「あ"ー!!もう疲れた!!眠たい!!お腹空いた!!」

地面をドスドスと踏みしめて歩けば道端の虫たちがそれに驚いて草の陰に隠れていく小さな音がする。ごめんなさいね!うるさくして!ちなみに今は鬼狩りを終えて既に半日過ぎた黄昏時。いつもならとっくに蝶屋敷に戻って束の間の休息を享受しているはずなのに。けれど遅くなったのも仕方ない。通りすがった村の畦道でぎっくり腰のおばあさんを助けて家まで送り、お医者さんを呼びに行ったらなんと隣町まで往診してると言うではないか。仕方なしにおばあさんの家に戻りお医者さんが来るまであれこれと世話を焼いていたらこんな時間になった訳だ。

「おばあさんはすごいありがとうって言ってくれたからいいんだけどさ」

遅れてやって来た医者だと言う男は善逸を一目見るなり不審と恐怖の音を鳴らした。金髪な容姿もだが何より刀を所持していたことに起因しているのがわかった。仕方ないことだ、廃刀令が出たこの時勢に年端もいかない子供が刀を差してるなんて不審者以外何者でもないだろう。そんな音を間近で聞いていられる程善逸だって人間出来てない。おばあさんは最後まで引き止めようとしてくれたけど善逸はそそくさとその家を後にした。

善逸が再び溜息を零してる間も相棒の鎹雀は善逸の頭上。羽毛に空気を取り込んでいるらしくモコモコとした温かさがてっぺんからじわじわと広がって、疲労でやさぐれた心が少し綻んだ。

「はぁあああ、立て続けの任務はしんどいよぉ、それもこれも鬼の所為なんだって分かってんだけどさぁ、なんでいっつも弱い俺ばっかり呼ばれるの?」

そう思わない?と頭上のふくら雀に声を投げても相棒はチュンチュンと鳴くばかり。だって俺は弱いんだよ?あの那田蜘蛛山でもそうだ、目が覚めたらなんでか全身痛いし毒まみれ、無意識に呼吸を使ってたおかげで毒の巡りが遅くなって命を取り留めた。炭治郎も伊之助も俺が鬼を斬ったんだって言ってくれたし、先だっての遊郭での上弦の鬼との闘いも隠の人や宇髄さんが「そう」だと教えてくれたけど、覚えてないんだから倒した事にはならないとおもうんだよね。
深い深い溜息を吐いてとぼとぼと帰路に着く。夕暮れが何やら物悲しさを連れてきて胸の奥がちょっぴり切ない。早く帰ろう、帰ったら屋敷の看護士達がおかえりと言ってくれる。炭治郎と伊之助が目を覚ましてるかもしれない。そうだ、一眠りしたら禰豆子ちゃんと夜のお散歩をしよう。小さな小川の側でせせらぎを聞くのも悪くないかも。

「うへへぇ、今夜が楽しみぃ。待っててねえ禰豆子ちゃあん」

可愛いあの子を思えば足取りも軽くなる。ふんふんと鼻で歌いながら蝶屋敷へと向かっているとあっという間だ、意気揚々と門を潜ろうとした時、この屋敷に似つかわしくない物が善逸の視界に入った。

「え…あれ、何?」

ここは療養所で当然怪我人もいる。もしかして、急患で運ばれてきた隊員のものなのか。しかし、常なら隠の人達が用心の為にそういった痕跡は消してしまうものなのに。
ちょっと待って、また、鬼の被害なのだろうか?だとして、まさかと思うがこのまま屋敷に足を踏み入れた途端、あの麗しい人が「善逸くん、任務ですよ。」とニッコリ笑って待ち受けてるのではないかと背筋が震えた。

「い、嫌だ嫌だぁああ!!それは嫌すぎなんですけど!俺、帰ったばかりだしっ!寝不足ですし!禰豆子ちゃんとお散歩する予定だってあるんだからお断りしたい!します!」
「うるさいですよ、善逸君」
「ひょげぇえええ!?」

耳の傍で聞こえた当人の声に飛び上がって、尻もちを付き、そのままざかざかざかと両手両足で距離を取ると麗しいご尊顔を貼り付けたしのぶが立っていた。

「し、し、しの、しのぶさんんん!!合図!合図をくださいよおおお!!いきなり至近距離とか俺の心臓がまろびでますからああ!!」
「善逸君、うるさいですよ」
「ひぃ…っ!!申し訳ごさいませんんん!!」

