ぽかんとする私たちに、ラナ様はむっと唇を尖らせる。
「なんじゃ、聞こえなかったか?」
「ああ──いいえ」
「お前が六代目火影の婚約者で間違いないな?」
私は膝を折って目線の高さを同じくすると、はい、とにっこり笑った。
「名字名前と申します」
挨拶すると、私は首を傾げた。
「どうして婚約を解消しろと?」
「私は六代目火影──カカシ様が好きなのじゃ!お慕いしておる。昔助けてもらったときから、一日たりとも忘れたことはない。カカシ様の嫁になるのはこの私じゃ!」
それに──と、ラナ様はぺちりと私の両頬を挟んだ。
ビンタのつもりだろうかと思えば、しかしラナ様は私の瞳を興味深そうに覗き込む。
「カカシ様の婚約者の女は、時空眼という瞳を持っていると聞いたが、これがそうか?何も特別そうには見えないが」
「──よくご存知ですね」
「ああ、知っている。お前が下賎な者だということもな!」
背後でナルトたちがぎょっとしたように息を呑んだ気配がした。
「そんな者と、天下に名高い六代目火影では釣り合わないにも程があろう」
「おい、お前ってば──」
腕を組みながら得意気に言うラナ様に、私は大きく頷いた。
「分かります!」
目を丸くさせるラナ様に、私はしみじみと言う。
「カカシ先──六代目火影は本当に素敵な方ですよね」
「な、なんだお前、分かるではないか!」
「ええ、分かります。六代目の魅力は皆が知るところとはいえ、私たち、気が合いそうですね」
言ったところで、背後から腕を引っ張られた。
サクラが、ちょっと、と窘めるように言う。
「分かった、じゃないでしょ。名前ったら、自分が今なんて言われたか──」
「ならば婚約解消してくれるじゃろう?」
言葉を遮って聞いてくるラナ様に、サクラはむっと眉根を寄せた。
何か言おうと口を開きかけたところを、サクラ、と静かに呼んで制する。
目で促して頷けば、サクラは不審そうにしながらも譲ってくれた。
私は、ありがとう、と言うと、ラナ様に向き直った。
「確かに私と六代目では釣り合いません。──ですが婚約解消は、しませんよ」
ぽかんと口を開けた少女は、すぐにはっとすると眉を吊り上げる。
「どうしてじゃ!今自分で言ったばかりではないか」
「はい、そうですね」
「なら──」
「ですがだからといって、誰にも譲ってあげるつもりはないんです」
そう言えば、ラナ様はみるみるうちに頬を膨らませていく。
「お前は私たちの護衛に来たのではなかったのか?仕える立場であろう!」
「それとこれとは別の問題です」
ラナ様はさらに頬を膨らませると、怒りが弾けたように地団駄を踏んだ。
そして再び、ずびしと私に指を向ける。
「決めた!私の護衛は、お前がやれ!」
「いいんですか?」
「覚悟しておけ!絶対に、婚約解消すると言わせてやるからな!」
「ふふ、望むところです。これから数日の間ですが、よろしくお願いしますね」
そう言ってにっこり笑えば、ラナ様はさらにじたばたとしてから、来たときよりも騒がしい足音を立てながら駆けていった。
その小さい背中を見送りながら、サイが言った。
「とんだワガママ姫だね」
これにはナルトも、窘めることはなかった。
奇妙な沈黙が流れて、案内人の男性が咳払いする。
「それでは引き続き、ご案内いたします」
再び歩き出しながら、ナルトがぽつりと呟く。
「予想を遙かに超えたお転婆振りだってばよ・・・・・・」
「本当。見た目は可愛いのに。生まれたときはまだお姫様じゃなかったからかしら」
「でも邯鄲の国に来る前も、身の回りの世話をする人はいたっていうから、やっぱり生粋のじゃじゃ馬なんだよ」
三人の会話が可笑しくて、くすくすと笑えば、ナルトがまじまじと私を見た。
「どうしたの、ナルト?」
「なあなあ、名前ってば、言われたのがカカシ先生のことじゃなくて、俺たちのことだったとしても、ああやって言ってくれたか?」
「ナルトたちのこと?」
「絶対ェありえねえ状況だっていうのは分かってるんだけどよ、ほら、俺たちと仲間じゃなくさせられるとか」
見ればサクラもちらちらとこちらを窺っているし、サイもまじまじと私を見ている。
ナルトが自分で言ったとおり、確かに想像しにくいことではあったけれど、私は考えてみると、そして言った。
「うん、言ってたよ」
「──!本当か?」
