それは茶屋の店先の椅子に座っていたときのことだった。
突然、私の周りの視界が回転を始めたのだ。
まるで瞬身のときのようなそれに、けれど何もした覚えのない私は、ただ呆気にとられる。
そのうちに回転は止まった。
視界も元に戻ってーーけれど景色が違う。
それはどこかの部屋のようだった。
「えっ」
呆然としながら声を上げた私は、掌から伝わる感触に何か違和感を感じた。
見下ろして気が付く。
私が今座っているのは、先ほどまでの木製のものではなくて革張りのソファーだ。
事態が呑み込めなくて暫し呆然としていたとき、耳に音が入ってきた。
それは人の足音で、私は我に返るとそちらを見る。
いたって普通の部屋に見えるここには扉があって、音はその向こうから聞こえてくる。
立ち上がって構えをとれば、扉のドアノブが回された。
「名前、今何か物音がーー」
言い差してぽかんとした人物に、私も目を丸くする。
構えていた手を下ろし、私はその名を呼んだ。
「我愛羅……?」
「名前……小さくなっている」
赤い髪と、額に刻まれた愛の文字。
それはどこからどう見ても我愛羅なのだが、おかしいのは、我愛羅が明らかに大人になっていることだった。
私の名を呼んだその声も些か低い。
呆然としたようにやってくる我愛羅を、これまた私も呆然として見上げていた。
すると優しく抱きしめられて目を丸くする。
「我愛羅ーーだよね?突然どうしたの?」
「それはこちらの台詞だ……物音がしたから来てみれば、名前は若返っているし……いったい何があった」
私は首を傾ける。
「我愛羅が成長したんじゃないの?」
「……記憶まで戻っているのか?」
「記憶?ーーはっ!言われてみれば、ここがどこだか分からない」
ここはどこ?
私は誰ーーとはなってないか。
それにあなたは誰ーーいや、我愛羅のこともちゃんと覚えてる。
「こうなる前に自分が何をしていたのか、覚えてないか」
「それははっきり覚えてるよ。ていうか、我愛羅と一緒にいたんだよね?」
「それは合っているが……」
「ただ場所が違うよね。私達は木の葉の茶屋にいたのに」
「木の葉の茶屋……?」
訝しげに呟いた我愛羅はそのまま口を閉ざしてしまった。
私は我愛羅から少し体を離すと見上げ、考え込んでいるような顔に、首を傾げる。
「我愛羅?」
「木の葉の茶屋、小さくなった名前……そうかそういえばこんなことがあったが、このときか」
何やら納得したらしい我愛羅に、私はさらに首を傾ける。
我愛羅は優しく私の頭を撫でると微笑んだ。
「大丈夫だ。名前、お前は記憶を失ったわけではない。ただーー入れ替わってしまったんだ。未来の自分とな」
部屋のソファーに腰かけて、隣にいる我愛羅は言う。
「恐らく過去の俺は今、大人になったお前と話をしている頃だろう。そうした記憶がある」
「それじゃあ私が今いるのは未来で、目の前にいる我愛羅は、未来の我愛羅?」
頷く我愛羅に、私は信じられない気持ちで声を漏らす。
けれど目の前にいる我愛羅は明らかに大人だし、何より我愛羅が嘘をつくこともないだろう。
ーーそれじゃあ我愛羅は、こんなふうに成長するんだ。
思わず笑顔になった私に、我愛羅は首を傾ける。
私は笑って首を振った。
「本当に我愛羅は素敵だなと思って」
目を丸くする我愛羅をよそに、私は感慨深げに頷いた。
「初めて会った頃の我愛羅は可愛かったけど、私がさっきまで喋っていた我愛羅は成長して、強くなってるしクールになってた。大人になった我愛羅は優しいし。やっぱり素敵な人っていうのはどんなときでも、格好良くて、魅力に溢れているものなんだね!」
「……名前は本当に、変わらないな……」
我愛羅の言葉に私は、だろうね、と笑う。
我愛羅がいつの時代も素敵であるように、私も、いつになっても変わらない自信がある。
そりゃあ、強くなるとかそういう成長はしたいけど、素敵な人達に変わりがないのら、私もずっと、皆の物語を楽しんでいることだろう。
「だけどこんなことがあるんだね。過去と未来の私が入れ替わるなんて」
