complex | ナノ
もう何回目かも覚えていない。けどおそらく十数回目。
目の前で揺れる色素の薄い金の髪。瞬く透き通る緑の瞳。
私はその時、恋というものを知った。




始めは白と黒だった。空気すらも白黒だった。
その内、世界に色彩は生まれ、空気が色付いた。そして私が、この世界において異端であると知った。
この世界にはあらゆるものが無かった。感触、匂い、温度、味覚までもが無い。皆の言う全てが存在しなかった。けど私が私に触れる時だけは熱や柔らかさを感じられて、その時だけ生きていると実感した。ここは私の世界ではないと知った。

それからは皆の言われるがままに進行した。ジムバッジを手に入れて、悪の組織を倒して、チャンピオンになって、次の世界へと飛んだ。突拍子もない話だろう。だが事実であり、どうやらチャンピオンになってから、というのが条件らしい。
ただ繰り返している。何度もパートナーを選んで、何度も悪の組織を倒して、何度もチャンピオンになっている。何故次の世界へ行けるのか、私に何をさせたいのかは全く分からない。
一つだけ違うのは私の性別だ。定まっておらず、時に男、時に女であった。別にそれほど問題があるわけではないけど、さらに拍車を掛けていると思う。

今はもういくつもの世界を積み重ねていて、何度も繰り返していて、何度もあなたたちを見ていて、虚しい。どんなに特別な言葉を与えられても最早空気に溶けて、私の心を通り抜ける。
だって、執着しようがないだろう。何度も全てが一から始まるのなら。
だが虚しくなろうとも振り払って真実を掴まねばならない。本当にあるかも分からない真実を掴むまで。

そんな時だったのだ。太陽と海と自然で満ちるアローラという世界で、リーリエと出会ったのは。

初めて、強い感情を抱いた。

白の帽子、白のワンピース、太陽なんて浴びたこともないような肌、色素の薄い金の髪、透き通るほどの緑の瞳。リーリエが持っているもの全てが愛しかった。たとえ、私が今回女の子であったとしてもリーリエが好きだった。
次の世界など知らなくていい。ずっとここに留まっていたい。
でも止まることは出来ない。いつものように私はチャンピオンになった。




鮮やかな花火が打ち上がる。
炎が煌々と燃える。
その煙が空高くのぼっている。
何もかもが風のように通り抜ける。
いらない、知らない、祝いの言葉など。
もうすぐ何もかも跡形もなく消えてしまうのに。
涙が溢れそうになる。涙が機能しないのはとうの昔に知っているのに。

「なまえさんチャンピオンおめでとうございます!」

リーリエが笑う。そのまま何かを言っているけど何も頭に入ってこなかった。
私、いまどんな顔をしているのだろう。
…分かっている。どうせ何も変わっていない。いつもと同じような顔でリーリエを見つめている。

「……あの、なまえさん」

そこだけはっきりと聞こえ、ふと我に帰ると不安げな眼差しを向けていた。

「……お祭りはまだまだ続くようですし、こっそり抜け出して戦の遺跡に行きませんか?」

頷くとパッと花が咲くような笑顔を見せ、共に戦の遺跡へと向かった。





滝の流れる音が響いていた。先を歩いていたリーリエが振り返り、目を細めて私を見つめる。
星と月が鼓動している。リーリエが青く滲む。

「なんだか…懐かしい感じです。あの時は余裕なんて少しもありませんでしたけど…」

あの日のことを思い出す。初めて強い感情を抱いたあの日、あなたに人生を与えられたあの日。でもそんなことあなたは知らないし、自身の唇に触れて、知る方法もないと思った。

「あの……」

瞬間、何かが違うと思った。何かは分からないまま次の言葉を待った。

「あの、わたし……」

熱っぽい眼差しが私を射抜く。私は、それを知っている。

「なまえさんのことが…好きです」

私は、




×××××




手を絡める。潤んだ瞳と見つめあう。リーリエの薄い金の髪から覗く白い耳が真っ赤だった。
リーリエがあの透き通る緑の瞳が瞼を下ろして、桜色の唇を突き出して、ゆっくりと近付いてきた。
私も倣って瞼を下ろす。感触こそ伝わらなかったが、それでも分かった。蕩けそうで、何もかもがどうでもよくなる程の甘く窒息してしまいそうな────。

星と月が見ている下で、私たちは唇を重ねた。

夢見心地のような気分なのに絶対に幸せにはなれないと何故か理解した。でもそれでもいい。きっとこの瞬間のために私は今まで生きてきたのだから。
やがてゆっくりと離れると、リーリエは泣きそうな顔で笑って「わたし、今幸せです」と言ってくれた。たまらなく幸福になって、彼女を抱きしめた。温かさが伝わった。




