最近私は、わざと任務の数を増やしていた。
もちろん常日頃から里の力になりたいとは思っていたから、他の人たちと比べるとその数は前から多かったけれど、体を壊しては元も子もないので、無理にはならないよう程度には気をつけていた。
そんな私が最近こなしている任務の量は今までの比じゃない。
自分から望んだ。
任務のことで頭の中をいっぱいにして、他のことを考える暇もないようにしたかった。
また私は、とある場所を避けたーー木ノ葉病院である。
任務で怪我を負っても、自分で治療をした。
私は医療忍術は使えないから、気休め程度にチャクラを送って、包帯を巻いて。
今日も、昼過ぎに任務が終わった私は、報告書は自分が作るからと言って、隊の人たちを病院やら自宅やらへと送り出した。
待機所へ入ると、人気のないそこに息を吐く。
窓の外から聞こえてくる昼下がりの賑わいと比べると、ここは寂しいくらいに静かだったけれど、いまはそれに安堵した。
ただ落ち着いてもいられない。
時間や心に余裕ができるとすぐに頭の中に浮かんできてしまうことが、いまの私にはあるからだ。
軽く頭を振って、報告書を書こうと用紙を手に取る。
数時間後にはまた別の任務を入れているため集中しなければ間に合わない。
気を引き締め直したところで、入口のほうから微かな物音がして私は振り返った。
そして思わずぎくりと体を揺らす。
いま会いたくない人の上位五人には確実に入るであろう人物が、そこには立っていたから。
「シーーシカマル」
シカマルは、よう、と軽く言うと、口許に小さな笑みを浮かべたままこちらへと来る。
「久しぶりだな、名前」
「そ、そうかな」
「まあここ数日で、ほとんどの同期と会ったから、余計にそう思えるっていうのもあるけどよ」
「ほとんどの同期と……そうだよね」
呟けば、シカマルは何も言わずにただ私を見た。
沈黙が流れて、くわえてそれに何やら嫌な予感がした私は、努めて明るく声を上げた。
「ごめんシカマル、せっかく久しぶりに会えたから、もっとゆっくりーーそう、話でもしたいんだけれど、報告書があるから」
「嘘だな」
言われて私は、え、と呆気に取られて声を漏らす。
戸惑いながら自分の手にある用紙を見せた。
「う、嘘じゃないよ?」
「報告書云々じゃなくて、俺とゆっくり話でもしたいってとこだよ」
息を呑む私に、シカマルは苦笑したように笑う。
「お前は素直な奴なんだから、嘘吐いたってすぐ分かるぜ」
私は何も言えなくて、視線を彷徨わせるとやがて俯き、ごめん、と詫びた。
そして、でも、と顔を上げると慌てて言う。
「確かにシカマルたちと会うのを避けてたし、さっきの言葉はどちらかと言えば……うん、ごめん、嘘だった。けれどシカマルたちのことが嫌になったとか、そういうわけじゃなくて……シカマルたちは変わらず素敵だよ」
「俺が素敵かどうかはさて置き……分かってる」
目を瞠る私に、シカマルは真摯な眼差しを向けてきた。
「お前が同期をーー特に俺たち第十班と、第八班を避けてる理由はな」
口を噤めば、シカマルは一歩を私に向かって踏み出した。
思わずじりじりと後ずされば、シカマルは私の足許に目をやってから口を開く。
「それに、病院を避けてる理由も分かってる」
「シ、シカマル」
「名前、俺はお前を、迎えに来たんだ」
目を見開けば、シカマルは真っ直ぐに私を見つめた。
「アスマと紅先生が、お前を待ってる」
その言葉に、胸が締めつけられるような思いだった。
俯き、唇を噛みしめる。
「同期の連中は全員来た。それ以外の奴らも大勢な。……お前だけが来てねえ」
「ーーシカマル」
「他の誰でもねえ、名前、お前のことを、二人は待ってんだ」
「シカマル、私はーー」
「お前にこそ、会わせてえんだ。アスマと紅先生の」
「私は行けない……!」
言いかけたシカマルの言葉を遮って、私は思わず声を上げていた。
シカマルが口を閉ざして、私は我に返る。
視線を落とせば、手の中の用紙が握りしめられ皺を作っていた。
私は小さく、ごめん、と呟く。
「でも……行けないよ、シカマル」
私は泣きたい気分で、下手くそに笑った。
「アスマ先生と紅先生の赤ちゃんには、会えない」
ーー私は昔から、アスマ先生と紅先生、二人の物語が好きだった。
もちろん他の人たちの物語も同じように好きだったけれど、二人の関係は、私がまだ下忍だった頃からすでにできあがっていたものだったから、思い入れが深いのだ。
