ーー自分の体を包むあたたかい空気に、オビトは目を覚ました。
空と、そしてよく知る少女がうつる。
この戦争ですっかり汚れてしまった暁の衣は、やっぱりいつまで経ってもこの少女には似合わない。
「名前」
そんな場違いなことを思いながら名前を呼ぶ。
それに気がつきオビトと目を合わせる名前の瞳は白緑色で、オビトは焦りを覚えた。
名前はオビトの体に両手をかざし、左眼で巻き戻しの作用をかけていた。
「俺の体を治しているのか」
「オビトさんの体は、昔大岩に潰されてしまった時からずっと生死の境目、なんて危ないところを渡ってきたようなものですから……オビトさんのことを知ってから、ずっとこうしたかったんです」
「しかしそれではお前の体が……!」
「大丈夫です。オビトさんが気絶している間に、歴代火影や六道仙人が残ったチャクラを下さって」
名前は優しく笑うと手を下ろす。
「もうこれなら……無事目も覚めたし、後は誰か医療忍者の方に治療してもらえれば大丈夫です」
「……お前は俺を、拒絶しないんだな」
上体を起こすオビトを名前が手伝う。
すると名前はオビトの両頬を優しく包んだ。
そうして時空眼で双眸を見つめる。
ーー暫し経って、名前が離れる。
オビトは自身の右目に手をあてた。
そして名前を見て問う。
「何かしたな……?」
「もう時空眼に作用出来ないように、ですよ」
オビトはハッとする。
そして思い出した。
怒涛の展開の中で頭から追いやられていたが、自分が名前の眼に写輪眼で作用をかけて、記憶を改ざんしていたことを。
けれどオビトがそのことを忘れていた理由は、戦争に突入し、他のことに左右させられていたからだけではなかった。
「真実を知らないことは、どんなに辛い真実を知るよりも、辛いことだと思うんです」
隠していたのに、偽っていたのに名前は自分を拒絶しなかった。
それどころか助けた。
まるで自分の偽りを知らないかのような行動を取る名前に、思わずオビトの脳は、隠していたという過去を忘れてしまっていた。
けれどそんなことはもうどうでもいい。
名前がオビトのことを知り、つまり隠していたことを知り、それでも受け入れたことは確かなのだから。
「ーーあれからどれくらい時間が経った。カカシ達の姿が見えないが……」
「日は少し落ちましたね……カカシ先生とサクラはさっき、ナルトとサスケの元へ向かいました」
「ナルトとサスケ……?いったい、何があった」
ーーオビトは事情を聞くと少し顔をしかめる。
「そうか……。しかし、サスケとナルトは決着をつける為仕方ないが、カカシとサクラがよくお前を置いて行ったな。もう離さないと、無理にでも連れて行きそうだが」
「実は、オビトさんをダシに……」
「私はオビトさんのそばにいます。遡って消さなきゃ治らない、古い傷を治したいから」
「言ったことは確かに本音なんですけれどね。……口実にオビトさんを使うのはこれで二度目です」
「いいえ、私はそう急いでもいないですし…なにより、マダラさんに、九尾捕獲失敗を怒られやしないかと、ちょっとヒヤヒヤしているんです」
ごめんなさい、と謝って名前はちらりと笑う。
オビトもつられて少し笑ったが、直ぐに真剣な表情になると名前を見据える。
そして口を開いた。
「あの術を使う気か」
名前はピクリと反応を示す。
確信を得たオビトは、やはりか、と手を握りしめた。
「……オビトさんには何でも、お見通しなんですね」
「言ったはずだ。名前、お前は嘘が下手だとな。無限月読の養分のため多くの人間がいた方がいいから術を使うーーそんなの嘘だと分かっていた。お前はただ、皆に生きてほしいから術を使う。そうだろう」
「……裏切り者には死を。ーーオビトさんは私に、自分を拒絶しないんだなと言いましたが、それは本当に、私の台詞です」
「確かにそれは暁のルールだ。だが……いや、俺が手を下さずともーー死ぬぞ、名前」
やっぱり、と名前は思った。
ーーこの人は右眼で視た通り、自分が術を使うことを望んでいない。
「歴代火影や六道仙人からチャクラを貰ったと言ったが、残りのチャクラも少ないものだろう。名前、お前はカグヤのこともあって戦争に参加し過ぎた。このまま術を使えば危ない。それはお前が一番分かっているはずだ」
名前は頷く。
「分かってます」
「なら……!」
「それでも……したいんです」
オビトは思わず声を上げていた。
「まだ分からないのか!お前が術を使うことは、周りの奴らの幸せには繋がらない!術を使えば死ぬかもしれない。いや、たとえ死ななくても、その後にお前の身に起こることは絶対に、俺達の幸せになんか繋がらない」
吐き捨てるオビトに名前は再度、分かってます、と言う。
「皆が私のことも想ってくれていること……それはもう、分かったんです。やっと分かった……。それに私自身の気持ちも、もう昔とは違います」
