ーー私は目を覚ました。
白い天井が日の光を受けて明るい。
遠くからは子供の楽しそうな声や、鳥のさえずりが聞こえてくる。
あまりに平和なそれに私はもう一度目を閉じた。
けれど直ぐに混乱に包まれる。
息をのんで飛び起きた。
ーー生きてる。
白を基調とした病室。
床には風になびくカーテンの影が揺れている。
窓の外に目を向ければよく晴れた青い空。
うつる景色には見覚えがあった。
心臓がドクリと音を立てる。
ーー木の葉隠れの里。
いったいどうして。
するとその時この個室のドアが開いた。
入ってきたのは看護士で、私と目が合うと顔を輝かせる。
「あら!起きられたんですね」
「あの……私はどうしてここに。戦争はーー戦争はどうなったんですか?」
「落ち着いてください」
女性は私を宥めると、腕を取って脈をはかる。
それから目ものぞき込むようにするとまた笑った。
「うん。もうすっかり大丈夫のようですね」
「あ、ありがとうございます」
「確かに、目が覚めたら戦場じゃなかった、なんて、驚いちゃいますよね。でももう大丈夫。戦争は終わりました。ここは木の葉隠れの里です」
頷いて、先を促す。
「実は戦争が集結してから、まだ二日と経っていないんですよ。戦場には怪我を負っていたり、意識を失っていた方達がいたから、適当に各里へ振り分けて手当てをしていたんです」
「適当に……」
「ええ。本当は確認を取ったり、持ち物を調べたりして、その人の里へ連れてこうかっていう話にもなったらしいんだけど……額宛てのマークは皆忍だし、そもそも額宛てが無くなってる人もいたりと結構面倒で。あなたも額宛ては付けていないしね」
「ああ……無くしそうだったから、ポーチの中に入れておいたんです」
「そうだったのね。安心して、持ち物は勝手に調べたりなんてしていないから」
片目を瞑る看護士に、私は心底ホッとした。
「それに今はもう、里同士の仲は改善されたから、どこでもいいから分担して看病しましょうってなったのよ。あなたより先に目が覚めてもう自分の里へ帰った人もいれば、まだ寝てる人もいるわよ」
「なるほど……。あの、聞いてもいいですか」
「何でもどうぞ」
「重傷の人はいると言っていましたが……死者は。死者はいなかったんですか」
看護士の反応が気になって、痛いほどに心臓が動くのを感じる。
「ええ」
けれど嬉しそうに大きく頷いたその人に、やっと肩の力が抜けた。
「よかった……」
「本当に、奇跡よね。戦争だったのに」
本当に、よかった……。
目が覚めたら木の葉にいるから、もしかして記憶が消えてないのかと思った。
それは術がかからなかったことに繋がるから、生き返らなかったのかと……。
術の終わり頃からの意識が曖昧だから、不安だったんだ。
「ーー!あの、オビトさ……!いや、うちはオビトの処分がどうなったかは知りませんか。それにここが木の葉隠れの里なら、うちはサスケは……!」
「落ち着いて。病み上がりなんですから」
宥めるというより今度は静かに怒られてしまった。
「す、すいません」
「まあでも気持ちは分かります。ーーうちはサスケは無限月読解除の功績から、特にこれといった罰は無いそうです」
「ーー!」
「うちはオビトの方はまだ決まっていません。裏にあのうちはマダラが関わっていたから色々と難しいそうで。けれど噂では本人自身が、それは罪が軽くなる要因にはならないと言っているみたい」
「……そうですか」
「だけどとにかく、生きて償わせるらしいですよ」
私は目を細めて笑った。
「……そうですか」
「ーーさ、一人で動けますか?シャワーでも浴びてきたらどうです?戦争で汚れたままですし」
「ありがとうございます。それじゃあお言葉に甘えて……あの、退院手続きや費用は」
「そんなのありませんよ!今は戦争が終わって、復興の時。助け合わなきゃ、ね?」
