complex | ナノ
吐き出すかのように乱暴に投げ出され、無様に身体を打ち付けた。けれどそこまでの痛みはなく、身体を起こすと眩さが視界に飛び込んできた。
見たこともない鮮やかな色彩がわたしを囲う。感じたこともない強い熱がわたしを貫く。聞いたこともない音がわたしの鼓膜を震わす。なにもかもが知らぬものだった。
何故、わたしはこんなところに居るのか。そうだ、いきなりアレが現れてわたしを飲み込んだのだ。振り返ったが空気に亀裂は無く、アレは消えていた。途方もない孤独と不安が足枷になり、ただ立ち尽くした。


「え、何でこんなところに…」


足音がしたかと思うと目の前に見たことのないものが現れた。一瞬身構えるがきっとこの世界の生き物だろう。わたしの世界にはわたし達しか居なかったのだから。
どうやら喋れるようだし好都合だと思いフェロモンを纏った。次第にソイツはのろりとした目に変化していく。指令を出すと背を向けて歩き始めた。後に続いて行く。ついさっき、別世界に来て狼狽えていたのにたくましいことだ。
背を見つめる。小さくて、弱い印象を受けた。
わたしはどうなるのだろうと思った。未知の世界で、元の世界に帰れるまでといってもこれからこの生き物の住処で暮らすのだ。まあ、いざとなればさらに濃厚なフェロモンを纏えば何とかなるだろうか。
そういえば久しぶりにフェロモンを使った。そういう機能はあってもわたし達に使う必要なんて何も無い。自分自身に掛けるようなものだ。
そんなどうでもいいことを考えながら暑さに耐えきれず、額を拭った。





その生き物の住処はさらに奥へ奥へ進んだところにあった。中に入るとまるで生活感が無い。他者の気配を感じなかった。手間が省けたなと思う。わざわざまたフェロモンを纏わずに済んだ。
とりあえず周りを探索する。しばらくここで暮らすのだから何かと知っていた方がいいだろう。けどやはりどれも知らないものだった。
未知、未知で溢れている。この世界は一体どこであり、何者なのだろう。適当なものを取る。四角くて、小さいのに何故かずっしりと重いものだった。


「私に何したの」


振り返る。その生命体はわたしを睨んでいた。久しぶりだから調整を間違えたのだろうか。もう一度フェロモンを纏おうとすると「やめてよ」と抗議された。何故か素直にやめてしまった。


「私に、何して欲しいの…」


震えていた。守るように己の腕を抱いている。睨む瞳には怯えも混じっていた。改めて、身体を見比べた。明らかに異質なのだろう。操られている時の記憶はあり、未知のものに操られるままこの部屋に招いてしまい、怯えていると。そうかそうか、ふむ。

そこまで考えて面倒くさくなってもう一度フェロモンを纏った。

しばらくそれが続いた。とうとう諦めた顔をして共同生活が始まった。ほんの数日、月日が流れただけなのにとても楽しかった。操られて尚、気丈に振る舞うコイツがたまらなく面白かったのだ。




それから、文字と知識を教わった。そうしてる内にたくさんの歳月が流れた。
わたしがこのアローラで最初に居た場所は森。そこで見た色彩は草、木、花。わたしが手に取ったものは本。彼女は人間。
鉱石と空とわたし達しか無いわたしの世界とは大違いだった。
この世界には人間とポケモンが居て、ポケモントレーナーと呼ばれる職業があるそうだ。ある程度の年齢になると大半の人間はこの職業に就くらしい。

日々が穏やかに過ぎている。正直、元の世界のことは朧げになっていた。
日々を共にすればするほど、少しずつ、何かが積み重なるのを感じた。
本によるとこれは恋と呼ばれるものらしい。初めての感情であるのに知った時は不思議と納得した。
けれどわたしはこの恋を抱えながら、たまらない不安も抱えていた。
果てに何があるのだろう、だとか。もしも彼女がわたしを好きでいなかったら、わたしはどうなってしまうのだろう、だとか。元の世界などどうでもいいから彼女と一緒に幸せになりたい、だとか。
でも、彼女を前にするとそれも全て消え失せてしまう。それもまたたまらなく幸福で彼女と日々を過ごした。




お互いソファーに座り、テレビを眺めていた。眠る前に彼女はテレビを点ける。いつものことながら内容は一切汲み取ろうとしていない。わたしも一緒になってぼんやり眺めていた。
ちらりと彼女を見る。この時の彼女は纏う雰囲気が一変する。水のような、泥のような、雰囲気を纏うのだ。
構わず、わたしはただ傍に居続けた。


目を見開いた。
唐突にわたしが画面に映り、情報は次々と公開されていった。ウルトラビースト。フェローチェ。◯◯には近づかないように。ウルトラビーストについては今後とも調査────。
次々に駆け巡る文字を追いかけることができない。彼女と目が合う。驚いた顔をしていた。


「そっか……そりゃあポケモンだよね…」


何故か泣きそうな顔をしてわたしを見た。しばらく見つめ合っていると、膝を抱えて顔を隠してしまった。ただただ静寂が続いた。
先ほどの言葉を思い出す。わたしはポケモンなのだろうか。フェローチェと呼ばれたが、わたし達に名前は存在しない。お互いを確立した同個体として認識していたので名前など必要ないのだ。
というか別のわたしがこの世界に来たのだろうか。アレを通して来たのだろうか。
そんなことをぐるぐる考えていると長い眠りから覚めたような感覚に陥った。