そんな二人が時を重ね、家族となり、新しい命を授かった。
それがどれほど、嬉しいことかーーそう、嬉しすぎて、感無量で、きっと私は気絶する。
下手をすれば心拍数の急激な上昇によって死ぬだろう。
そんなことをしては幸せ真っ只中の場面に水を差すどころの話じゃない。
だから私は必死で自制して、紅先生が入院中の病院や、もうお祝いに行ったであろうシカマルたちのことを避けていたのだ。
シカマルは眉根を寄せると、焦れたようにまた一歩を踏み出す。
「お前は、アスマと紅先生、二人の幸せを望み、危険を承知で、暁に身を置きながらアスマを助けた。そんなお前が、いまの二人に会いたくないはずがねえ」
「うん……会いたいよ。すごく、すごく」
「だったら……!」
「でもーー私なんかが、行っちゃいけない。きっと幸せを、壊してしまうから」
ーー気絶によって。
目を見開くと黙り込んだシカマルに、私は眉を下げて笑う。
「それに、この後また別の任務を入れてるから、何にしてもやっぱり行けないよ」
「ーー任務はねえ」
え、と目を丸くする私に、シカマルは続けて言う。
「お前のこの後の任務は、俺が六代目に言って、なくしてもらった。代わりにいのが任務に入る。全員了承済みだ、っつうより、全員が進んでやってくれた」
言葉もない私に、シカマルは、だから、と笑って、私の手から報告用紙を取った。
「報告書を作るのも、後でいい。いまはとにかく、俺と一緒に、病院まで来てくれ」
「シカマル、けれどーー」
「お前があの二人の幸せを壊すなんて、そんなこと、あるはずがねえ」
ぐっと言葉に詰まった私に、シカマルは真剣な表情で口を開く。
「確かにお前は、暁に入ってた。俺たちと戦って、アスマを殺したようにさえ見せかけた時だってあった。けど、それが幸せを望んでのことだったってことは、全員が分かってる。胸を張ってこそすれ、気に病む必要なんてまったくねえんだ」
シカマルが私に手を差し出す。
「行こうぜ、名前」
泣きそうになりながら見上げれば、シカマルは笑った。
「言っただろ。お前を迎えに来たんだ、って」
「ーーアスマ、紅先生、入るぜ。名前も一緒だ」
ああ、というアスマ先生の声と、どうぞ、という紅先生の声が、病室の中から掛けられる。
まるで口から心臓が飛び出そうなくらいに緊張していた私は、シカマルが扉を開けたその向こうーー陽の光に包まれた暖かい空間に、言葉を失った。
ーーそれはあまりに幸せな光景だった。
ベッドの上で体を起こしている紅先生ーーそんな先生の腕には小さな赤ん坊が抱かれている。
アスマ先生は傍の丸椅子に腰を落ち着けていて、ただ座っているだけなのに、まるで二人を守っているように見えた。
そしてそんなすべてを、紗のような光が包んでいる。
放心していた私は、シカマルに手を引かれて、半ばよろけるようにして歩きながら我に返る。
先生たちの前へと来たはいいものの、目のやり場に困って視線を彷徨わせれば、アスマ先生が言った。
「ようやく来てくれたな」
「は、はい。遅くなってしまってすみません」
「あなたを待ってたわ、名前」
「ありがとうございます。それで、あの……おめでとうございます、本当に」
ありがとう、と二人は綺麗に笑った。
すると紅先生が、腕の中に抱いていた赤ちゃんを私に向けて上げて、私はぎょっとする。
「く、紅先生!?」
「抱いてあげて、名前」
私は両の掌を向けて頭を振った。
「とんでもない。そんなーーできません。赤ちゃんを抱いた経験なんてないんです」
「あなたなら、常日頃から何に対しても丁寧だから、安心して任せられるわ」
「キバが抱っこしたいって言ってきた時は、さすがにはらはらしたけどな。名前なら、俺も安心だ」
「で、でも……」
私は言って、二人の赤ちゃんに目を向けた。
生まれたばかりの、無垢な存在。
視界に自分の手を翳せば、指の先が震えていた。
「いいんでしょうか……私が抱いても」
「あなたに抱いて欲しいのよ、名前」
紅先生の言葉に、私は口を閉ざすと、やがて一度強く手を握った。
そして真剣な表情で、紅先生の腕の中の赤ちゃんに手を差し伸べる。
震えそうになる自分を叱咤し、腕の中にしっかりと抱いた。
「ーー名前」
紅先生の驚いたような声に、私は、え、と顔を上げる。
そしてようやく、自分の頬を流れる熱いものに気がついた。
