舞台上の観客 | ナノ
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BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -
目を覚ませば、心配そうな顔の彼が見えた。
彼は安堵の息を吐くと、リツ、と言う。


「体は大丈夫かい?……僕のこと、分かる?」
「あなたはーー」


考えると何か違和感を覚えたけれど、私の口は勝手に動いていた。


「私の……旦那さん」


言えば、彼は再び大きく息を吐く。
彼はどこか寂しげに微笑むと、小さく頷いた。


「覚えていてくれてよかった……夢みたいだよ。また君とこうして話ができて、笑い合えて、触れることができて」
「私も……何だか夢を見ているような気分です」


自分の周りに何か膜が張っているような感覚で、見ているもの、触れているものが果たして現実のものなのかどうか、定かでないのだ。

彼は低く、そうだよね、と呟く。
しかし一転すると、元気づけるように笑ってみせた。


「それは大変だ。水を汲んでくるから、待ってて」


言って彼は、苦笑混じりに辺りを見渡す。
私も倣って見渡せば、ここは小さな洞窟のようだった。
左の先に出口があって、夕焼けに染まった木々が小さく見える。


「君が寝ている間は心配で、傍を離れられなかったんだ。でも目を覚ましたから、急いで行ってくるよ。僕たちの家まではまだ遠いから、この先のためにも、水は必要になるからね」


笑んだ彼は再び、待ってて、と言うと洞窟の外へ駆けていった。
その後ろ姿をぼうっと眺めて、ふと気が付く。
下を向けば、彼の上着が私の下に敷かれていた。


……彼はとても、私のことを気遣ってくれる……。
ーーいや、私じゃない、リツのことをだ。
違う……私は、リツなのか……?


思ったところで、耳がどこか遠くの声を聞き取った。
顔を上げて、洞窟の外を見る。
声は変わらず聞こえてくるが、何を言っているのかまでは聞き取れない。


やっぱりおかしい……。
いつもなら、耳を澄ませば、これくらいの声ならもっとはっきり聞こえるはずなのに。
感覚が、遮断されているとまではいかないけれど……鈍くなっている?


けれど洞窟の中まで聞こえてくるということ、そして一方の語気が荒いことが引っ掛かって、私は立ち上がると静かに出口へと歩いていった。
気配を消して、そっと外を窺い見る。


「お前も本当は、気づいているはずだ」


そして聞こえた声に私は、はっとした。
彼と対峙している男性ーー先ほど私たちを追いかけてきた木の葉の忍のことを見れば、何故だか胸が詰まるような思いがする。


「あの子は名前だ。名字名前。火の国木ノ葉隠れの、忍だよ」


私は息を呑んだ。
対峙する二人を見ていれば、助けなきゃ、という気持ちが胸に起こる。
力になりたいーーと、そう思った。


違う、と彼は声を荒げる。


「彼女はリツだ!僕の妻ーー」
「なら何故、幻術を掛けた」


男の鋭い声に、彼は小さく息を呑んだ。
後ずさるふうを見せた彼に、男は僅かに目を細める。


「奥さんのことは、気の毒に思う……残念だったな」
「やめて、くれ」
「だが奥さんは、とても勇気ある行動をしたんだろう。夫であるお前が、彼女の覚悟から目を逸らしちゃ駄目だ」
「違う!彼女は、死んでなんかいない……!」
「……名前よりも、他の誰よりも……お前が一番、幻術の中に囚われているんだよ」


男は言ったーーどこか寂しげな声だった。


「夢は終わりだ」


構えを取る男を見て、彼もまた拳を握る。
私は何か言おうとして、けれど言葉が出てこなかった。
それがひどくもどかしい。
よろけるように足を踏み出す。


「お前の目を、今から覚ます」


一歩、一歩、踏み出すたびに、体を纏う何かが剥がれていく気がした。
風を掻いてようやっと進んでいたような体が軽くなる。
風を感じる、音が聞こえる、景色が鮮明になっていく。
私は走った。
口を開く。


助けたいーー力になりたい……!