そういえば彼女はとっくにトレーナーに適した年齢なのにここにポケモンの姿はない。彼女一人だ。
わたしがここに来てしばらく経つのに彼女は外出らしい外出をしていない。
考えてみればおかしな話だった。何故、彼女は一人なのか。何故、他者と隔絶された暮らしをしているのか。

メモを取り、そこに文字を書き連ねた。
鼻をすする音が止むまで、わたしは待ち続けた。

しばらくして顔を上げた彼女の瞳は腫れぼったくなっていた。わたしのメモに気付く。


「やだ……」


思っていたよりも幼い言葉が返ってきた。どうしようかと考えていると「あなたのそんな顔初めて見た」と笑われた。わたしだってあなたの泣き顔を見るのは初めてだ。
彼女が浅く深呼吸するのを感じた。わたしに寄りかかると、ぽつぽつと喋り始めた。表情は見えない。

「……私、わたしね、昔病弱だったの。だからトレーナーになる時期が遅れて。やっとトレーナーになれるんだってわくわくしていていて、この三匹のうち誰かとパートナーになって……あ、博士からポケモンもらえるのは知ってるよね?それでね、島巡りをするんだってずっとずっとたのしみにしていたの。でも」


俯く。髪が彼女の肩を流れる。その美しい流れを見つめながら再び彼女が口を開くのを待った。


「誰も。誰も私を選んではくれなかった」


立て続けに彼女は言う。


「あの瞳が大嫌いなの。私を憐れむ瞳。小さな頃から病弱でトレーナーになる時期さえ遅れたのに最初の三匹のポケモンに選ばれなかった子ども。あの博士だって言葉は優しかったけど瞳が語ってた。瞳が怖いの。親でさえあの瞳をする。アローラってそういう島なの。怖くて、たまらなくて、出て行ったの。故郷なんて、アローラなんて大嫌い。でも離れられなかった。私の帰るべき場所はここなの。どうしても、故郷はアローラなの」


矢継ぎ早に言葉が吐き出されていく。彼女の頬に涙が伝う気配がした。


「全部大嫌いだけど、あなただけは…フェローチェだけは嫌いじゃないの。おかしいよね。ポケモンにこんな気持ち。優しくしてくれたら誰でも良かったかもしれない。そもそも恋ですら無いのかもしれない。でも、この気持ちは特別だよ」


泣き腫らした目と合う。縋るように伸ばされた手に、ぞわりと全身が震えるの感じた。その手を取らずにいると、彼女はわたしの身体に触れた。


「楽しかったよ。とても楽しかったの。あなたの正体や名前とか全部どうでも良くなるくらい…楽しかった」


それを聞いて、わたしは彼女を抱きしめた。泣き疲れて眠るまで、ただ抱きしめ続けた。

静かな真夜中、彼女の寝息とわたしの呼吸だけが響いている。呼吸に合わせてベットのシーツが上下する。いつもより安堵したような顔で眠っていた。髪に触れる。鋭い指先で何本か切れてしまった。思うようには触れられない。……わたしはポケモンなのだろうか。人間の言葉は理解できるのにわたしもあなたと同じ言葉で伝えることもできない哀れな生き物なのだろうか。自嘲気味に笑う。でも、彼女はわたしを好きだと言ってくれた。それだけで十分だ。

だから、わたしは。

目があった瞬間、全ては通じ、全てを受け入れた。わたしのしたいことがわたし達のしたいことに変わる。
口周りが滴る。構わず食らい続ける。わたしがわたしへと還ってくる感覚。5から1へ。少しずつ、完全に近付いていくのが分かった。本当の完全になるには気の遠くなるほどのわたし達を食らわないといけないのだけれど。
そんなことを考えていたらあっという間に終わった。わたしだった容れものを見つめ、口元を腕で拭って、その場から離れた。
わたし達を取り込んだわたしの身体はさらに軽くなり、星さえも貫けそうな速さで島を駆け巡る。足先に力を込めて、地に足がつく度にこの地を破壊した。
ああ、わたしはウルトラビーストなのかもしれない。月光を浴びながらそんなことを思う。なら獣の名を冠するに相応しい獰猛さを身に纏って、牙を剥いて、全てを砕こう。
待っていて、あなたが全てが憎いならわたしが壊してあげる。何もかもを砕いてあげる。そして二人きりでこの島で暮らそう。邪魔なものは消えて、大好きな土地だけが残って。ああ、きっと永遠に楽しい。

対峙する黒、黒、黒、黒。わたしを睨むその色を纏った者たち。無言で笑って、ついには太陽まで貫けそうなほど速く速く速くその者たちに向かった。




月が海を反射している。その海面に吸い込まれるようだった。
月が何もない土地を照らす。1000年経ったのか100年経ったのか1年経ったのか1日だったのか1日すら経っていないのか。どれを言われても信じられそうだった。
もはや己の身体は白を残していない。何を浴びたかもよく分からない。
帰ろう。と思ったけど力が入らず、砂浜に突っ伏した。初めて来たあの日のことを思い出す。
………ああ、波とは、こんな音をしていたのか。なんだか安心する。


「かぶりん」


知らないあなたの名前を呼んでみる。波音で消されるほど弱い声だった。あなたの名前を知ってもいいかな。そしてわたしの言葉であなたの名を呼んでもいいかな。もし呼んだとしても伝わらないのだろう。それでも構わない。ねえ、目が覚めたら真っ先にあなたに会いに行くから、今は少しだけ瞼を下ろさせて。


果てを砕く 181018

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