「いつにもまして不細工な顔ね、でこでこちゃん」
会議の後、早々と会議室を出ていった名前を追いかけて風影邸を出たサクラは、広がる雑踏を見回した。
しかし目当ての人影を見つけられず、肩を落とす。
すると背後から掛けられた声に、サクラは振り返ると唇を尖らせる。
「何よ。あんただって――」
軽口を返そうとして、しかしサクラは口を噤むと俯いた。
「なんなのよ、ったく。張り合いないわね」
いのは溜息を吐くと、近寄ってきてサクラの顔を覗き込んだ。
「名前と喧嘩でもしたの?さっき、私が買出しから戻ったときのあの部屋の空気、いま思い出しても気まずくなるわ」
「喧嘩、っていうか」
歯切れの悪いサクラに、いのは、まあ、と言う。
「あの子は誰かと喧嘩する、っていうタイプじゃないもんね」
「うん。名前はすごく、優しいから。でもなんていうか芯が強くて、譲れない何かが名前の中にはきっとあって、そしてその何かを、私は受け入れられないの」
サクラは眉根を寄せると胸元で手を握り締めた。
「私、間違ってるのかな。名前に自分のことを大切にして、って言うのは、そんなに可笑しいこと?」
「サクラ――」
いのは目を開くと、やがて力を込めて言った。
「そんなわけないじゃない。悪者だったらともかく、名前は良い子なんだから。そりゃあ最初は素性が分からないこともあって怪しまれてたって聞いたけど、いまはそんなこと、まったくないんでしょ?」
「うん……」
「だったら、心配して当然よ。サクラも名前も分かってないわね」
「分かってない?」
「そうよ。愛はとても大事なんだから」
サクラはぽかんとして、そして噴き出した。
「愛って」
「まあ、この場合の愛は友愛だけどね」
笑い合ったところで、邸から出てきた人影が二人を認めると寄ってきた。
「浮かない顔をしていたが、もう大丈夫のようだな」
「サスケ君――」
サクラは僅かに目を開くと、やがて微笑んだ。
「うん、私は大丈夫。ありがとう」
するとサスケの背後から姿を現したナルトが辺りを見回して、首を傾げる。
「あれ、名前ってばサクラちゃんたちと一緒にいたんじゃなかったのか」
その言葉に、サクラが再び肩を落とす。
いのが睨みつけるようにしてナルトを見た。
「あっ、たくもう、馬鹿。ナルトって、英雄になってもそういうデリカシーないところはまったく変わってないわよね」
「でえーっ!?な、なんで俺ってば怒られてるんだってばよ。俺はただ、我愛羅が名前を探してたから――」
「え、そうなの?」
いのは目を丸くすると、そうしてにやりと笑う。
「ねえ、ナルトはこの間、冗談だって言ってたけど、あながち間違いじゃないんじゃない?春が来た、って話」
「だろ?だろ?俺も実はそうなんじゃないかって思い始めてるとこなんだってばよ」
「あーあ、いいなあ。私もサイに会いたい。ちょっとナルト。サスケ君はいいけど、どうして第七班の任務に参加してるのがサイじゃなくてあんたなのよ」
「いやいや、第七班に先にいたのは俺の方だし、だからサイの方が後輩だし、ってかなんでサスケはいいんだよ!」
「そんなの当然でしょ」
言って、いのは邸から出てきた人影を見るとにやりと笑う。
「いいわね、あんたたちは」
その言葉にシカマルは面倒臭そうに――事実、そう言った――頭を掻き、隣のテマリは頬を赤く染めるとそっぽを向いた。
さらにやってきたチョウジが、いのを諭す。
「意地悪言っちゃ駄目だよ、いの。今回の任務地はたまたま砂隠れの里だったけど、シカマルたちだって里が違って、そう頻繁に会えるわけじゃないんだから」
「分かってるわよ、チョウジ。相手が雲隠れのあんたに言われると、何も言えないわね」
いのは溜息を吐くと、肩を竦めた。
風影邸の屋上から、私は地上を眺めていた。
眼下では、邸の門前でナルトたちが何事かを楽しそうに話している。
