翌日も村の様子に変化はなかった。
住民たちはカカシらを遠巻きに見やり、対してクラモチは笑顔で出迎える。
屋敷を訪れ、クラモチが妻だと言う女がいる部屋に来たが、彼女は眠っているらしく反応がない。
そうそう都合良くいかないか、と思いながらカカシは軽く壁に背を預けて女が目覚めるのを待った。
──予想よりも早く、そのときは来た。
衣擦れの音がして、女がゆっくりと上体を起こすのが見える。
カカシは近寄ると、静かに声を掛ける。
「起きられましたか」
「あなたは・・・・・・」
「木ノ葉の者です。昨日のことを、覚えていますか」
「昨日・・・・・・」
思い起こしているのだろう沈黙が流れる。
ややあって女は言った。
「私はあなたに、ここから去れと・・・・・・?」
「ええ」
「・・・・・・いきなりそんなことを言われても頷けない気持ちも分かります。ですがどうか、信じてください。この村から離れて」
それに──と女は遠慮がちに続けて、
「一つ、お願いが」
「お願い?」
「はい。この村に暮らす方々も連れて、離れて欲しいんです。抵抗されるかとは思いますが・・・・・・お願いします」
「抵抗、ですか。どうやらあなたはこの村の事情に何か明るいようだ」
「・・・・・・」
「教えては、いただけませんか」
「・・・・・・彼らはクラモチに、騙されているんです。不老不死や、死者の蘇生を叶えるといった口車に乗せられている」
「不老不死や、死者の蘇生・・・・・・」
カカシは怪訝そうに眉を顰める。
「住民たちは全員それを、信じていると?」
「クラモチがそれを体現してるので、信じてしまうんです」
「体現・・・・・・?」
「クラモチは現状、不老不死といって差し支えない。事実奴はもう何十年も生き、歳を取っていないんです」
目を開くカカシに、女は苦々しげに言う。
「騙すというのは、不老不死や死者の蘇生ができると偽っているということではありません。それは確かにできるんです。ただ奴は、それらを彼らに施す気なんてさらさらない。だというのにクラモチは甘い言葉で誘惑し、彼らを自分の手駒にしている」
「だから村人たちはクラモチに従い、また自らが一番気に入られようと躍起になっている。その奇跡を、施されたいがために」
「はい──ごほっ!だからどうか、彼らの救出を」
咳き込む女に、カカシは身を乗り出した。
「あなたは。あなたは本当に、クラモチの妻なんですか」
女は肩で息をしながらも、妻、と呆気に取られたように呟く。
「奴が、そう?」
「ええ。ということはやはり、違うんですね」
「はい」
「ではあなたの救出も、必要でしょう。この結界の解除の仕方も、すぐに調べて──」
「いいえ。それには及びません」
「・・・・・・なんですって?」
「ここにいるのは私の意志。私は望んでここにいるんです」
どうか──と、女は言った。
「どうか任せてくれませんか。私、頑張りますから」
「私、頑張りますね」
そのとき脳裏を何かがよぎって、起こる目眩と耳鳴りにカカシは額を押さえた。
(今のは・・・・・・)
目眩が治まってきて、カカシは御簾の向こうに目を向ける。
女はまた、深い眠りの中に落ちていっていた。
──誰かが泣いている。
──ぼんやりと、長い琥珀色の髪の毛が見える。
その人影が、カカシに気づいたように振り返った。
顔が見えない。
靄がかかっているようで、晴れないそれにカカシは歯噛みする。
だがその人影が──女が、頬を涙が伝っているというのに笑うのが見えた。
「私、頑張りますね」
カカシは、はっとして飛び起きた。
見張り役のサイが驚いたようにカカシを見る。
どうしたのかと気遣う様子を見せるサイに、カカシは大丈夫だと手を挙げた。
額に手を当て、眉根を寄せながら、消えかかってしまいそうなその痕跡を必死で手繰り寄せる。
──離してはいけないと、本能が告げていた。
その後、再び眠る気分になど到底なれず、カカシは陽が昇るのを待つと、再び屋敷を訪れた。
やがて目覚めた女は、昨日と同じことを言う。
住民を連れて、この村から去ってくれ──と。
「村人たちを避難させる準備は、着々と進めていますよ」
カカシがそう言えば、女はほっと息を吐いた。
「そうですか・・・・・・ありがとうございます」
「それに、あなたを救出する準備も」
「・・・・・・その必要はありません。私は──」
「自分の意志で、ここにいる。でしょう?」
「はい」
「ですがそれは、村人たちもまた同じだ。彼らも、自ら望んでここにいる」
「・・・・・・それは」
「それでもあなたが、彼らをこの村から離そうとするのは、ここにいれば彼らにとって良くない何かが起こるからでしょう。そしてそれもまた、あなたと同じだ」
「・・・・・・」
「あなたは昨日、言いましたね。自分に任せてくれ、頑張るから、と。一人でクラモチに対抗しようと考えているんではないですか」
女は暫く黙っていた。
やがて、優しく微笑う気配がする。
意外な反応にカカシは瞬いた。