「お前自身の、気持ち……?」
「……昔はこう思ってました。素敵な人達の幸せの為なら、私が不幸を引き受けるって。それで自分が死ぬことになっても……その人達の未来がもう見れないことは残念だけれど、構わなかった」
「…………」
「今はこう思ってます……不幸を引き受けてしまったら、もう皆に会えない。会えたとしても、もうそれは今とはまったく違うものになる。それはとても……」
かなしい、と震える声で名前は呟く。
オビトの顔が悲痛に歪む。
「だけど……それでもしたいんです。幸せな未来が、見たいから」
「幸せなんかじゃない……!お前は今、自分で言っただろう。周りの奴らの気持ちをようやく分かったって。それなら、術の後にお前に起こることをアイツらが知れば、どう思うかくらい……!」
「はい。きっと皆は、悲しんでくれる」
「それなら……!アイツらに悲しみを与えるような真似、お前はしないだろう……!」
「忘れてしまったんですか、オビトさん」
オビトは名前と目が合って、身震いした。
「皆に悲しみは残りません。だって私はーー消えるんですから」
ーーそうだ、とオビトは思った。
名前は人々の記憶から、歴史から姿を消す。
そのことを知れば周りの奴らは悲しむだろう。
けれど名前自体の記憶が消えれば、自ずと悲しみも人々の中からは消える。
世界は幸せで人々も幸せ。
ならば名前が止める理由は何も無い。
オビトはハッとした。
「それなら、俺のことを考えろ!」
ーーかつてうちはマダラは時空眼を持つ者の記憶を消されないように写輪眼で作用をかけた。
そしてそれは、うちはマダラの名を名乗ることになったオビトも同じだった。
オビトは時空眼を持つ者、計画の協力者に写輪眼で作用をかけて記憶を無くさないようにしていた。
もちろん、名前にもそれはかけていた。
「俺には悲しみが残る。だから……!」
術をかけるのはやめてくれ。
オビトはそう続けようとして、けれど出来なかった。
悲しそうに笑う名前に、何故だか心臓が嫌な音を立てる。
頭の中で警鐘が鳴る。
「おい……嘘だろ」
「……言ったじゃないですか、オビトさん」
脳裏にうつるのは、つい先ほどの光景。
頬を包み自分の瞳を見つめる名前のーー時空眼。
「もう時空眼に、作用はさせません」
ーーオビトは何か言おうとしたが、息が震えるだけで言葉にならない。
目の前にいる名前のことを忘れる。
その事実を突き付けられると目眩がした。
頭が痛くなって、吐き気までしてくる。
「何を、したんだ」
やっとの思いで言うオビトに、名前は静かに答える。
「オビトさんの写輪眼からは私の記憶が消えないようになっていた……だからその作用を巻き戻して、消しました」
「……どうして、そんなことを……」
「オビトさんは、きっと私が消えることを悲しんでくれる。それも分かるようになりました。……だからオビトさんに悲しみを、残したくなかった」
名前がオビトに向き直る。
そうして深く、頭を下げた。
「ごめんねオビトさん。ごめんなさい」
名前は言う。
「オビトさんを生かしてしまって、ごめんなさい」
衝撃から抜けきれず半ば混乱したままのオビトが名前を見やる。
「オビトさんは言いましたね。死ぬことが望みだと、幸せだと。……それは私も考えていたんです。オビトさんはこの世界を地獄だと言った。それなら無限月読が叶わなかったのにオビトさんを生かすことは、地獄で生きろということなんじゃないかと」
「…………」
「それに向こうでは……愛する人に会える」
「ーー!」
地面についた名前の手が握りしめられて、土を削る。
「頭では分かっていたんです。オビトさんの幸せを尊重したい。それに視た未来も覚えていました。オビトさんの死で世界は救われる。ーーだけど」
そんな名前の手の甲に、涙が落ちた。
「オビトさんを、死なせたくなかった……!」
「ーー!」
「生きていてほしかった……!体が勝手に動いて、止めることなんて出来なかった……!」
思わず名前を抱きしめたオビトの目からも涙が流れる。
人の意思を尊重する名前が、オビト自身が自分の幸せは死だと言っているのに、生きていることを望んでくる。
世界とオビトとを天秤にかけられていて、それでもオビトの生きている道も望んでくる。
そんな名前の想いを痛いほどに感じた。
「だけど、ごめんなさい、オビトさん。私はオビトさんを生かしておいて、けれどあなたの中から姿を消します。責任を取らずに逃げるようなものです」
だけど、と名前は続ける。
「オビトさんのそばには、カカシ先生やナルトが、いてくれます。償う罪が重くても、絶対に並んで、歩いてくれる」
「ーー!」
「……今までオビトさんにはたくさんの不幸がありました。不幸の中に身を置いていた。だけど、だからこそ……!これから先、オビトさんを幸せが包んでくれると信じてます……!」