……良かった。
温かいその光景を見て、私は心の底からそう思った。
目を細めて、頬を緩める。
私の記憶をなくした皆と接することは、身を切られるほどに辛いけれど、それでもやっぱり同じくらい、いやそれ以上に嬉しくて、幸せなんだ。
私はみんなと深く関わることを避け、本当におこがましくもサクラからの気持ちを受け取らなかったけれど、それでもずっと会いたかった。
そして幸せそうなみんなを見れば、私も心の底から思うんだ、幸せだ、と。
絶対に――と、私は握りしめた手に力を込める。
絶対にこの幸せを、壊させやしない。
思ったところで背後に気配を感じて、私は弾かれるように振り返った。
その名を呼びそうになって、なんとか止まる。
「……風影様」
我愛羅は傍まで寄ってくると、眼下のナルトたちを見やり、そして私に向き直った。
「お前は、砂隠れの里の忍ではなかったと言ったな」
「えっと、はい」
「では木ノ葉隠れの里と、何か繋がりがあったのか?」
「……どうして、そう?」
やはり私の記憶の欠片が戻っているのかと、息を詰めて言葉の先を待てば、我愛羅は真っすぐに私を見詰めた。
「お前はとても優しい目で、ナルトたちのことを見る」
私は、え、とぽかんとした。
「お前とナルトたちは、まだ会って間もないと聞いたが、ナルトたちに向ける眼差しは数日関わっただけの者たちに向けるそれではない。だから昔、何か繋がりがあったのではないかと思ったのだが」
私はやがて息を吐くと、そういうことか、と内心で呟き苦笑した。
そっか――いままでは、皆の物語を見てにやけることについては隠すよう努めていたけれど、いまはそれだけじゃなくて、皆に抱いてる想いについても隠すよう努めなきゃいけないんだな。
まあ必ず隠さなきゃいけないわけではないかもしれないけれど、理由を聞かれたときに、上手く誤魔化せる自信があまりないから。
「みんなとは、会ったばかりですよ」
「……そうなのか?」
「はい。――でも、みんなはとても素敵だから。だから、たとえ過ごした時間が短くとも、みんなに惹かれてしまって」
言った言葉は真実だ。
たとえ私と皆との間に、本当に思い出がなかったとしても、私は必ず皆に惹かれ、その物語を応援していただろう。
私は、それに、と笑う。
「皆のあの幸せそうな様子を見ていると、思わずこちらまで笑っちゃうんです。幸せを分けてもらったみたい、というか」
我愛羅は、ああ、と納得したような声を上げて、眼下に視線を向けた。
「確かにナルトたちは最近、さらに幸せそうにしている」
「恋情もまた、とても素敵なものですもんね」
言って、好ましい気持ちで皆を見詰めていた私は、我愛羅から注がれる視線に気がつき顔を上げた。
その目がどこか必死な色をしていて、私は戸惑う。
「あの、風影様?どうかしましたか?」
「……お前は」
「はい」
「今の口振りからするとお前は、恋情というものを知っているのか?」
私は目を見開いた。
「俺はお前を――愛している」
いつかの我愛羅の言葉が脳裏に響く。
「人として、女として――名前のすべてを愛している」
私は堪らず我愛羅に背を向けた。
我愛羅が戸惑ったように私の名前を呼ぶ。
私は、すみません、とだけ言うと唇を噛みしめた。
ともすれば涙が出てしまいそうで、地面を睨みつける。
私は何度か震えた呼吸を繰り返すと、やがて口を開いた。
「はい」
――大丈夫、震えてない。
「知っていますよ」
私は我愛羅を振り返ると、微笑って言った。
「忘れることなんて、できないんです」
それは――と、私は胸に手を当てると目を伏せた。
「これから先、ずっと幸せに生きていけるくらい、あたたかくて、素敵で――とても大切なものだから」
我愛羅は僅かに目を見開いた。
幸せに――と呟いたかと思えば、小さく呻いて頭を押さえる。