ーーシャワーを借りた私は看護士にお礼を言い、木の葉病院を後にした。
人通りが多い場所だと、知り合いかどうかが気になってしまって気疲れするから、裏通りを歩きとある場所へと向かう。
すると路地の角を曲がった時、横からトボトボと歩いてきている男の子に気がついた。
避けようとして、けれど擦れるように少しだけぶつかってしまう。
「ごめんね」
謝って歩みを続けようとして、けれど立ち止まってしまった男の子に首を傾げた。
「もしかしてどこか痛かっーー」
膝を折って、うつむいた男の子の顔を下から覗いて驚く。
涙を流すその子に、慌てて頭を撫でる。
「ご、ごめんね!どこか痛くしちゃったんだね。今手当てを」
「違うよ」
「え?違うって」
「お姉ちゃんのせいじゃなくて、これ」
差し出された男の子の手が握るのは、ボロボロになった額宛て。
「これ、君の?」
鼻をすすって頷く男の子は続けた。
「やっと忍になれて、嬉しくて……いつでも身につけてたら、こんなにボロボロになっちゃった」
「大丈夫だよ。これくらいなら、縫ったりすればまだずっと使えるよ」
「だけど、貰った時は綺麗だったのに」
「あはは、そうだね。新品だもん」
「あーあ」
男の子は額宛てを眺めて、そうして空を見上げた。
「また貰った時まで、戻れればいいのにな」
何度か瞬きをして、私も続いて顔を上げる。
「それは、難しいね」
「だよなあ……やっぱり、貰った時まで戻らなくていいや。だってそしたらせっかく修行した分がまた減っちゃうだろ?額宛てだけが新しくなればいい。うん、それだよ」
「それは……出来るかもしれないね」
「……買うとか?」
私は思わず笑い声を上げる。
そして男の子の頭に手を置いた。
「私は、額宛ても、元に戻さなくていいと思うな」
「だけど、綺麗な方がかっこよくねえ?」
「うん。前は私もそう思ってた。綺麗なままでいいのに、傷つかなくていいのにって」
だけど、と周りを見回す。
そこにあるのは襲撃の跡を残したまま、けれど確実に復興している木の葉隠れの里。
「ボロボロになった額宛ては、君が努力してきたことの証だから」
「俺が努力した、証」
「きっと君ならこれからもずっとそれを続けられる。だってーー木の葉隠れの、忍なんだから」
だから私も消しません、三代目様。
ーーお母さんに縫ってもらう!と駆けていった男の子と別れて、私は火のモニュメントの所へと来ていた。
ポーチから取り出したのは額宛て。
木の葉に真一文字が引かれている。
私が里を、木の葉を抜けた証。
時空眼ならこの傷を消せる、それどころかこの額宛てのことだって……けれどーー。
「名前、わしはお主が木の葉の忍であることを誇りに思う」
消しはしない。
木の葉隠れの里で暮らしたことも、暁に入ったことも。
深く礼をする。
耳が音をとらえて振り返った。
花や水桶を手にした子供達が墓参りにやって来ている。
私は笑みを浮かべると歩き出した。
ポーチに額宛てをしまうと、代わりに今度は写真を取り出す。
木の葉襲撃の際、持ち帰ったものだ。
カカシ先生、ナルト、サクラ、サスケ、そして私の五人でうつっている写真は、もうこの一つしかない。
だけど良かった、ポーチの中身を見られなくて。
もしも術の負担で私が死んでいたのなら、後のことを気にする必要はない。
だけどもし生きていたのなら、額宛てやこの写真を見られれば不審に思われるどころの騒ぎじゃない。
作った結界が負担から解けてしまう可能性があったから、暁の衣は脱いでいたけれど。
木の葉の病院に運ばれたということは、やっぱり結界が解けていて発見されたんだ。
ポーチに写真をしまうと、里外へ向けて歩みを進めながら自分の目に手をあてる。
術が終わって独りでに解けたんだろう、それは時空眼ではない。
私はふと、イタチさんとの会話を思い出した。