拭おうにも拭えずにいると、小さな声がして私は自身の腕の中に目を向けた。
そこでは赤ちゃんが、紅先生に似た目を丸くしながら不思議そうに私に向かって紅葉のような手を伸ばしている。
「涙がーー」
赤ちゃんに掛かってしまう、と慌てれば、隣から伸びてきた指が私の涙を拭い取った。
顔を上げれば、シカマルがひどく優しい眼差しを私に向けている。
アスマ先生が笑って言った。
「何だかお前ら、夫婦のようだな」
「ええ、家族のようよ」
続いて言った紅先生の言葉に、私は笑う。
次いで、顔が歪んだーー堪えられなかった。
「よかった……二人が幸せになって本当によかったです……!」
ありがとう、と言った紅先生も涙ぐんでいた。
「あなたのおかげよ、名前」
私は泣きながら笑って首を振る。
「私は何も」
「いいや、俺と紅ーーそれにミライの力に、お前はなってくれた。ありがとう」
「ミライーー」
呟いて、私は赤ちゃんに目を向ける。
無垢な瞳で見上げられて、私は笑った。
・
・
・
「ありがとう、シカマル」
病院からの帰り道、夕焼けに染まった里を歩きながら、私はシカマルにそう言った。
「本当は、ずっと行きたくてたまらなかったんだ。見たくて、お祝いをしたかった」
「ああ」
「幸せを壊さずにいられたのは、シカマルが傍に、一緒にいてくれたからだよ。本当にありがとう」
「大したことはしてねえよ」
私は笑うと、空を仰いだ。
「ミライ、か。とても素敵な名前だね」
「ああ。守って、そして、繋いでいく」
「シカマルがミライの先生になるんだよね?」
まあな、と言ったシカマルに、私は微笑う。
「きっとミライは、とても幸せになるね。彼女の幸せを願う素敵な人たちが大勢、ミライの周りにはいるんだから」
言って私は自分の掌を見つめる。
「私も少しでも、力になれたらいいな」
「……だからって、また里を抜けたりすんじゃねーぞ」
うん、と私は目を細める。
「もう抜けない」
「自分を犠牲にすることは全般、駄目だからな」
笑って再び、うん、と頷けば、シカマルは呆れたように頭を掻いた。
「本当に分かってんのかよ……」
「そう言われると」
「おい」
突っ込まれて、私は苦笑するように笑いながら頬を掻く。
「みんなが伝えてくれる思いは嬉しいし、分かったーー少なくとも昔よりはずっと分かっていると思う。みんなの想いの先に、私もいることを。……だけど、そうしたらいままでよりもさらに、みんなに対する想いが強くなった。幸せを、何としてでも守りたいと思うんだよ」
あんなにもーーと私は目を閉じた。
目蓋の裏には先ほどまでの光景が蘇る。
「あんなにも幸せな空間を、味わうとね」
「……名前、お前は、幸せを壊したくねえんだろ」
私は目を丸くさせて、首肯する。
「だったら、自分が犠牲になろうとするな。アスマたちも言ってたように、お前は幸せの力になってる。お前が守りたい幸せの中には、お前自身も入ってる。だから、お前が犠牲になれば、幸せは壊れるぜ」
「シカマルーー」
「ナルトやチョウジ、いのたちがいて、アスマたちがいる。そして名前、お前がいるから、幸せなんだ」
私は目を見開いた。
脳裏に、いつかの自分の言葉が蘇る。
「将来の夢は…誰しもみんなが幸せな世界が、見たい。そして微力でも、手助けが出来るならいくらでもする――。…そんなところです」
私はにっこりと笑った。
「ありがとう、シカマル。とても嬉しい。最高の褒め言葉だよ」
言って夕日に目を向けると、暖かいそれに目を細める。
「暖かかったなぁ、ミライ。家族って素敵だね」
「名前も、誰かと家族になりたいとか思うのか?」
「私?」
私は目を丸くさせると、唸る。
「自分のそういうことは、考えたことがないなぁ」
「まあ、そうだろうな。お前らしいっちゃらしいけどよ」
「それに、いくら私がみんなと同じ輪の中にいると言えど、さすがに私にそういった想いを抱くような変わった人はいないだろうから」
「なるほどな。道のりが遠いことは、とりあえず分かった」
道のり、と私は道の先を眺める。
するとシカマルが笑って、ちげぇよ、と言った。
「いつかお前に、俺がその変な奴でよかった、って言わせられるくらい幸せにできるよう、頑張らねえとな」
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