もとの世界に、帰る。
――ついこの間泣いていた郁のように、私も昔は、毎日のように泣いていた。
男だし、それほど泣き虫ではなかったはずなのに…本当の孤独に押し潰されそうで、泣いていた。
帰りたい、帰りたい、って…ただ、それだけを思って、言って、泣いていた。
今はもうほとんど、もとの世界を想って泣くことはない。
けど、だからと言って自分がこの世界の者だと思ったことは一度もない。
私は違う世界の者だと、毎日、毎時間思っていなかったとしても、周りの人間、環境、空気と自分の違和感については、消えることはない。
それにやっぱり、もとの世界のことを考えたとすれば、感情は沈む。
それでも、年月を経るにつれて変わっていったのは、もう帰れないだろう、って、諦めていたからなのか。
それとも…
「名前、飯を食いにいかないか」
「うわあ、名前!この怪我大丈夫?どうしたの?」
「名前、大好きだ」
「眠いんだったら一緒に寝ようぜ、名前」
「だったらみんなで一緒に寝ようよ!ね、名前――」
――この世界は、もとの世界から来た私にとって、とてもつらかった。
もとの世界でだって、犯罪や何やらがあったことは覚えている…けれど、生きれた。
生きるために、戦う力…誰かを殺してまで自分が生き残るための力は、いらなかった。
けどこの世界では…忍者や侍…戦って生きている人間じゃなくても争いに巻き込まれることは、よくあることだ。
そして忍者や侍はもちろん、生きていく為の力が必要。
「もとの世界に、帰る…」
口の中で呟いた言葉に、自分の頭のなかで、その光景が浮かぶ。
――私はうつむいて笑って、そうして郁を見た。
「明後日…満月の夜に、迎えに来るよ、郁」
とても嬉しそうに笑って抱きついてきた郁の頭を、私は優しく撫でた。
「――イヤだ…」
――郁と名前が去っていく足音がする中、壁に寄りかかった三郎は目を見開き、震える自分の手で顔を覆う。
「名前が、帰る…もう、会えない?イヤだ、イヤだ」
「名前がいない生活なんて、堪えられないよ…!」
同じように、震える声で雷蔵が言う。
「あの女を殺せば、名前が私達のもとから消える道は、なくなるのか?」
瞳孔を開かせ、真顔のままに言う兵助の肩に、八左衛門が震える手を乗せる。
「考えてみろよ、兵助。あの女の部屋の両隣には、先生達が構えてる、それに昼間はずっと、名前がついてる…あの女を殺るのは難しいだろ」
「それにあの女を殺ったとしても、名前が帰ってしまわない保証はどこにも無いよ…だから、名前が帰らない方法は、ただひとつ」
勘右衛門は泣きそうに顔を歪めた、けれど顔が固まっていて、ひきつるように口の端が動いただけだった。
「名前の、帰らないっていう気持ちだよ」
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