条件だからな」
私はラナ様と二人、街に向かって歩いていた。
街への外出を提案すれば、王も王妃も僅かに不安そうな表情を見せたが、最終的には、式典の準備で忙しく苦労を掛けているから、と言って了承してくれた。
ナルトたちが後押ししてくれたことや、ラナ様が素直に頭を下げたことも、許してくれた要因らしいけれど。
お願いしますと言ってぺこりと頭を下げるラナ様に、二人は驚いた様子で顔を見合わせていた。
「──名前、見えたぞ!早く行こう!」
私たちは駆け出した。
念には念をということで、宮殿とは別の方向から街の中心部に向かって歩いているから、私もここを歩くのは初めてで、先日歩いたときとはまた違う光景が目新しい。
けれどそんな私よりも前からこの国に住んでいるラナ様の方が、見るもの全てが新鮮だというように街を眺めていた。
「すごい・・・・・・人が、いっぱいじゃ」
「はい、活気がありますね」
「もっとあっちに行ってみてもよいか?」
頷けば、ラナ様は跳ね回らんばかりにご機嫌な様子で私の手を引いた。
大通を人の流れに沿って歩く。
ラナ様は両隣の屋台をきょろきょろと見ていた。
「色々な物が売っているんだな」
「そうですね。──ああ、ラナ様、あれ」
「あの模様、王室の。いたるところに飾ってあるぞ」
「今度の式典を楽しみにしているんですね。共にお祝いしたいんです」
「楽しみ、なのか?」
「ラナ様のお父様が王様でよかったと思っているからですね」
言えばラナ様は輝いた目で、いたるところに見える模様を見つめていた。
すると大きな荷を背負う男性とすれ違ったところで、ぎょっとしたラナ様が手を引いてきた。
「今の男は何をしているのじゃ?どうしてあんなに重そうな荷物を抱えている?」
「どうやら作物を運んでいるみたいです。屋台のうちのどこかに届けるんじゃないでしょうか」
「大変そうじゃ・・・・・・あれがあの男の仕事なのか?どうしてあんなに大変な仕事をわざわざする?」
「理由は人それぞれなので、一概には言えませんが・・・・・・彼は好きであの仕事をしているんじゃないでしょうか」
「好きで?」
「はい。重そうにはしていましたが、生き生きともしていましたから。あとは──そうですね、大変な仕事というのは、それだけ対価も高いものなので、そういったことも理由として挙げられるのかもしれません」
「対価・・・・・・なあ名前、私は前に、父上と母上から聞いたことがある。私たちが食べる物にも着る物にも困らず生活できているのは、民から税を徴収しているからだと。あんなに大変な思いをして得た中から、私たちにくれているのか?」
「税は──そうですね、働いて得た中からいくらかを納めます」
ラナ様は口を噤むと、自分の服の袖に目を向けた。
今は民に紛れ込むため質素な装いをしているが、つまりそれは、いつも身に纏っているもののまま街に下りてしまうと、一目で特別な家柄の者だと気づかれてしまうからだ。
「大きな対価を得ているということは、それだけ大変な仕事をしているんだと思いますよ」
言えばラナ様は、はっとして顔を上げた。
私は笑うと、建物の窓から提げられた旗を指差す。
王族の模様が描かれたそれを。
「そして民は、あなたたちを祝福しています」
「・・・・・・私もいつか、父上の跡を継ぐのかな」
「どうでしょう。出会ってまだ数日ですが、ラナ様の意志を尊重してくれるご両親だと思っています。何にしても、きっと夢を応援してくれますよ」
「名前は、親も忍だったのか?」
「はい」
「忍になれ、跡を継げと言われてなったのではないのか?」
私は、はい、と言って笑った。
「なりたくて、なったんですよ」
ラナ様は私の言葉をおうむ返しに呟くと、それからずっと黙したまま、ただ街の様子を眺めていた。
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