「風影様?大丈夫ですか?」
「ああ……問題ない」
「ですが……」
「最近よくあるんだ。前は確か――」
言い掛けて、我愛羅は僅かに瞠目した。
首を傾げれば、我愛羅は、いや、と首を振る。
「俺は、そうした感情を抱くことには向いていないのかもしれない」
私は目を丸くさせた。
そしてどこか寂しい気持ちで微笑う。
「どうしてですか?」
「頭痛が起こるのは、決まってそうした話になった時だ。だから自分でも気づかぬうちに、拒否でもしているのかもしれない」
「そうした話、ですか」
「ああ。前は確か、上役の紹介で見合いをした時だっただろうか」
「見合い――」
呟くと、それきり絶句した私に、我愛羅は目を丸くした。
「そんなに驚いてどうしたんだ、いったい」
私は慌てて首を横に振る。
「いえ、ごめんなさい。――そうですよね。風影様なら、お見合いくらい、しますよね」
「大名や、上役たちの紹介が多いんだ」
私は再び、そうですよね、と言うと、夕日に目を向けた我愛羅の横顔を見詰めた。
駄目だ――と手を握りしめる。
私はもう、我愛羅の隣に立つことはできない。
ならせめて、応援したい。
私が我愛羅の幸せを心から願っていることは、確かに事実なのだから。
「いいと、思います」
「いい?」
私は、はい、と笑ってみせる。
「恋をするのは素敵なことです。もちろん無理にでもした方がいいとは言いませんし、友愛や親愛もまた素敵なものですけど」
「そう……だな。そうなのだろうな」
確かに――と我愛羅はどこか遠くを眺める。
「見合いをした相手たちは皆、綺麗な着物に身を包み、所作もまた綺麗で、そして優しかった。孤独や闇になど触れたことがないというように穏やかで――いや、実際、そうした世界の混沌になど触れたことがないのだろう。そしてそうした者たちと過ごす時間はきっと、同じく穏やかなものになるのだろうとも思った」
「……そうですか」
震えないよう、激情に流されてしまわないよう握り締めた自分の手が痛い。
けれどそれ以上に胸が痛かった。
「――だが」
顔を上げれば、我愛羅は首を横に振った。
「抱く思いはそれだけだ。それどころか、そうしたときには最近必ず頭痛が起こる。だから俺には持ち合わせていない、向いていない感情なのかと思っていた」
言うと我愛羅は私を振り返る。
どこか緊張した思いで見返せば、我愛羅は言った。
「だが先程お前は言ったな。その感情はとてもあたたかく素敵で、大切なものだと」
はい、と言えば、我愛羅は視界に手を翳した。
そしてぽつりと呟く。
「俺はそれを、その感情を、確かに知っているような気がするんだ」
私は目を見開いた。
「何故なのかは分からない。思い当たる何かもない。だが思い出そうとすれば懐かしく、気のせいだと無視することなど到底できない。俺は確かに――」
言い掛けて、我愛羅はぎょっとした。
駆け寄ってくると、気遣う眼差しを私に向ける。
「いったいどうしたんだ。何故――泣いている」
「――すみません」
まるで止まってくれない涙に、私は唇を噛みしめる。
首を振ると、笑ってみせたが、涙は止まらないままだ。
「ごめんなさい、何でもないんです。大丈夫です」
「何でもないはずないだろう。俺が、何かしてしまったのだろうか」
「いいえ、違うんです」
また首を振れば、我愛羅は困り果てたような顔をした。
そして戸惑いがちに、私の頬に――頬を伝う涙に手を伸ばす。
「泣かないでくれ」
「――風影様」
「自分でも、何故なのかは分からない。だが――お前の涙は、ひどく胸に痛いんだ」
私は目を見開いた。
さらに涙が溢れてきて、我愛羅が慌てる。
大丈夫です、と私は言ったが、伸ばされるあたたかな手を振り払うことはできなかった。
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