目覚める。呼吸をする。もはや肌で覚えた感覚で、違う世界だと分かってしまった。
喪失感でどうにもならなくなってしまい、さらにベッドに沈んだ。瞼を下ろすとリーリエが浮かぶ。目頭が熱くなったような気がした。
もし、もし、また同じような世界で会えるとしたらそれはいつの話なのだろう。
…………私はまた繰り返すの?
咄嗟に起き上がる。呼吸を整えたあと辺りを見渡した。息を呑む。それはとても、とても既視感のある部屋だった。雰囲気こそ変わったけど間違いなく前の…
ふと鏡が目に入る。自身の姿を映すと、そこには女の子がいた。前の世界の女の子の面影がある。急いで身支度を整えてその場から離れた。




「わたしのことよりあのコを…!ほしぐもちゃんを!」

目の前で揺れる色素の薄い金の髪。瞬く透き通る緑の瞳。
懐かしい光景。私があなたに恋を抱いたあの日の再現のよう。
涙が本当に溢れてしまうかと思った。それくらい胸が締めつけられるほどに嬉しくて、私はただ彼女の言葉に耳を傾けた。




彼女は前の世界とほとんど変わらない言葉を紡いで、以前のように私に笑った。
陽射しが彼女の肌を照らす。その肌は相変わらず白い。透き通る緑の瞳は忙しなく瞬いて、薄い金の髪は彼女が動くたびに揺れる。
何も変わらない、何も変わっていない。なのに、なのに。

腸が煮えくり返って仕方がなかった。

私の傍で笑うリーリエが許せなかった。揺れる薄い金の髪が許せなかった。瞬く緑の瞳が許せなかった。

知らない女の傍で笑うリーリエが、どうしても許せなかった。

これは私じゃないのよ。私なんかじゃ、ない。髪が長くて、顔立ちも違うこんな女なんて知らない。知らない女の、今の私の身体。ああ、やめて。笑いかけないで。それは私であって私じゃない。
リーリエがあの時の私だけを好きでいてくれないと、だって、リーリエが好きになってくれた女の子はあの私だけで。
じゃあ、私の好きなリーリエもあの時のリーリエでいてくれないと。今の私たちじゃない。

なら、もう二度と、あの楽園のような夢に帰れない。

そしたらもう全て、全部全部大嫌いになって、全て私の目の前から消えてほしくて。




私だけが取り残されている。
かつての面影など何も無い。ポケモンも人も消え、水面は黒く変色し、波が動くことはない。
天上は紫に変色し、雲もないので空かどうかも分からない。
滝は流れることはなく、変色した流水は固まったままでただただ静かだった。

ここは私の全て。拒絶した全てである。
この壊れた世界で、初めてあなたと出会った場所で、相変わらず私だけが不安定に地に足をつけていて、私だけが変わらなかった。
何故世界は壊れたのか。何故私の思い通りになったのか。何もかも分からない。
橋に近付くと私を避けるようにぱらぱらと四角い粒となって、その固まった水面に落ちていく。振り返っても、先に進める道などない。もうどこへも行けない。私はただ存在する他なかった。
もう何日が過ぎたのだろう。いや私だけが存在するここで、時間なんてものがあるのだろうか。
元を辿れば、そもそも私はどうやってこの世界に来たのだろう。

「なまえさん」

理解するよりも先に、何よりも先に、鳥肌が立つ。急激に息苦しく感じる。ありえないと全身が叫んでいる。だって、私、あなたを拒絶した。もう二度と会えることなどできない。
「こっちを見てください」後ろに居るはずなのに、耳元で囁かれたような気がした。
おそるおそる振り返る。リーリエだと思った。涙なんて流れないはずないのになんだろう、頬に流れるこの温かいのは?

「え、なん──」

自分の口元を押さえた。
…なぜ、どうして?どうして喋れるの。どうして涙を流せるの。頭が真っ白になる。何が起きているの。全く理解ができない。

「会いたかった!なまえさん!会いたかった…!」

彼女は駆け寄って私を抱きしめた。泣きながら叫ぶその言葉をうまく呑み込めない。
彼女の髪が頬をくすぐり、流す涙には温度があった。彼女の匂いがして、背中に回された腕には確かに温かかった。
ああ、そうだ。あの時も彼女の温度を感じた。私と同じように。私と…

私と?

思い切り突き飛ばした。指先に彼女の柔らかさと重さが伝わり、ぞっとした。尻餅をつくリーリエと目が合う。呆然と私を見返していた。けれどもすぐさま立ち上がり、何事も無かったかのように笑顔を向けた。
後光が見えそうなほどの笑顔。どうしてそんなに一点の曇りもない笑顔を浮かべられるのだろう。どうして何も不安など無いというように優雅なのだろう。言い知れぬ恐怖が背筋を走る。
しばらく見つめ合った後、私はようやく疑問を吐き出せた。