「名前、お前……!」
「だから生きて、オビトさん……!お願いします……!」
名前はにっこりと笑った。
「私のことを忘れて、悲しみを残さないで……そしてーー幸せになってください」
ーーナルトとサスケによって無限月読は解除された。
忍、そして人々は解放され、平和を迎えた世界を喜ぶ。
ナルト、サスケ、サクラ、カカシは終末の谷から戦場へと戻ってきた。
オビトと名前がいるところへ。
「ーーおい!名字名前はどこだ!」
けれど場所にいるのはオビトだけ。
連合の忍に囲まれている。
「どうしたんだってばよ!」
異変に気付いたナルト達が近付くと、その場にいた我愛羅が振り返り目を見張った。
「名前は、お前達と一緒ではなかったのか」
「な、何言ってんだってばよ我愛羅。名前ってばオビトと一緒に、ここに……」
けれどオビトの隣には誰もいない。
蒼白な顔で震えた呼吸を繰り返すオビトの横にカカシが膝を折った。
「オビト、いったい何があった。名前はどこにーー」
その腕を痛いくらいにオビトは掴む。
「頼む……!誰でもいい。感知出来る奴は、名前のことを探してくれ……!」
「一人だけ逃げたんだ!」
「感知しろ!名字名前を捕らえるんだ!」
場を囲む多くの忍の中からそう声が上がる。
ナルトらが、事情は分からないが思わず否定しようとしたところに、オビトが続ける。
「このままじゃ名前が、消える……!」
その言葉にナルト達は顔色を変えた。
「名前が消えるって、どういうことだってばよ!オビト」
「ナルト、それにカカシも。お前らには前に話しただろう。あいつら時空眼を持つ一族が、書物から、人の記憶から、歴史から消えてきたことを。あれは時空眼の術の代償だ」
「待って!ねえ、何の話?」
息をのむナルトとカカシにサクラが問う。
異常さを感じているからか、胸の前で合わせた手が震えている。
オビトは早口に続けた。
「時空眼には、三つの最高瞳術があるんだーー」
「ーー三つの最高瞳術?それはいったい何だ」
扉間が問う。
木の葉隠れの里、顔岩の上で、時空眼を持つ女は口を開いた。
「一つ目は、人の時間を送らせる術。右眼で早送りをし、寿命を迎えさせーーつまりは殺すの」
「……代償は」
「……やっぱり鋭いね、扉間は」
「強大な術には代償が付き物だ」
「うん……この術の代償は死。対象者に確実に死をもたらす代わりに術者も死ぬ」
「二つ目は」
「二つ目はまったく逆」
「人の時間を、巻き戻すのか」
女は頷く。
「存在を消すの。対象者はこの世界に存在せず、生まれてこなかったことにする。そこまで巻き戻す。……酷い術だよね。三つの中で唯一、禁術だって言われてる」
「……代償も一番大きいのか」
「術者の存在も消える……そう言われてる」
「要するにどちらの術も、対象者にかけた術と同じことが術者の身に起きるんだな。いささかリスクが大きすぎる」
女は苦笑したように笑う。
「確かに、この二つの術を使った人の話は聞いたことがないし、過去にも視たことがない。特に二つ目の術は、術者に起こる代償が本当かどうかも怪しいんだよね。存在しないことになった人の話がどうして伝わってるのか、ってね」
笑う女は、目を細めて呟く。
「だから私の一族が使ってきた術は、最高瞳術の中では一つだけ」
「お前も使うのか」
「……分からない。だけど大丈夫。たとえ使ったとしても、これは他の二つと違って幸せしか起こさない術」
白緑色の瞳ーー時空眼が陽に輝いた。
「死んだ人の命を、巻き戻すの」
扉間は珍しく唖然とする。
二人の間を風に舞う木の葉が流れた。
「死者を、生き返らせるということか」
「縛りはない。完全に生き返らせる。左眼で、死者の命を巻き戻すから」
「しかしお前は、一族の者達はその術を使ってきたというが、そんな話は今までーー」
扉間はハッと何かに気付く。
「まさか……」
「……やっぱり扉間は鋭いね」
「お前達一族の名が知られていない理由はこれか?」
女は頷いた。
「不思議だよね。他の二つの術は、対象者と術者に同じ作用がかかるのに……。まあ生きている術者を生き返らせるなんてことは出来ないから、当たり前なのかもしれないけど。それに術を繰り返す中で代償に改良がなされていったっていう話もあるけど、本当のところは分からない」
ただ、この術が三大瞳術の残り一つだということは確か。
「三つ目の術ーー死者の時間を巻き戻す。代償は歴史から、記憶から、術者の時間だけが、巻き戻されるの」
沈黙が場を支配する。
低いオビトの声だけが響いた。
「名前は、戦争で死んだ者達の命を、巻き戻すつもりだ」
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