「ああ、それは俺も不思議に思ってはいたがーー」
言って我愛羅は何かに気づいたように息を呑んだ。
眉根を寄せて、低く呟く。
「まさか、時空眼か……?しかしそれなら、名前は時空眼を使って、何かをしようとしていたことになるが……」
「ーー時空眼?」
聞き慣れない言葉に首を傾ける。
すると我愛羅は瞬いて、私を見た。
「聞き覚えがないか」
「写輪眼や白眼なら知ってるけど……」
「……そうか、まだ先だったか」
我愛羅は口を開くと、思いとどまったように閉口した。
言葉の先を待つも、我愛羅は葛藤するように眉根を寄せて、やがてため息を吐く。
「名前、今のお前に言いたいことは山ほどある。だが同時に、それは言うことができない」
「確かにタイムスリップものの映画や本なんかで、違う時空の人とあまり関わってはいけないとあるもんね」
「ああ、俺が過去のお前に何かを言って、未来が変わってしまっては困るからな」
「それじゃあ大人になった我愛羅は、望む未来に進めたんだね」
「道のりは、長かったがな……」
我愛羅が私の頬を撫でた。
ひどく優しい瞳に見つめられる。
「名前、お前はこれから先、自分の信じる道を進め。過去の俺も、それをした。だから幸せな今がある」
私は嬉しくて、にっこり笑うと大きく頷いた。
「ありがとう。ーーでもよかった。我愛羅の未来は、幸せなんだね」
「ああ、周りの者達、そして名前、お前のおかげだ」
私は目を丸くする。
それに答えるように笑みを浮かべて頷く我愛羅に、私は自分の胸を押さえた。
「すごい、私が、我愛羅の幸せに少しでも貢献できたなんて。嬉しい……!」
「少し、なんてものじゃない」
名前、と我愛羅は私を呼んだ。
「俺は人を愛する喜びを知った。そして人に愛される喜びも」
「えっ!?」
私は嬉しさと驚きから思わず声を上げた。
「それを教えてくれたのは名前、お前だ」
「ーーえっ!?」
そしてその二つから、驚きだけが突き抜けて再び声を上げた。
まったく想像のできない未来はあまりにも自分に似つかわしくなくて、また恐れ多い。
「我愛羅、冗談も言うようになったんだね」
言うも、見上げる我愛羅の瞳は真っすぐで、嘘を吐いているそれではない目に私の声は尻すぼみになっていった。
「信じられないか?」
私は困って視線を逸らす。
「我愛羅のことは信じてるけど、その話はあまりにも突飛すぎて」
「……そうだろうな。何しろお前は、自分と周りの人間との間に、隔たりを感じすぎている。だが本当のことだ」
言うと我愛羅は私に顔を近づけ、額に、口付けを落とした。
目を丸くして瞬くしかない私に、我愛羅は微笑む。
「俺はお前を愛している」
ーー我愛羅という素敵な人にこんな言葉を貰っても、私には喜ぶことができない。
だって私は観客だから、こんな言葉を貰う立場にある人間じゃないから。
けれど周りを見回しても、いるのは我愛羅と私の二人だけ。
我愛羅が見つめているのは私。
我愛羅が言葉を送っているのも、また私だ。
素敵な人、素敵な言葉であればあるほど、それは私にとって恐れ多い。
居心地の悪さまで感じてしまう。
未来の私は、本当に我愛羅の気持ちを受け取っているのだろうか。
そしてきちんと返せているのだろうか。
「……分からないなら、それでもいい」
我愛羅が言って、悩みふけっていた私は顔を上げる。
すると今度は目尻のすぐ隣に口付けられて目を閉じた。
「そのたびに、俺が教える」
そして我愛羅は両の目蓋にも唇を落とした。
大切な何かに触れるように、指が優しく目蓋を撫でる。
「名前は自分のことを蔑ろにし過ぎるが、どうか分かってくれ」
顔が離れた気配を感じて私はそうっと目を開く。
我愛羅は私の右手を取ると甲に口付けた。
「お前は十分に、愛されるに足る人間だということを」
「我愛羅ーー」
「そして俺が、お前を愛しているということを」
我愛羅はその手のひらを自分の頬にあてると目を閉じる。
私はといえば、血流が大変なことになっていた。
先ほどから繰り返されるいたるところへの口付けに、恐れ多いと血の気が引くのと同時に、さすがに恥ずかしくて体が熱い。