「なんでここに居るの…何度願ってもこの世界は壊れたままで…今も壊れたままなのにどうしてリーリエがここに居れるの…それに、どうしてそんな姿に…」
「…わたしは、わたしは前の世界のリーリエです。わたしの姿は…なまえさんがこの世界のわたしを拒否したのでわたしが居ないというプログラムに書き換えられたんです。だからうまく姿を再現できないんです。そして拒否したからこそわたしがようやくここに来れたのです」
「え…?ま、前の世界って…」
「前は前ですよ。なまえさんが居なくなってしまった世界です」
「……どうやってここへ来たの」
「…なまえさんがわたしの前から居なくなった後のことです。なまえさんを探そうと皆さんに聞いてみても何も答えませんでした。いえ、私が何をしても、本当に何も反応しませんでした。しばらくしてわたしには昔の記憶が無いことに気付いたのです。かあさまとむかし一緒に風邪を引いた時ですがあれも言葉だけで映像として頭に残っていません。だから、わたし、この世界が誰かに作られたものであると分かったのです」
「作られた世界…?嘘でしょ、そんなこと…」
「なまえさんはおかしいとは思いませんでしたか?何度も繰り返す世界ですがポケモンや人も面影があり、技術も進歩してます。本当に次の世界であると考えたことは?」
「な、んでそんなこと知ってるの」
「だって、あの後全てを知りましたから」
「全て…?全てってどこまで?どうやって知ったの?」
「文字通り全てを知りました。あの後、空も大地も闇に覆い尽くされて、わたし一人だけ取り残されたんです。今思えばそれはプレイヤーが居なくなったので機能する意味が無くなったのでしょうね。だから、わたしだけが残ったのだと思います。それで一人ぼっちで怖くて自分を抱きしめたんです。そしたら火傷するように熱くてびっくりしました。そしてわたしには今まで五感がなかったことに気付いたんです。熱や柔らかさや味覚だなんて感じたこともない。けど一度だけありました。なまえさんと抱き合ったあの日です」
「あの日………」
「ねえ、なまえさん、わたし、涙が流せます。熱があります。自分の思い通りに身体を動かせます。限りなく、外の世界の…なまえさんと近しいのです。それはあの日、なまえさんがわたしのことを好きだと言ってくれたから…いえ、ずっと前からわたしのことを想っていてくれたからなんです。なまえさんがわたしを好きになってくれたから、少しずつ、わたしのキャラクター性が解除されて、意思を持って…だからわたしは、あの日なまえさんに告白できたんです。そしてキスをしたから…わたしは受肉をできて、やっとわたし…わたし……なまえさんに相応しくなれた…」
「……どうして、なんで、全て私の望み通りになれるの」
「だって、なまえさんはプレイヤーなんです。プレイヤー無きゲームはゲームとはとても呼べません。ですからかみさまに等しいんです。わたし達を改変できるのはいつだって、外の世界の、人間たちだけ。だから、全てがプレイヤーであるなまえさんの思うがままなんです」

全てが胸に落ちる。全てを納得してしまう。何も言葉が出てこなかった。ずっと見つめあったままのその瞳に吸い込まれそうになる。

「ねえ、なまえさん。もう誰もあなたをプレイヤーとして認識してないんですよ。だからあなたはやっと呼吸ができるんですよ。涙が流せるんですよ。声が出せるんですよ」

リーリエは涙を流しながら天使のように告げた。それを見た時、何故か全てを赦されたような気になって涙を流してしまった。でもそんなはずはない。だって、リーリエの姿が。

「ごめんなさい、ごめんなさい。私がこの世界のリーリエを拒絶してしまったから……」
「いいんです。そうしなければまた会うことは出来ませんでしたし、それにこんな姿になってもなまえさんはわたしを好きでいてくれると信じてましたから」

抱き締められる。熱と柔らかさを感じた。久しぶりの他者の温もりに私も抱きしめ返した。リーリエのミルクのようなにおいに安心して、瞼を下ろした。

「ねえ、なまえさんの口から、わたしを好きだと言ってください」
「どうして?私はもうこんなにもリーリエのことが好きなのに」
「だって告白したあの日、なまえさんの口から聞けていません。だから…名前さんの口から聞きたいんです」
「…ねえ、いいの…?本当に私でいいの?自分が何者かも分からないし性別だってあやふやで何も無くて、今の姿だって…」
「いいんです。過去も、何もかも、全てわたし達で作りましょう。それにわたしにも何もかもありません。お揃いですよ、わたし達」
「……リーリエ、リーリエ、好き。好きよ、すき」

泣きながら告げた。つよく抱き締めるとさらに熱を感じられて、ひどく安心してしまってまた泣いてしまった。

「否定したものはもう蘇らないけれど…ふたりならどこにいても楽園です。なまえさん、これから全てあなたの思い通りです。この世界で、わたし達はアダムとイヴになりましょう」

アダムとイヴ。懐かしいその言葉。きっとそれは私が元いた世界の誰かだ。でももういいの。自分の正体だとかこの世界に来た理由だとか。リーリエが傍に居てくれるならもう興味ないの。

「好きです、なまえさん。いいえ、愛しています」

星と月が死んだ下で、私たちは唇を重ねた。

もう何回目かも覚えていない。けどおそらく十数回と一回。
目の前で揺れていた薄い金の髪はもう無い。瞬いていた透き通るほどの緑の瞳ももう無い。
私はそれでもいいのだと思った。あなたがあなたであるなら。あなたも私である私を愛してくれるなら。


受胎告知で目覚めよう 190316

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