「何か?」
「いえ、ただ──あなたは、優しいですね」
「──は、いつでも優しいですね」
それは──と言い差して、カカシは頭を押さえた。
自分は何を言おうとした。
優しいと言われて、それはそちらの方だと言おうとした。
──なぜ?なぜそう思う。
どうして、この女がひどく優しいことを知っている。
それに自分は名前を呼ぼうとした。
誰かの名前──この女の名前だ。
なぜ知っている。
なぜ──名前が出てこない。
女が咳き込む。
御簾が、結界が、ひどく忌々しいと、カカシは思った。
野営地に戻ったカカシたちは、そこにいる第七班の仲間を認めて驚いた。
「サ、サスケ君!?どうしてここに」
「俺が行った南の村で会ったんだ」
「偶然、じゃないな」
カカシの言葉にサスケは、ああ、と言う。
「先日夜空を走ったチャクラの帯が気にかかり、その方角へ向かっていた。そして数個目の村で、オビトに会ったんだ」
「サスケが持つ情報とも突き合わせてみたが、間違いない。あの集落にいる住民たちは、元々は別の場所で暮らしていた者たちだ」
言ってオビトはポーチから一枚の写真を取り出す。
それは家族写真のようだった。
その中に写る一人の少女を見たナルトが、あ、と声を上げる。
「こいつ、村で見たってばよ」
「元々は南の村の住人だったらしい。土砂崩れにより家族を亡くした後、姿が見えなくなったため心配している、見つけたらどうか教えて欲しいと、村長から写真を預かった」
「俺がここへ来る前に立ち寄ったいくつかの村々でも、失踪者が数人出ていた。そしてそいつらは皆、教祖様の話を口にしていたらしい」
「さっき里からも連絡があって、里を襲撃した連中は全員、いずれかの里の抜け忍だったと確認が取れたようです」
サイの言葉に、サクラがカカシを見る。
「これでカカシ先生が言っていた彼女の証言との整合性も取れましたね」
「騙して引き込んで、手駒にして。また里を、襲うつもりなのかってばよ」
「そこはまだ分からない。が、真の目的は恐らくチャクラの奪取だ」
木ノ葉襲撃の際、街中でチャクラの塊のようなものが爆発し、また敵たちからチャクラが抜け出たことから、敵の首謀者は、チャクラそのものを巧みに操るような術を使うだろうということで結論は出ていた。
「奪取したチャクラは攻撃にも使われるが、恐らくクラモチ──いや、フヒト自身にも吸収されている。そうすれば彼女が言った、もう何十年も歳を取っていないということにも説明がつく」
「人から奪い取ったもんで、生き長らえてんのか・・・・・・」
ナルトの手がぎりと握りしめられる。
カカシはそんなナルトに目を向けると、
「ナルト、お前が屋敷の大広間で感じた、チャクラが混ざり合い反発し合うような何かというのは、フヒトがこれまでに人々から奪ったチャクラの残滓の可能性がある」
「それじゃあ儀式の間っていうのは、行う大切なことっていうのは、人々からのチャクラの奪取・・・・・・フヒトはあの部屋の中から、いくつもの人々の命を奪ってきたのね」
ナルトは拳を鳴らした。
「決まりだ。突入するってばよ」
「待て、ナルト。彼女を繋ぎ留めるため施された結界の解除方法がまだ判明していない。まずは彼女と、そして村人のうち一般人の避難を完了させる必要がある」
「そんなに厄介な結界なのか」
オビトの問いに、カカシは、ああ、と眉根を寄せる。
「恐らくはフヒトが使う特殊な術が組み込まれた結界だ。込められているチャクラの量が、尋常じゃない」
「あとは里を襲撃した者たちが全員死亡し、言質が取れていないことも気になる。明日、住民の中から忍を一人連れ帰るぞ。俺の幻術で吐かせる」
言ったサスケに、オビトが、俺のでもいい、と笑う。
「幻術・・・・・・幻術か〜」
「どうしたんだい、ナルト。残念だけど、ナルトみたいな単純馬鹿には、幻術は不向きだと思うよ」
「って、サイーっ!誰が単純馬鹿だってぇ!?」
ひとしきり怒ったナルトは、ふん、と腕を組んだ。
「俺はただ、幻術といえば、最近なんだか幻術が掛けられたときみてえに頭がぐらぐらするときがあるなーって思っただけで」
「やだナルト、あんたも?」
「ってことは、サクラちゃんも?」
「カカシ先生もよね。そうでしょ?」
問いかけられて、カカシは少し目を丸くさせる。
「気づいてないと思ったんですか?ていうかカカシ先生については、里にいたときから調子が悪かったじゃないですか。私たちそれで話し合いを──」
サクラは言い差すと、頭を押さえる。
サスケが怪訝そうに、
「どうした」
「あ、ううん。カカシ先生の容態について、皆で話し合った気がするんだけど・・・・・・よく思い出せなくて」
「・・・・・・なんかまた気持ち悪くなってきたってばよ。すげー心臓がどきどきする」
僅かな呻き声に、サスケはオビトを振り返る。
同じような様子のオビトに、目を開いた。
そんなナルトたちの様子を、カカシが眉根を寄せながら見ていた。
20200307