「カカシ先生!!」



私は二人の間へ飛び出したーーカカシ先生を、守るために。
先生に腕を取られて、背へと隠されたけれど、たとえそうでなくても、男の攻撃は私に届いていなかったと思う。
目を見開いた男が、攻撃の手を、止めてくれていたから。


「ーーごめんなさい」


私は言った。


「私は木ノ葉隠れのーー名字名前なんです」


呆然と私たちを見る男の手がだらりと落ちる。
見開かれたままの目から涙が流れるのを見て胸が痛んだ。
男は力をなくしたように地面に膝をつくと、うずくまる。
やがて嗚咽が聞こえてきて、私は手を握りしめた。


振り返ったカカシ先生が、私の顔を見ると小さく息を吐く。
頭を撫でると、優しく背中を押してくれた。

私は色々な意味を込めて、先生にお礼を言う。
男の隣に膝をつくと、今は小さく見えるその背にそっと手を載せた。


「あなたの力になりたいと思います……心の底から」


言って私は、だけど、と眉根を寄せる。


「あなたの愛情を受け取ることはできません。それは、私が手にしていいものじゃないんです」


私は続ける。


「私と彼女ーーリツさんは、きっと似ているところが多くあるんだと思います。どこが似てて、どこが似ていないのかまでは分からないですけど……それでも、同じ一族ですからね。でも、考え方に少しでも似通ったところがあるのなら、リツさんにとって、あなたはとても大切な、並びない存在だったんだと思います」


ぴくりと肩を揺らすと、やがて顔を上げた彼に、私は微笑む。


「特別な愛情で、一人の人と結ばれる……それは大きな決断で、また……とても素敵なことです」


だから、と私は言った。


「どうかリツさんへの愛情は、彼女だけのものにしてあげてください。あなたからの特別な愛情を、きっと、宝物だと思っていたはずですから」


彼はどこか呆然とした顔で、私のことを見詰めていた。
その目に再び涙が浮かんで、彼はくしゃりと顔を歪める。
ーー彼女は、と男は言った。


「彼女は……僕の目の前で死んだんだ」
「ーー!」
「術を使って、僕のことを生き返らせて」
「……そう、だったんですか」


震える声が、胸に痛い。
彼はうずくまると、声を上げて泣き出した。


「生き返った僕は、目の前に倒れている死体がいったい誰なのか、分からなかったんだ……!」


叫ぶような声が、森に響いた。










「カカシ先生!ーー名前!」


それから数分経って、聞こえた声に私は空を振り仰いだ。
墨汁で描かれた鳥から、ナルトとサクラ、それにサイが飛び降りてくる。


「名前、やっと見つけたってばよ!」
「よかった、無事みたいね!」
「カカシ先生が一緒にいるっていうことは、もう幻術は、解けたんだよね?」
「大丈夫だよ、それと……来てくれて、本当にありがとう。ごめんね、相変わらず幻術に弱くて」
「いいのよ、そんなこと」


言ったサクラが、近くの岩に憔悴した様子で座り込んでいる男を、どこか複雑な目で見た。
私に視線を戻して、言う。


「怪我は……やっぱり、ないわよね」
「うん、彼はとても優しくしてくれたから。けれどそれは、私をリツさんだと扱っていたからだけじゃないとーー」


言い差して、私は微かに瞠目した。
ナルトが歩いていくと、彼の前に立ったのだ。


「覚悟は、できてんだよな」


言ったナルトが、けれど、彼のまだどこか虚ろな目を見て言葉に詰まる。
ナルトに声を掛けようとすれば、それよりも先に、カカシ先生が言った。


「やめろ、ナルト」
「ーーカカシ先生」
「彼もまた、負の歴史の被害者なんだ」


その言葉に、ナルトが男に視線を戻す。
カカシ先生は続けて、


「それに、彼にもう敵意はないし、名前にも、彼をどうこうする気はないからね」
「……分かったってばよ」
「あんたにしては、珍しく聞き分けがいいのね」
「まあ俺ってば、名前がそうするだろうってことは、分かってたし」