「駄目です、譲りません、って。うん、言ってた」
言えば、ナルトはまた機嫌良さそうに鼻歌を歌い始め、サクラは腕にくっついてきた。
サイに目を向ければ、にこりと笑まれる。
こんなに喜んでくれるのかと驚きはするけれど、皆が嬉しいと思ってくれる理由は、もう分かるようになった。
だから私も、にっこり笑ったのだった。
「──名前、里への報告をお願い」
その後、王、王妃と、それから宰相の男性と顔を合わせた私たちは護衛対象を正式に決めることとなり、ラナ様が宣言したとおり、私は姫様の護衛に就くことになった。
娘がどうしてもとせがんで、と王様は苦笑混じりだったけれど、断る理由もないし、それに王妃は最近お体の調子が良くないらしい。
どうやら大事ではないらしいが、サクラであれば診て差し上げることもできるから、結果的に一番いい形に収まることができたようだ。
それから夜になり、ご飯もお風呂も終え準備万端といったようににやりと笑ったラナ様は、しかしノックと共に入室してきたサクラに出鼻を挫かれたようだった。
「報告じゃと!?」
「ええ。名前が離れる間は、私があなたの護衛に就きます」
「母上はどうするのじゃ!」
「もう一人、空から観察をしている私たちの仲間が、今だけは地上に降り、王妃の護衛に就いてます」
「むう・・・・・・名前、すぐ戻ってくるのじゃぞ。それから私の魅力について、カカシ様まで報告を上げるよう手配しておくように」
私は笑って、はい、と頷いた。
ルナ様はつまらなそうに、ぼふんとベッドに倒れ込むと、そのままごろごろと動き回る。
退室しようとすれば、サクラがこっそり囁いた。
「報告事項は既に私から報告済みだから、仕事のことは忘れていいわよ」
「──サクラ」
「ごゆっくり」
そう言ってサクラはウインクをした。
背中を押してくれるサクラに、ありがとう、と笑って、用意された詰所へ向かう。
ここには先ほど私が防音になるよう術を施しており、だから里への報告も周囲を気にせずできる。
そして里への報告は、なんと──。
巻物がある部屋へ入室して、扉を閉める。
術が正常に発動していることを改めて確認すると、巻物が開かれたままの卓の前に腰を下ろす。
小物入れで支えるようにして開いた巻物を立たせると、記された印に手を翳し、チャクラを込めた。
ブンという僅かな振動音と共に、巻物がまるでテレビのように光景を映し出してくれる。
「ああ、来たね。や、名前」
「カカシ先生」
そこに映った大好きな人の姿に、私は頬を緩めた。
ひらひらと手を振る先生に、ぺこりと頭を下げる。
「いいね、これ。遠くにいても、名前の顔が見れる」
「はい。技術の進歩は素晴らしいですね」
報告手段は鳥やらサイの術ではなく、これだ。
この巻物を持つ者たちが同じときにチャクラを込めれば、通信できるようになっている。
まだ試作段階で、だから今回の任務では試運転にということで持たされたのだけれど、国を越えてもこの精度なのだから、実用開始もそう遠くないだろう。
「ただ平面なのが、悲しいところだよね。本当に名前に触れられたらいいのに」
そう言ってカカシ先生が手を伸ばす仕草をしたので、私は笑って頭を差し出してみた。
先生は軽く笑うと、よしよし、なんて言いながら頭を撫でるような仕草をしてくれる。
くすくすと笑えば、先生はにこりと笑んで、火影室の机の上で手を組み合わせる。
「聞いたよ、名前。なんでもご指名だったらしいじゃない」
「ああ──はい、ラナ様のことですね。とても可愛らしい方です」
「名前は子供に好かれるからね」
そう言ってくれた先生に、どういったものかと少し考えていれば、先生は首を傾けた。
「何かあったの?サクラも、名前とお姫様の話題になったとき、何か言い辛そうな顔してたけど」
「・・・・・・実は宣戦布告されまして」
ちらりと笑えば、先生は目を開いた。
「宣戦布告?」
「ラナ様は、五年前助けていただいた一人の忍をお慕いしているようですよ。そしてなんと今回、そんな大好きな人の婚約者が姿を現したから、お怒りなんです。婚約解消するがよい、と言われました」
先生は瞬いていたが、そしてくつくつと笑うと、なるほど、と言う。
面白そうな目を向けてきた。
「それで?その婚約者様は、何て返したのかな」
「──駄目です、と」
「・・・・・・」