青くなったり赤くなったりと、自分の体ながら忙しいにもほどがある。
「我愛羅、あの……」
しどろもどろになりながら、わけも分からず首を振れば、我愛羅はじっと私を見つめた後また口付けをしてきた。
頬にされて、近すぎる距離に思わず息を呑む。
「考えてみれば、俺とお前は今まで過ごしてきた時間がそう多くはないんだ」
「じ、時間?」
「ああ、出逢った頃、お前は僅か数日で砂を出て行ってしまったし、中忍試験のため木の葉へ行ったときだってーー」
すると我愛羅が言葉を途切れさせて、私は首を傾けると名前を呼ぶ。
我愛羅は、いや、と呟くと頭を撫でてきた。
「だから少し堪能させてくれ」
「堪能って、私には皆みたいに魅力は詰まっていないから、それは無理な話だよ。堪能しようと思ってもできないよ……!」
「お前は先ほど、いつの俺も素敵だと言っただろう」
「そうだけど、それが何かーー」
「お前もそうだ」
言うと我愛羅の顔が近づいた。
鼻先が触れそうな距離で、我愛羅は言う。
「未来の名前は綺麗だし、今のお前は可愛いと思う。そしていつだってーー愛しい」
ーー唇同士が触れ合う手前で、我愛羅は止まった。
息を呑んだままの私の前で、我愛羅は離れると私の唇を親指で撫でて微笑う。
「さすがにここは、過去の自分に叱られるな」
私はただ意味もなく口を開閉するしかない。
何か言おうと思っても、何も出てきはしなかった。
「確かそろそろ時間だったはずだ」
我愛羅は言って、優しい眼差しを私に向けた。
「名前、昔の俺は、素直になれないところがあった。それに抱き始めた感情が何なのかも、よく分かっていない。それでも、お前に対して思う特別な気持ちは、いつも同じだ」
ーーその言葉を最後に、私の視界は再び回転を始めていった。
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変わりゆく景色に目を丸くしていると目の前に現れたのは、同じく驚いた顔をしている我愛羅の姿。
その容姿と、降りそそぐ陽差しに、元の時代へと戻ってきたことを知る。
「戻ってきたのか。大体の事情は、未来の名前から聞いた」
「わ、私も未来の我愛羅から話を聞いたよ」
先ほどの我愛羅とは違うし、ああした未来になる保証は何もない。
そう頭では分かっているのに、今の我愛羅と目が合わせられない。
視線を逸らした私に、我愛羅は訝しげに首を傾けたが、やがて口を開いた。
「お前はいつになっても変わらないんだな。相手のことばかりで、そして恥ずかしげもなく褒め称える」
「そうだったんだ……我愛羅は変わっていたよ」
思い出せば顔に昇る熱に首を振る。
我愛羅が目を見開いた。
「どうした」
え、と見やれば、我愛羅が私を凝視している。
「顔が赤い」
手を伸ばすと頬に触れてきた我愛羅に、先ほどまでのことが甦ってさらに顔が熱くなるのを感じる。
我愛羅はいっそう目を見開いた。
「未来の俺に、いったい何をされた……?」
言うと引き寄せようとしてくる我愛羅の肩を私は思わず突き飛ばした。
「やっぱり我愛羅、変わってないのかもしれない……!」
驚いたふうに見てくる我愛羅に罪悪感を感じながらも、私は立ち上がると駆け出した。
「ごめん我愛羅、今日は失礼するよ……!」
ーー他里の茶屋に一人取り残された我愛羅は暫しぽかんと名前が去っていった方を見ていた。
しかし名前に避けられたという事実が身に沁みてきて、我愛羅はうつむくと肩を震わせる。
そこに兄弟であるテマリとカンクロウが通りかかった。
「あれ?どうしたんだい我愛羅、こんなところに一人で」
「今日は名前と会うって言ってたじゃん」
言って、二人は顔を上げた我愛羅を見ると、声を掛けたことを後悔した。
「お、おい我愛羅、こんなところで殺気立つのはまずいぞ……!」
「どうしたんだよその顔、すげー凶悪じゃん!」
「……未来の自分を、殺してやりたいだけだ」
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