しとしと、と細やかに降り始めた雨は思った通り簡単に探し人の痕跡を消していった。加えて道行く人達が帰路を急いで行くものだから、小さな赤い雫はそれこそあっという間に踏みしめられた。

「どこかなぁ、雨宿りとかしてればいいけど、」

隊服が頑丈に出来てるとはいえ、それはあくまで外からの衝撃に対して。血を流して体温が下がった身体を温めてくれたりはしない。
キョロキョロと当たりを見回して耳を澄ますが行き交う人の音がなだれ込んで、息苦しさを感じ足を止めると「急いでるのに邪魔だ」と言わんばかりの苛立ち紛れの音がそこかしこで聞こえて道の端にそそくさと寄った。

「炭治郎みたく鼻が利けば匂いで分かるんだろうなぁ、」

雨の日は嫌いではなかった。押し寄せる他者の音を少しばかり遠のけてくれるから。けれど今はそうじゃない、雨音の中で痛みに耐えて歩く人を探らなければ。
けれど耳を澄ませどそれらしい音が拾えない、もしかしたらこの雨で足を止めているのかも。こうなると炭治郎の鼻や、伊之助の感覚認識の方が探し人を見つけられるだろうに。ほんとに、俺って役立たずだ…。

「って!なに弱気になってんの俺!」

しっかりしろよ我妻善逸!あの美しいしのぶさん、たっての頼み事、それに諾と応えたのは自分じゃないか。どんな理由があるにせよ傷を抱えたままなのはよくない!未来なんてわかんないけど、もし鬼が居なくなったらその女の子にも平穏な日々が待ってるはずだ。そうだよ!女の子は須らく幸せにならなきゃならんと思うわけ!俺は!
謎の決意に満ちた善逸が集中集中と目を瞑って耳を研ぎ澄ませようとした時だった。一羽の鴉が善逸のはるか頭上を横切ていった。今は夕暮れ、しかも雨模様、夜目に弱い鳥類が空を飛ぶ理由は無い。

「鎹鴉だよね。あっちから、…もしかして、」

パシャパシャと水を含んだ土を跳ね上げて走る。耳を澄ませるまでもない、その先に黒い羽織を着た姿が目に入る。その体は頼りなく今にも倒れてしまいそうなのに、塀に手をつきながらそれでも足を前に動かしていた。その体から「痛い、痛い」と音がして、善逸の胸まで苦しくなって声を上げずには居られない。

「ま、待って!そこの、き、鬼殺隊の、その、怪我してるんでしょ?!」

ビクリと肩を揺らしたその人はそのまま足を止めたから、きっと善逸の予想した通り、当人なんだろう。彼女から動揺の音がする。見つかった、と焦る音と、何か不安?驚き?分からないけれど、心臓がものすごい音を立てている。そんなにしんどそうなのにどうして。

そんな怪我したまんまじゃ痛いじゃない!雨も降って寒いから戻ろう?女の子なんだから体を冷やしちゃだめだよ

けれどその人は振り返らない。息を整えようとしても上手くいかないのか、深く空気を吸い込んでも吐き出したのは喘鳴に近いものだった。

「戻ろう、しのぶさんが心配してたよ?濡れたら怪我に良くないよ、あ、歩くの辛いならお、俺で良ければおんぶしますし!しのぶさんに怒られるとか考えてる?そ、そりゃあ怒ったら怖いけど、それは心配してるからだと思うんだよ、うん。だ、だから大丈夫だって!」

善逸ではないのだから怒られるのが怖い、なんて事はないはずで。今すぐ足を歩めようとするその人を引き止める手立てが無いかと懸命に言い募るのに、その人は小さく小さく肩を震わせ大きく息を吐いた、何かを決したように。言わせちゃいけない、その決意に満ちた言葉を言わせたらこの人はずっと遠くに行ってしまう。なのに善逸は息を止めてしまった。

その心音を、その哀切の音を聞いた事がある。

言いたくないのにふり絞るように声にして、悔しい、悲しい、離れたくない、なのに、行かなきゃいけない、ちぎれそうな心を、意識を留めて、一目会いたかったと、元気でと、幸せにと、言葉を残して逝ってしまった人。

「待って、」

自分の鼓動が否応無く耳の奥に響く。こんなに忙しなく動けば当たり前だが息が乱れる。けれど今の善逸に呼吸を整えようとする冷静な意識は浮かばない。だって、だってさあ!!俺は知ってるんだよ!その音を!まさか、ありえない、っでも。あの人とは明らかに違う風貌なのに、脈の打ち方だってそうだ。だけど、だけど、この音を忘れた事なんて善逸は一度だって無かったから。

雨がさぁさぁと二人を隔てるように音を大きくする。濡羽色の羽織りが更に色濃くなって宵に溶け込んでしまいそうでもう一度、待って!と今度は声を張り上げた。

「あ、あの、俺には、その…忘れらんない人がいるんだ!」
「……」
「その人は、俺にとって、すごくすごく大切な人で…っ!」

夢の中でしか会った事は無いけど
ひとりぼっちの俺に寄り添ってくれたんだ
こんなどうしようもない俺にちゃんと価値があるって教えてくれた人
自分の事が嫌いと言った俺に、私は大好き、だから私の好きな善逸を嫌いにならないでと抱きしめてくれた人

「……夢の中だけでもいいから…っ、ずっと、一緒にいて欲しいって思った、」
「……」
「いかないでってっ!でも、引き止められなくて…っ!」

あの人だ、きっとそうだ。だって、俺の勝手な独白に背中を向けるその人から戸惑う音、それから。

「……名前さん、」

呼べば、押し止め切れない嗚咽が雨音を縫って聞こえてくる。

「っ、名前さん…」
「……っ、ふ、う…」
「名前さんっ!!」

バシャリと泥濘にくずおれて、身体を震わせて泣き崩れた人の傍に膝をつき、覗き込むように窺えば涙をはらはらと零す姿はあの頃の彼女よりずっと幼い顔立ちだ。

「…名前さん、なんだよね…?」

ぶんぶんと頭を振るうけど、俺の耳がいいのを知らない筈ないでしょ?そういえば「ひぐっ、」と堪えた嗚咽の塊が噛み締めた唇から漏れた。

「…わ、わたし、」
「うん、」
「ひ、ぅ、ぜ、…善逸に、会いたく…なかった、」
「…そんな事言わないでよぉ、」

そんな冷たい言葉を口にしないで、俺まで悲しくなっちゃうじゃない。

「俺は、俺は…会いたかったよぉ…」
「…ひっく、うぅ、うぇぇ、ぜんいつ、」
「名前ざぁん、うわぁあん!」

二人でびしょびしょに濡れながらわんわん泣いた。
いつの間にか抱き合っていて、そのお互いの温度が懐かしくてまた泣いた。
冷たい雨の中、ただ二人だけが温かかった。




雨の檻、泣き虫二人