先程と同じ台詞だが貼り付けた笑顔に青筋が立ったと同時に物凄い圧がズシッとかかってきた。瞬時に危機察知能力が働いて地面に額を打ち付ける勢いで土下座をした善逸である。

「ちょうどいい所に。善逸君にお願いがあります」

まさかもう、先程想像した未来が現実となるのかと意識が遠のきかけたのだが、紫色の蠱惑的な瞳を嵌め込んだ顔面がずいっと善逸に近づき男とは違う白い手が肩に置かれて反射的に正気に戻り頬がだらしなく緩んだ。そして「なんなりとお申し付けください!!」と返してしまった直後、己の発言にやってしまったと項垂れた。

でも美人のお願いですし!?断ったら男が廃りますし!?
寝不足がなんだ空腹がなんだ!己を鼓舞しろ我妻善逸!
女性の頼みなら火の中水の中だろ!

「そんな鼻息荒くしなくても大丈夫ですよ。むしろそんなにやる気を出して貰って申し訳ないほど些細な事なので」
「いえ!しのぶさんのように綺麗な女性からのご依頼なら些細なものでも全力で取り組ませてもらいますんで!」

あらあら頼もしい事です。さすが善逸君。善逸の右手を両手で包まれてもう頭のてっぺんから蒸気が上がりそうなほど。
女の人って柔らかい、いい匂いする…としのぶの手の感触を堪能していたが、それは清々しい程あっさり離されて少しがっかり。それで、ですねと続くしのぶの言葉。

「人を探して来て貰いたいんです」
「…人?」
「はい、隊士の方ですが、大変な怪我をしてるのにも関わらず出て行ってしまって…」

しのぶが痛ましい表情で視線を地面に点々と残された赤い跡を追う。え、こんな怪我してるのに出て行った?嘘でしょ?俺ならしないよ絶対に!!ゆっくり療養するよ!もしかして鬼を斬りそびれて…とか、余程切羽詰まった事情でもあったのだろうか?
そんな考えが顔に出たのかしのぶは首を振る。

「鬼は善逸君、あなたが斬ったのでその心配はありません」
「へ?俺が、鬼を?違いますよ!」
「……まあいいでしょう。それで先だって善逸君が応援に向かった山です。その方は背中を怪我してとても今すぐ動ける体ではなかったのですが…」
「えええっ!?あ、あの人って女の人でしたよね!何で出てちゃったの!すごい怪我だったのに…」

あの時、相変わらず目が覚めたら鬼は消えていて倒した覚えは全く無かった。きっと鬼を斬ってすぐ隠の人達が到着して水際に倒れた女の人の応急処置をしていた。松明で照らされたその人の周囲には血溜まりが出来ていて、隊服を剥ぎ取られた白い背中が見えたけど強靭な布を引き裂いた鬼の攻撃は、彼女の華奢な皮膚と肉を容赦なく抉っていた。お嫁入り前の体なのに…俺が代わりに怪我すれば良かったって、本当にそう思った。あの女の人の怪我は気になったけどチュン太郎が早々に次の任務だと報せを運んで来たから嫌々その場を後にしたのだ。

「お、俺っ、すぐ探して来ます!だって、その人今は呼吸使えてないんですよね?」
「そうです。むしろ悪化している可能性が高いでしょう」

呼吸を使えばいくらか傷を塞げるが、こんなに血を流して歩いているということは集中出来ないほど気も漫ろなのだろう。

「私が行ければ良いのですが、何分まだ治療中の隊士もいて…」
「お任せください!この我妻善逸が必ずその人を連れて戻りますから!!」

頬に手を当て憂いの溜息を吐くしのぶはどこかで目にした洋画の淑女のよう。10人中10人の男は願いを叶えるために奔走するだろう。

「じゃあ、俺、行きますから!」
「はい。こちらも準備していますので。よろしくお願いします、善逸君」
「はいいいい!!」

素晴らしい笑顔のしのぶは手を振って見送り善逸はものすごくやる気に満ちて地を蹴った。
地面に残る血痕を追えばすぐ見つかるだろう。
何があったかは分からないけど、女の子なんだから無理しないで欲しい。

「あ、うそ、雨?」

ぽつ、と頬に当たった滴に空を見上げると重重しい雲が少しずつ迫っていた。

「早く見つけなきゃ、」

雨が痕跡を消してしまう前に、
雨音が探し人の音を遠のけてしまう前に、

善逸は深く肺に息を取り込み走り出す。
どうか、自分の手が、足が、届きますようにと。



駆け出す先に