「譲りません、って、言いました」
「・・・・・・そっか」
「だってカカシ先生のお嫁さんになるのは、今でも恐れ多いけど・・・・・・私、なんですから」
「・・・・・・うん、そうだよ」
先生は目を細めた。
私は今更ながらに少し恥ずかしくなってきて、目を泳がせると苦笑するように笑って頬を掻く。
「少し大人げなかったでしょうか」
「ううん、そんなことないよ」
「・・・・・・」
「すごく嬉しい」
頷けば、画面越し、先生は私を見つめる。
「ね、名前・・・・・・もう一回、言って?」
「・・・・・・カカシ先生のことは、誰にも譲ってあげません」
はにかみながらそう言えば、先生は机の上に突っ伏した。
「はー・・・・・・」
「先生?」
「ああ、もう・・・・・・ねえ、これって録音機能とか録画機能とか、そういうの付いてないの?」
「つ、付いてたら困ります。──付いてないですよね?」
「うん、残念だけど。・・・・・・今度、付けるように言っておこうかな」
「え?すみません、もう一度言ってもらえますか?」
「ううん、何でもないよ」
電波が弱まったのか、声が小さかったのかは分からないけれど、よく聞こえなかったのでそう言えば、しかし先生はにこりと笑った。
「なんだか名前、いつもよりも素直に言ってくれるけど、やっぱり離れてるからかな」
「た、確かに言われてみればそうですね。──うん、カカシ先生の言うとおりかもしれません。いつもはもっと、どきどきしてしまうので・・・・・・」
「・・・・・・ね、帰ってきたらもう一回、言ってくれる?」
「え」
「ね・・・・・・お願い」
「・・・・・・が、頑張ります」
そのときのことを思えば些か速まる鼓動に、目を泳がせながらそう言えば、先生はくすくすと笑って、楽しみにしてるね、と言った。
ラナは、一人不敵に笑いながら木を登っていた。
自室の窓まで迫っている大樹の枝に飛び移ると、そのままよじ登っていく。
何か嫌なことがあったとき、ラナはそうして誰もいないところまで行くのが常だった。
宮殿の付き人たちは、まさか一国の姫がそんな振る舞いをするとは露にも思っていないから、そもそもそんなところを探しに来ない。
だからそこではラナは一人になることができた。
「名前め、うんと叱られるがよい」
そう呟くと、さらに登る。
今回ラナが木を登っている理由は、一人になるためではない。
式典までの間、付き従っている木ノ葉の忍を困らせてやるためだった。
だがそうして付き人に指名し、日夜問わず色々と言葉を浴びせるのだが、名前はにこにこと笑っていて、まるで堪えている様子がない。
ならば──と、ラナは思った。
ラナに何を言われても効果がないのなら、周りの大人たちから叱られてしまえばいい、と。
護衛対象から目を離して、さらには見つけられないのかと叱責を受けてしまえばいい。
そしてラナは、名前が宰相と話している間に作戦を決行したのだった。
「ここまで来ればいいじゃろう」
ラナは今までにないくらい上まで登ると、枝の上に腰掛けた。
弾んだ息を整えると、ふうと息を吐く。
ラナが木によく登る理由は、他にもあった。
それは五年前の思い出──今や木ノ葉隠れの長にまでなった忍に憧れることになった、そのきっかけ。
あのときラナは、慣れ親しんだ場所から、何も知らない場所へと行き、さらにはこれから住み始めるのだと聞いて、嫌で嫌で堪らなかった。
だから休憩のため、止まった輿の中から抜け出すと、傍にあった木に登り始めたのだ。
幼い少女とは思えないほどのスピードで登っていくラナに周囲は呆気に取られていたが、すぐに慌てて声を上げ始めた。
ラナ自身はその場から離れたい一心で、だから気づいていなかったのだが、上へ上へ登るほど、枝は軋み悲鳴を上げていた。
ラナがそれに気づいたのは、足を掛け、全体重を乗せた枝がばきりと折れたときだった。
何が起こったのか分からないまま宙に投げ出されたラナは、そして陽光を透かすような銀色を見た。
何てことないように受け止められて、ラナは両親の腕の中へと戻った。
母親は涙まで流していたが、しかしラナはカカシのことが気になって仕方がなかった。
「あのときのカカシ様はまさに英雄じゃった・・・・・・」
淡い思い出に、ほうと息を吐く。
両頬を包んで浸っていたラナは、しかし脳裏に名前の姿が蘇って、むうと顔を顰めた。