言うとナルトは、まだどこか複雑そうな顔で、彼に何やら話し掛け始めた。
それを見て小さく笑んだサクラが、同じようにそちらへ向かう。


「私、彼を治療してくるわ。見るかぎり、具合が悪そうだし。……きっと、奥さんの記憶を取り戻してから、物もろくに食べてなかったんだと思う」
「ーーサクラ」
「彼は、悪人ってわけじゃ、ないのよね。カカシ先生の言うとおり、被害者の一人」


言ってサクラは、再び治療してくることを私に告げると駆けていった。
視線を移せば、カカシ先生とサイが何やら話していて、おそらく報告のため伝書を飛ばすのか、サイが巻物を片手にどこかへ歩いていく。
私はそれらを眺めながら、皆へ再度、小さくお礼の言葉を口にした。


わざわざ来させてしまったことが申し訳なく、もっと強くなりたいと思う。
けれどそれ以上に、温かかった、嬉しいと思った。
ーーあの時、自分の記憶が世界から消えてしまっていたら、起こらなかった未来だ。


私は一人目を落とす。


ーー真実を知らないということは、たとえどんなに辛い真実を知ることよりも、辛いこと。
けれど彼は真実をーー失った記憶を取り戻して……。
それに私だって、そうは思いながらも、一度は皆の記憶から姿を消そうとした。
皆に悲しみを、残しなくなかったから。


考え込んでいれば足音が聞こえて、顔を上げる。
そこにはいくらか色を取り戻した顔の男が立っていた。
彼は私に向かって、深々と頭を下げる。


「ーー本当にすまなかった」


私は黙って首を振る。
彼は顔を上げると、それと、と言った。


「どうか礼を、言わせてくれ」
「礼……?」


彼はまだどこか申しわけなさそうに眉を下げながら、けれど晴れ晴れとした顔で笑った。


「妻のーーリツの記憶を取り戻させてくれて、ありがとう」


私は目を見開いた。
かつて自分が、オビトさんに言った言葉が、脳裏で響く。


「私の時空眼を開眼させてくれて…本当に、ありがとうございました」


私は微笑むと、再び首を振った。


「私は何も、していません」
「いや……でもよかったことは他にもあるんだ」
「他、ですか?」
「ああ。自分の手で、彼女を弔ってあげられたことだよ。あの時は、いったい誰なのか分からなかったけど、そのままにしておくことなんて、できなかったからね」
「そうだったんですか……優しいんですね」


彼は微笑った。


「彼女もよく、そう言ってくれてたよ」





戻っていく彼の背中を見詰めて、私は薄く微笑む。
すると名前を呼ばれて、振り返ると私はにっこりと笑いその名を呼んだ。


「カカシ先生」
「元気になったみたいだね。彼を許すと話が決まってからもずっと、何か考えてるふうだったけど」
「先生には何でも見通されることも、私は相変わらずなんですね」


笑い合って、私は目を細めると言う。


「たとえどんな真実だとしても、知ることが幸せなのかどうか、改めて考えていたんです。何が幸せなのか、それは人によっても違うことだし、第一私自身が迷いを抱くこともあります」


ナルトたちと話している彼に目を向ける。


「真実を知ることが幸せでなかった場合、いったい私には何ができるんだろう、とーーそう思っていたら、気づけば幻術に掛かっていました」


でも、と私は言う。


「さっき彼は、私に礼を言ったんです。妻の記憶を取り戻させてくれてありがとうーーって」
「……悲しみがあるから、喜びもある」


私は、はっとするとカカシ先生を見上げた。


「彼にとって、奥さんとの記憶は何よりも大切なものだった。喜びがあれば、それをなくしたことによる悲しみも生まれてしまうけれど……きっとこれから先、記憶を胸に、生きていけるさ」
「ーーはい!」


