ある日の夕刻ーーそろそろ晩ご飯でも作ろうかと、リンさんと二人、台所に立っていると、玄関が開く音がした。
「オビトが帰ってきた!」
嬉しそうに手を合わせて言うリンさんに、胸がいっぱいになって、咳で誤魔化そうと口許を手で覆い掛ける。
けれどその時、玄関へと駆けていくリンさんに腕を取られて、私は驚いた顔のまま引っ張られていった。
「ちょ、ちょっとリンさん」
二人の甘いお出迎えの時間を、私が邪魔するわけには……!
焦るも、既に廊下の先でこちらに気がつき足を止めたオビトさんに、遅かったかと諦める。
ーーもう何度目のことだろう、これは。
毎回こうしてリンさんと共にオビトさんを出迎える度に、私は強く決意するのだ。
次こそは、二人の邪魔をしないぞ!と。
けれど気がつけばいつも、リンさんに腕を取られて引っ張られている。
オビトさんの帰宅を喜ぶリンさんに、感動していることが敗因なのだろうか。
小さく息を吐いた私は、けれど今夜もこうして、リンさんと共にオビトさんを出迎える。
「お帰り、オビト!」
「任務、お疲れさまです」
ーーそして実は、毎回同じ言動を取る人は他にもいる。
毎度オビトさんを出迎えるリンさん、毎度リンさんに引っ張られる私、そしてーー。
「ああ、俺……生きてて、良かった」
毎度堪えきれないといったように床に膝をつくオビトさんだ。
ただオビトさんの場合、今日は床に膝をつくパターンだったが、顔を覆って天を仰ぐパターンの日もあるので、正確に言えば毎回同じ、ではないのかもしれないが。
「うん、私もだよ。本当に、名前ちゃんに感謝だね」
ああ、と頷いたオビトさんが私の頭を撫でる。
三人で居間へと向かった。
オビトさんとリンさんが幸せでいることは、私も、とても嬉しい。
それに生きていることを喜んでもらえれば、二人を生かし、生き返らせた私にとっては、どこかほっとするというものだ。
幸せを願って術を掛けたのは確かだけれど、それでも私は、忍としての覚悟を踏みにじり、生命の時間に干渉してしまったのだから。
「待ってねオビト、今ご飯作るから」
ーーしかし。
「それじゃあ私が野菜を切りますね」
「待て名前。指を切ったらどうするつもりだ。野菜を切るのは俺がやる」
しかし……。
「ふふ。それじゃあオビト、切った野菜は、揚げるから私に回して。今日は天ぷらだよ」
「待て、リン。火傷をしたらどうするつもりだ。野菜を揚げるのは俺がやる」
問題があるのだ。
そもそも私は、オビトさんとリンさんの愛の巣にお邪魔する気など、一切なかったのだ。
だって、どうして私が、やっと幸せになれた二人の邪魔をしたいなんて思う。
だから最初、オビトさんに三人で住もうと言われた時も、私はそれを冗談だと思っていた。
けれどその日はエイプリルフールではないし、本気だと気づいた私が慌てて断るも、オビトさんは断固として考えを変えず、果てには勝手に私の荷物を新居へと運んでいた。
私はオビトさんのことをとても尊敬しているが、正直その時は、色々な感情から絶句した。
とは言っても私は、さすがにリンさんが、オビトさんを止めてくれると思っていた。
リンさんが言い聞かせれば、オビトさんは必ずそれを聞くはずーーまるで主人と犬のように言ってしまったが、大事なことなので二回言う、私はオビトさんのことをとても尊敬している。
そして結果、驚き、困ったことに、リンさんはオビトさんを止めなかった。
それどころか顔を輝かせてその意見に賛成し、私を歓迎してくれた。
……とても、ありがたいと思う。
嬉しくて、あたたかい。
けれど同時に、申し訳なくて堪らない。
これらを含む問題は、すべて一つの事実によって説明がつく。
「それじゃあオビトさん、任務に行ってきます。起こしてしまってすみません、なるべく静かに行動したつもりだったんですけれど……」
「いや、知らぬ間にいなくなっていればリンも心配するからな。そうなればきっと、二人で捜しに行くことになっていたはずだ」
「それは……迷惑をお掛けせずに済んで、良かったです」
複雑な気分で言えば、オビトさんは頷く。
「名前、武器一式は持ったか」
「はい」
「包帯や兵糧丸は」
「持ちました」
「水と薬は持ったか」
「大丈夫です」
「ハンカチとティッシュは」
「えっと……すみません」
謝れば、オビトさんは「待っていろ。リンが昨日用意していたやつがある」と言って居間へと消える。