「もう、なんであんな女がカカシ様の婚約者なのじゃ!」
そう言って、ぶんぶんと両腕を振り回したときだった──底が抜ける感覚に、ラナはえっと目を開いた。
枝が折れてしまったのだと分かったときには、もう遅かった。
宙に投げ出される感覚に、ぞっとしたものが体を襲う。
カカシ様──と、声を上げようとしたとき──ラナはその目に柔らかな琥珀色を見た。
自分を横抱きに抱える名前は、ラナに目を向けると、
「大丈夫ですか?」
「って、ば、馬鹿!落ちる!」
いま名前たちは宮殿に背を向けた状態だ。
さらに下まで落ちてしまう、とぎゅっと目を瞑ったラナは、しかし落下が止まって、恐る恐る目を開けた。
きょろきょろと辺りを見回して、呆然と呟いた。
「空の上に・・・・・・立っておる」
名前はいつものように、はい、と言ってにっこりと笑った。
「私の術です。空の上に立つことができるんですよ」
そう言って名前は、たんたんと足を踏み鳴らしてみせた。
「怖くはないですか?」
「ああ・・・・・・高いところは好きじゃ」
まだどこかぽかんとしたままラナが答えれば、名前は楽しそうに笑う。
「それじゃあ、もっと上まで行ってみましょうか?」
「──!行けるのか?」
「ええ。もう少しだけなら、大丈夫でしょう。掴まっていてくださいね」
ぐっと体に力を入れる名前の首元に慌てて手を回せば、名前は何もないように見える宙を、しかし確かに蹴った。
とん、とんと軽く空を駆け上がって、これまた何もないところで着地する。
だがラナの意識はすぐに、そんな魔法のような仕組みから、眼下に見えた街並みへと移った。
「わあっ・・・・・・!!」
宮殿がある山の麓から少し先に行ったところに、邯の国は広がっている。
色とりどりの建物は目に鮮やかで、山々や空との対比が美しかった。
「すごい!こんなに街を一望したのは初めてじゃ!」
「綺麗ですよね。私の仲間も、絵心が疼く街だ、って言ってました」
「当然じゃ!父上が治めている国だぞ」
頷く名前に、ラナはとても満ち足りた気分だった。
名前はラナを腕から下ろすと、手を握って隣に立たせた。
ラナは宙に立ちながら、暫くの間、国を眺めていた。
やがて意識は、隣の忍へと移る。
ラナは握ったままの手に力を込めると、目を逸らして言った。
「・・・・・・よく私がいるところが分かったな」
「ああ──実は私は耳がいいんですよ。だから、誰がどこにいるのか、聞いて探すことができるんです」
「聞く?」
「はい。人間っていうのは意外と皆、それぞれ違った音を持っているものなんですよ」
ラナは首を傾げると、そしてふて腐れたように目を逸らす。
「ヨウと話していて気づいてないと思っていたのに」
「ヨウ──ああ、宰相ですね」
「意外と楽しそうに話しておったではないか」
「楽しそうに、ですか」
名前の声音が僅かに低くなったように思えて、ラナは顔を上げた。
しかしどうやら気のせいだったらしい、名前はいつものような笑顔でラナに言う。
「ですがまあ、ラナ様のことをすぐに見つけられた理由は、何も音を聞いたからだけではないんですよ」
「他にも何か使えるのか?」
「いいえ、そうではなく──六代目から聞いたんです。ラナ様が昔、木に登ったときの話を」
「えっ、カカシ様から!?」
ぱっと顔を輝かせるラナに、名前はにっこり笑って頷いた。
ラナは天にも昇るような気分で両頬を押さえる。
「覚えていてくださったのか・・・・・・」
「可愛い子だったと言っていましたよ」
「ほ、本当か!?」
「ええ。今も可愛らしいですと、しっかり伝えておきました」
全身を包む喜びに、ラナはえへへと頬を緩めた。
名前を見上げると言う。
「やはりカカシ様の妻になるのはこの私じゃな」
「それは駄目です」
「ぐぬぬ・・・・・・強情な。やはり私はお前が嫌いじゃ!」
「私は好きですよ。ラナ様はお可愛らしいです」
「当然じゃ!」
言ってラナは、ふんと顔を逸らす。
見えた眼下の街並みに、名前の手を握り直すと、ぽつりと呟いた。
「だが・・・・・・この術は、気に入った。またしてもよいぞ」
名前はやはり笑って、恐れ入ります、と言った。
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