私はにっこりと笑って頷いた。


カカシ先生は口を閉ざすと、やがて名前、と私を呼ぶ。


「何ですか?先生ーー」


答えかけて、私は目を丸くした。
カカシ先生にきつく抱きしめられて、瞬く。


「カカシ先生……?」


先生は暫く何も言わずに、ただ私の頭に顔をうずめていた。
やがてぽつりと呟く。


「俺さ、これでも最近、色々と考えてたんだよね。悩んでたっていうか」
「何か悩み事があるんですか?」
「うん、まあ……俺は名前と年が離れてるし、とか、だらしないから、とか」
「カカシ先生はまだまだ年じゃありませんよ。それにどんなところだって魅力的です」


先生は少し笑って、そっか、と言った。


「……無理だったんだよね」
「無理、ですか……?」
「ああ。……名前が他の男とくっついてるのを見て、諦めるなんて無理だと思った。ーー堪えられなかった」


え、と目を見開く私に、カカシ先生は言った。


「好きだよ、名前」


驚く私を、先生はさらに抱きすくめる。


「俺のものに、なって欲しい」
「せ、先生、あの……」
「俺は名前に対して、特別な愛情を、抱いてるよ」


言って先生は、少しだけ離れて私を見る。


「嫌?」
「カ、カカシ先生に対して、嫌とかは何もないですけど」
「……うん、名前だったらそうなのかなとは思ってたけど、自惚れじゃなくてよかった」


カカシ先生は、それじゃあ、と言う。


「駄目、か?」


私は言葉に詰まる。
しどろもどろになりながら言った。


「あの、急なことで何とも……それでも思うのは、えっと、私と皆の間に壁はなくて、同じなんだということは教えてもらって分かったんですけれど、それでも私なんかじゃもったいないというかーー」
「はい、そこまで。そういう理由でのお断りなら、聞かないから」


え、と驚く私にかまわず、先生は続ける。


「まあ名前相手にすんなりいくとは思ってないし、何より、実際もう離してあげられないと思うしね」


軽く言って、先生は笑む。


「面倒な奴に好かれちゃって大変だな、名前。ごめんね」
「えっと、そんなことは思ってません」
「今そういうこと言うと、告白への肯定だと勝手に受け取るから、名前にとってはやめておいたほうがいいぞ」


瞬く私に、先生は言う。


「まあ俺、火が付くのは遅いほうなんだけど……こうとなったら早いからな。覚悟しておいてね、名前」


先生は私の左手を取ると、薬指に口づけた。


「いつかここに、誰が見ても、名前が俺のだって分かる、証を贈るよ」
















ーー二週間後。
カカシの火影就任の前祝いをするために集まったナルトら同期たちは、カカシがつくまで、皆思い思いに用意したプレゼントについて話していた。


「名前は結局、何にしたんだ?」
「古今東西の拷問本全集、だよ」
「えっ……名前ってば、カカシ先生と喧嘩でもしたのかってばよ」
「ううん、してないけれど、どうして?」
「だってそのプレゼントのチョイス、どう考えても嫌がらせとしか……」
「え?でもカカシ先生って、いつもこういうような内容の本をーー」


名前が言いかけたところで、お馴染みのどろんという登場の仕方でカカシが場に現れた。
お祝いの言葉を一斉に言われて、瞬くカカシはけれどすぐに嬉しそうに笑った。

するとサクラといのが、名前の背を押し、カカシの前へと立たせる。


「カカシ先生!火影就任、おめでとうございます!」
「これーーっていうかこの子が、私たちからのプレゼントですよ!どうです?」


驚く者が名前の他数名、首を傾げる者が数名、心得たように頷く者が数名ーーそんな中、目を丸くさせていたカカシは、にっこり笑って名前の肩を抱いた。


「いやーありがとう」


思わぬ素直な行動に、サクラは意表を突かれ、いのは楽しげに声を上げる。
カカシは言った。


「嬉しいんだけど……実はもう、貰ってるんだよね」


木ノ葉の里に、叫び声が響いた。




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