「名前さん、大丈夫?」
「ん、」

荒い息を一飲みしてしっとり濡れた額に纏わりついた前髪を避けて顔を覗き込む。薄ぼんやりした黒い瞳が少しずつ焦点を合わせて善逸を写し込んだのを認めてほぅと安堵の息を吐いた。枕元に手を伸ばして紙を取り少し揉んで名前の腹に吐き出した劣情を拭き取ると上から枯らした声が礼を言う。

「体拭こうか?」
「んーん…しばらくこうしてたい、」

すり、と素肌が胸にすり寄る。汗に濡れた体を冷えないようにと腕の中に閉じ込め蹴散らした布団を手繰り寄せて二人で収まる。気怠げな彼女の頬や額に唇を何度も落とすのが好きだ。この疲労を与えた罪悪感がほんの少しあるけれど自分の手管でトロトロになった姿は征服欲と満足感を善逸にもたらしてくれる。

「んー、くすぐったい」
「ごめんねぇ、可愛いからついつい」

耳朶に吸い付いたら肩を竦めてむずがる様もまた可愛らしい。嫌がる素振りを見せるけど本当は気持ちいい所だって知ってる。だから少し物足りない時にわざと耳を舐めたり甘噛みして欲を引き出し、そのままもう一回と雪崩れ込んだりもするのだけど。今夜は甘やかしたり甘えたりと交わるまで随分時間をかけた所為だろうか、達した時の充実感は常より深かった。
腕に乗せた名前の頭を空いた手で撫で髪を指に絡めて遊ぶ。己とは違う黒くて真っ直ぐな絹糸。汗と石鹸、そして名前の匂いが混じって何とも艶かしい。指に巻いたり戯れにちょっと引っ張ったりしているとくすくすと笑う声が胸元から聞こえる。

「なあに?俺なんか面白い事してた?」
「可愛いことしてるなって思った」
「…可愛くないこと、してあげよっか?」
「蹴りあげるよ?」

そんな物騒なこと言わないでよと自分の足を彼女の足に絡めたら冗談だよと笑う。さすがに蹴りあげられることは無いと信じてるけどさ!今は無防備だからね!色々!
ごそごそ動いて名前の身体をより抱き込むと背中に腕が回る。隙間がないほどくっつくと手のひらが善逸の背中を撫でてくる。それが柔らかさを増している事に申し訳無さ、けれどそれを上回る喜びがある。この小さな掌はもう善逸だけを包んでくれる。
この手は人を守る掌だった。剣胝が何度も潰れさらに硬くなった刀を持つ鬼殺隊の掌だった。善逸の手で簡単に包んでしまえる小さなそれはきっとたくさんの命を救えただろう。だから、ごめんと胸中で謝罪する。それは今も闘う同士へ、彼女が掬えたであろう命へ。
善逸は名前を柔く温かい世界に閉じ込めておきたい、自分の与えうる全てを与えて傍に居ることが幸せだと笑う彼女を幸せなまま死なせてやりたいのだ。少しの手荒れと薄くなった剣胝、ふくらみを取り戻していく手の平が指先があの殺伐とした恐ろしい世界から遠退いている証左。それを喜ばしく思う善逸を鬼に命を奪われた魂や、その家族は恨めしく思っているだろう。けれど譲れないのだ、これだけは。生まれた時から何も持たず、与えられなかった。唯一の優しさと厳しさで善逸を育てだ桑島でさえ、奪われて、溢れ堕ちるばかりのひび割れた箱に飛び込んで来てくれた宝をどうしてそう易々と手放せるものか。

「ねえ、名前さん」
「んー?」

汗も引いて二人の体温で温かくなった温もりに睡魔が誘われて来たようで名前の声は眠たげ。だから、ちょうどいいや、聞こえてなくてもいい、覚えてなくてもいいよ。

「ずっと俺だけを愛して」

小さく微笑った彼女は善逸の顔を引き寄せて耳元で囁く。それを聞いた善逸はぎゅうぎゅうと抱き締めるから名前が苦しい苦しいと身を捩る。

他の誰にも望まない、あなただけが俺にくれれば、それだけでいいんだ。それがあれば俺は−。



愛の福音