その背中を見送ってから、私は思わず息を吐いていた。
そう、問題とはーーオビトさんが過保護だということだ。
考えてみれば、私をこの新居に引き入れたのだって、家族がいない私を気遣ってのことだったんだろう。
けれど一人暮らしには幼い頃から慣れている。
ひょっとして、私が昔、家族の記憶を失っていたことにオビトさんは少なからず関わっていたから、そのことを気にしているのかと思って、それについても大丈夫だと伝えたのだけれど……。
戻ってきたオビトさんから荷物を受け取る。
正直言って、この二つを任務中に使った記憶は数えるほどしかないのだけれど、綺麗にアイロンをかけられたハンカチには、不思議と背筋が伸びた。
気が引き締まって、真っすぐにオビトさんを見上げる。
「行ってきます」
返される言葉は、あたたかい。
・
・
・
「それで、どう?二人との暮らしは」
定食屋の端の席、注文を終えるとカカシ先生が言った言葉に、私は微笑んだ。
「とても良くしてもらってます。それにオビトさんとリンさんのことを間近で見守ることができて嬉しいです」
二人の物語を見られることはとても幸せだ。
ただ、近すぎるのだ、自分と二人との距離が。
「それにしては、浮かない顔してるけど」
言われて、私は苦笑するように笑った。
「実を言えば、こうしてカカシ先生に誘ってもらえて感謝してます。……どこかぶらぶらしてから帰ろうと思ってたので」
ーー任務を終えて報告に行けば、カカシ先生は私を食事に誘ってくれた。
今や火影となって忙しい先生との食事は久しぶりで、それ自体がとても嬉しいし、口布の下が見られるかもしれないから楽しみでもあった。
だから一人で適当に時間を潰そうと思っていた私にとって、それはとても魅力的な誘いだったのだ。
先生は卓に肘をついて手を握り合わせると、その甲に顎を載せて少し首を傾ける。
「何か帰りたくない事情があるのか?」
「帰りたくない、とまではいかないんですけど……二人きりにしてあげたくて」
言えばカカシ先生は心得たように、ああ、と僅かに目を見開く。
「そういうこと。確かに名前だったら特に、そう思うだろうね。オビトが養うって言った時なんか、名前、すごい勢いで首振ってたもんね」
「確かにオビトさんの実力だったらどんな任務もこなせると思うし、だから一人増えたところで余裕で養ってくれるとは思うんですけど、それはさすがに私も曲げれなくて……」
「けど考えるに名前は、誰かと住むことが嫌なわけじゃないんだよね?」
「そうですね……邪魔にならないのであれば、確かに、泊まりがけの任務などで皆と過ごすのは楽しいです」
言えば、カカシ先生はにっこりと笑った。
「だったらーー」
その瞬間、定食屋の引き戸が吹っ飛んだ。
何事かと振り返れば、衝撃で舞い上がった埃を含む風の向こうから、オビトさんがゆらりと出でて、私は驚く。
慌てて駆け寄った。
「オビトさん!こんなーーいったいどうしたんですか!?まさかリンさんに何かーー」
言い掛けて私はぽかんとする。
オビトさんの背中から、リンさんがひょいと顔を覗かせた。
「良かったぁ、名前ちゃん。ここにいたんだね」
「リンさん、あの、これはいったいーー」
「名前ちゃんを捜しにきたんだよ。晩ご飯はいらないって聞いてたんだけど、それにしても遅いからって、オビトが」
え、と私は後ろを振り返る。
オビトさんは既に私の横を通り過ぎると、カカシ先生の胸倉を掴み上げていた。
「カカシ、まさか名前をこんな夜中に連れ回している不埒な輩がお前だったとはな」
「夜中って、まだ八時にもなってないじゃないの、オビト」
私が困惑しながらも止めようとすると、先にリンさんが声を上げた。
「オビト!まずお店に迷惑を掛けたことを謝らなきゃ駄目だよ」
カカシ先生を覗いたお店の中の人たちが、固唾を呑んで見つめれば、オビトさんは言った。
「わ、悪かった。リン」
「いやだから、お店の人に謝んなさいよ」
カカシ先生は言うと、呆れた様子でオビトさんの手を解く。
そうして私の隣まで歩いてくると、再びにっこりと笑って肩を組んだ。
「そんなに名前が心配なら、俺が面倒見てあげるよ。それなら心配ないでしょ?」
目を見開いたオビトさんは、わなわなと震えるとやがて声を荒げた。
「カカシ、お前にお義父さんと呼ばれるつもりはないからな……!」
「誰もそこまで言ってないでしょーよ」
150309