「私の一族の人はみんな、そうして術を使った後に里を、どこか遠くから眺めているんです」
一人笑う。
あの時話していたことが遂に自分にも起きているーーそう思うと不思議な気分だった。
「知り合いや、或いはかつての同じ班の人を通りすぎたりもして…みんな、里を眺める…その里は、色々で…同じように見える里でも、どこかが違っていたりして…だから、時が少し、違うんだろうな、とか…」
これから、どうしよう。
術が終わって自分が確実に生きている保証は無かったから、先のことは、生きていてから決めようと思っていた。
私には罪がある。
里を抜けたこと、暁に入り人柱力と尾獣を捕獲したこと。
オビトさんや戦争で亡くなった人達を生かし、けれど消え去ったこと。
すべての罪に対し、私は責任を取らずに姿を消した。
償う相手はもういない。
それは私の心の中、私の記憶にしか存在していないから。
いっそのこと、何も覚えていない皆に罪を告白してーーいや、復興に忙しい皆を困らせるだけだな。
それに証拠が無いし、だから虚言を吐いて罰されたい人なんて思われたらそれは悲劇だ。
「あ、いや、あの…それで…みんな、目眩を起こしてるみたいなんですよね」
そういえば、私の場合は目眩が起こる心配はないな。
病院でしっかりと休ませてもらったから。
私は歩く、里の外へ向かって。
けれど正規の門へは向かっていない。
今歩いているのは数年前と同じ道。
暁に入るため、隠れて里を抜けた場所だ。
民家を抜けて、細い坂道を上る。
あの時は夜だった。
そしてこの坂道を上った先、小高い丘には鬼鮫さんとイタチさんが待っていてくれた。
今は昼。
坂道を上った先には誰もいない。
上りきった私は足を止めた。
もうしばらくはこの里へは来ないだろう。
いや、もしかしたらこれで最後になるかもしれない。
見納めだ、と振り返る。
「はい…里が、歪むんです」
その時里がーー歪んだ。
「あれ……?」
私は震える指で、自分の頬を撫でる。
視線の先、木の葉隠れの里は水面に歪んで見えない。
瞬きをすればうつり、けれどそれも一瞬で、また水の中へと消えてしまう。
ーー目眩なんかじゃなかった。
私の一族は皆ーー。
泣いていたんだ。
「どうして、涙が……」
無理矢理笑って、目元を拭う。
だけど涙は止まらない。
ーーどうして涙が?
いや、もうその答えは分かってる。
分かるようになったんだ。
それなのに気づかないふりをするのか。
無視をするのか。
全部抱えて生きていくと、決めたじゃないか。
私は皆のことがーー大切だった。
認めてしまえば涙は堰を切ったようにあふれ出す。
口元を覆って嗚咽をこらえた。
「最近、辛いことが続きすぎてて見失ってた…誰かがいなくなって悲しさを感じるのは、幸せだったから」
幸せだった。
皆の物語が見られて。
そばにいられて。
想い、助けることが出来て。
想われ、助けられて。
愛してもらえて。
愛することが出来てーー。
幸せだった。
だから今、こんなにも悲しい。
「大丈夫」
震える声で自分に言い聞かせる。
そうだ、大丈夫。
幸せな記憶は、これからを生きていく糧になる。
私はこの世界中の誰よりも、記憶を覚えて生きていく。
「けど俺達は、ずっとお前と一緒だ」
「私達はずっと、ここにいる」
父と母がいる。
それに皆もーー皆との記憶もちゃんとある。
「だから……だいじょう……」
嗚咽で言葉にならない。
胸元の服を握りしめて、ギュッと目をつぶった。
「ーーまた、一人で泣いているのね」
私は息をのんで目を見開いた。
「行って、どうするっていうのよ!――また、ひとりで泣くの…?」
ゆっくりと振り返る、その林の先にーー。
「名前」
皆がいた。
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