「私の師匠が強すぎて勝てない件」
木の葉隠れの里の演習場、ぐったりとうなだれる私の隣では、ネジさんが水を飲むと呆れたようにため息を吐いている。
なんだかライトなノベルのタイトルのような言葉を言ったけれど、これにはちゃんとした訳がある。
休みだった今日、修行しようと演習場に来たらネジさんに会った。
下忍だった頃はお互い暇な時間も多く、頻繁に手合わせしていたものだが、今は与えられる任務のレベルが高いこともあって忙しいため、ネジさんと修行出来るのは本当に久しぶりだった。
だからそれはもう乗り気で修行に応じたのだけれどーー勝てない。
先ほどからいったい何度、参りましたと言ったことか。
「またそれか。俺はお前の師匠じゃないぞ」
「いえ、達人でも仙人でもいいんです……!」
「いや、達人でも仙人でも駄目だろう」
「だって私はネジさんに今日まだ一度も勝っていない……!」
相手はネジさんだと気を引き締めているのにも関わらず、拳は重いし、速さは反応するのがやっとだ。
加えてフェイントも何度もいれられ、それでも見切ったと安心と達成感を得たその僅かな隙を狙われ負かされる。
「日向は柔拳の使い手だからな。組み手でそう易々と負けるわけにはいかない」
「それにネジさんは、日向家の中でも突出して才がありますもんね……けれど私、諦めません!」
ぐっと握り拳をつくる。
「木の葉にて最強の日向にて最強であるネジさんーー」
自分で言っておいて頭がこんがらがった私は一度言葉を止めると脳内で反復する。
間違っていなかったことを確認すると言葉を継いだ。
「ーーに勝った暁には、私も仙人の域になれると思うんです……!」
ネジさんは長いため息を吐く。
「お前はとことん、俺を高尚な存在にしたいらしいな」
「だってネジさんは、白眼という三大瞳術の素晴らしい使い手ですし、そうでなくても上忍として頼りにされ慕われ、常に冷静で余裕もありーー」
何か考えるように遠くを見るネジさんに首を傾け、その名を呼ぶ。
「……冷静で余裕、か」
微かに眉を寄せているネジさんをじっと見つめてーー私はハッと息を呑んだ。
慌てて弁解する。
「ネジさんが熱血ガイ班で浮いているとか、そういうことじゃなくてですね、むしろピリリと辛く引き締める欠かせない存在というかーーそ、それにネジさんも熱血だなあと思うときがあるような、ないような」
「無理をするな。それに、あいつらと一緒にされてはたまらん」
首を傾けた私のことを、ネジさんは見やる。
白い瞳が私を捉えて、けれどちらりと逸らされた。
「お前に……慕われてるとは、思う」
「はい、もちろんです」
「それはその……ありがたいことだ」
しかしーーと再び目が合う。
ネジさんの口が一度、話すのを躊躇うように開閉した。
「お前は、俺が冷静で余裕がある男に見えるから、尊敬してくれているのか」
「……えっと……」
質問の意図が把握出来なくて、ネジさんを見返すことで遠慮がちに続きを促す。
「俺が、冷静さとはかけ離れたものを本当は持っていると言ったら、お前はーー」
言いかけて、ネジさんは首を振った。
「いや、下らない質問だった……忘れてくれ」
「ネジさん……!」
私は思わずネジさんの両手を取った。
「そんなの……!」
そんなのーーギャップ萌えじゃないですか……!
と心の中では声を大にして言えるのに、声にはならない。
驚いた様子のネジさんに、いかにこの言葉をオブラートに包んで伝えようかと頭を働かせていたところーー遠くから誰かが私の名前を呼んだ。
顔を上げて、声のした方を向く。
ネジさんの手にぴくりと力が入ったことを感じたが、駆けてくる後輩の姿を見つけて、手を離すと立ち上がった。
「どうしたの?こんなところまで」
「お休みのところをわざわざすみません」
笑って首を振る。
「いいよ。休みっていっても、こうして演習場にいるわけだし」
そして後輩が抱えた資料にざっと目を通す。
「この前一緒にした任務の書類だね……何か問題が?」
「いえ、ただ自分が報告書をまとめることになっていたのですが、少し不明な点があって……」
再び謝罪の言葉を口にする後輩に、少し慌てる。
「中忍になったばかりだったっけ。もしかして報告書作成は初めてだった?」
「いえ、二・三度、別の上忍の方に付き添われ教えていただいたことはあります。ですがその時怒られたことがあったので、不安で……」
「大丈夫だよ。大まかな枠組みを作ってくれれば、後は私が確認して、必要があれば直して提出するから。だから不備があればその時教えるから、あまり難しく考えないで。ね?」
笑って励ますも、彼の顔は浮かない。
「……気になるようだから、やっぱり一緒に作ろうか?」
すると彼はぱっと顔を輝かせた。
「いいんですか……!?ありがとうございます!」
「うん、だけど今はーー」
言いかけて、口を閉じる。
後ろから腕を引かれていた。
ーーネジさんの胸にぶつかって止まる。
そろりとネジさんを見上げた私は眼を見開いた。
そしてネジさんから目を離せないままに、口を開く。
「い、今はネジさんと修行をしてるから、休み明けでもいいかな。そう急ぐものでもないし」
「は……はい。分かりました。失礼、しました」
ーー後輩は遠慮がちに何度か振り返りながら、最後は走るようにして去っていった。
その背を見送っていると上からため息が聞こえて顔を上げる。
ネジさんが顔を手で覆い吐き出した。
「情けないところを見せたな……」
私は慌てて首を振った。
「情けなくなんてありませんよ」
ーー私を引っ張った時のネジさんの顔には、隠せない不満が見て取れたのだ。
頬を緩めて笑う。
「それに、嬉しかったです。私がネジさんとの修行を貴重なものだと思っているように、ネジさんも私との修行を望んでくれているようで」
「……そんなものではないんだ」
私の腕を掴んだままだったネジさんの手に一度力が入れられて、そうして離される。
かと思えば優しく背中を押された。
まるで遠ざけるかのようなその行動に、疑問符を浮かべながら振り返る。
「これは嫉妬だ」
そうして初めて見るネジさんの表情と、言葉に息を呑む。
いつもは真っすぐにすべてを見据えているネジさんの瞳が、今はどこか胸に痛い。
ネジさんは自嘲するように笑った。
「嫉妬なんて、見苦しい感情だと分かってる」
「ネ、ネジさん、嫉妬って……」
「それでも、誰かにお前を取られてしまうと思ったら、落ち着いてなんていられないんだ」
ネジさんの言葉に私は瞬くだけで何も言えない。
「……すまないな」
するとネジさんが静かに言った。
「お前は俺を師匠だ何やらと尊敬してくれていたが……幻滅しただろう」
ーー俺が、冷静さとはかけ離れたものを本当は持っていると言ったら。
先ほどのネジさんの言葉が脳裏で響く。
首を横に振れば、ネジさんは私を見た。
視線を彷徨わせているためネジさんの顔は見れないが、驚いた空気が伝わる。
ネジさんは急いたように、先ほど自ら離した距離を、一歩踏み出すことで詰めてきた。
「そんな顔してると、誤解するぞ」
「そんな顔、って」
自分がいったいどんな顔をしているのか分からない。
分からないほどに混乱していた。
ーー心臓がうるさい。
「気をつけろよ名前」
再び私の腕をネジさんが掴んだ。
引かれて、目を合わされる。
「俺はお前の一挙一動に、情けないほど左右させられるんだからな」
141214