あれから何年経ったのかな。数えてみて思うほど月日は過ぎていないことに内心驚く。そう考えると鬼殺隊に入ってからずいぶんと濃い日々を過ごしているんだと善逸は溜め息を溢した。
自分は弱い、なぜ生き残っているのか不思議でたまらない。怖い嫌だと恐れながも任務で鬼を倒しに出ると知らないうちに鬼を倒している。気づけば鬼は塵のように消えていく場面ばかり。誰かが自分の代わりに鬼の首を斬ってくれているんだろうと炭治郎達に言えば

「お前が斬ってんだっての!」
「善逸はもう少し自分に自信を持っていいぞ」

と何回言っても同じ答えが返ってくる。俺は俺の事好きじゃないから自信なんて持てない。でも自分を嫌い、とは言えない言いたくない。だってさ、俺が俺を嫌いになったら鬼殺隊士として育ててくれたじいちゃんを否定することになるんじゃないかって。それから、こんな俺の事、大切に思ってくれる炭治郎や伊之助にも申し訳ない。そうしてもう一人

「善逸は可愛いね」
「善逸の髪も目も綺麗でいいね」
「善逸はやれば出来る子」
「善逸大好きよ」

自分でどんなに否定してもこんな俺を好きだ、って大丈夫だと言ってくれた人。夢の中だけど抱き締めて甘やかしてくれた人。
ねえ名前さん、俺さ、ほんのちょっぴりだけど自分の事認めたいって思うようになったよ。あなたが思い描く俺ではないかもだけど。

「お帰りなさいませ、ご無事でのご帰還お喜び申し上げます」
「は、はい…ありがとうございます、」
「お疲れでしょう、お怪我はありませんか?なければお風呂を用意してますからそちらをお先にどうぞ。」

藤の花紋の家はいつでも鬼殺隊士にその門戸を開いてくれる。任務地の近くのこの屋敷には昨日からお世話になっていて、なんとか鬼を倒し、まだ夜も深い内に戻ったにも関わらず善逸を温かく迎えてくれた。

今日も生きてる

たっぷりのお湯を湛えた湯船に体を沈ませ深い息を吐く。少し熱めの温度が冷えた体にビリビリと染み、次いでゆっくりと緊張が抜けていく。ほわほわと上がる湯気と一緒に欠伸まで出てしまった。今日は疲れたなぁと、両手で掬ったお湯で顔をごしごしと洗う。

今日も生きてるよ名前さん

鬼は怖い、任務に行きたくない、でも今の俺にはそれが生きる術で糧。昔に比べたら随分と恵まれた環境にいると思うよ?ご飯を食べられて暖かい布団で眠れお風呂にも入れる、お給金も正当な金額、命をかけてるけどね!
死ぬ死ぬ言ってるけど生きることは諦めてない。鍛えられた体は危機に反射し動いて、俺を生かしてる。それが誰かを助けているんだと思えるようになってきたよ。

暖かい湯船に浸かっていると頭がぼやぼやとして睡魔が襲う。せっかく生きて帰って来たのに湯船で溺れ死ぬなんて笑えない、早々に風呂から上がり用意されていた寝巻きを纏う。部屋に戻ればすぐにお膳が運ばれた。

「いただきます」

手を合わせてご飯をいただく。つやつやのご飯、出汁の利いた汁椀、味の滲みた煮物に焼き魚。お腹いっぱい食べれるようにとお櫃を用意してくれている。至れり尽くせりとはこの事だ。美味しい。一口一口噛み締めて味わう幸せ。だけど少し寂しい。炭治郎、伊之助の三人で食べたご飯は賑やかで楽しかったなぁ。炭治郎も伊之助も、あの吉原での戦いで大きな怪我を負い未だ目を覚まさない。自分も両足骨折していたが大きな怪我と言えばそれだけだった。次の日には意識が戻って骨折の痛みに喚いた。が、しのぶさんの怖い笑顔に俺の声は引っ込んで大人しく治療に専念させられた。おかげで任務に復帰出来ました。正直言うともっとゆっくりしたかったけど。

「そろそろ目が覚めてないかな、二人とも」

明日任務がなければ蝶屋敷に行ってみよう。屋敷の女の子達や兄の目覚めを待つ禰豆子ちゃんに何かお土産を用意して。可愛い女の子はやっぱり好きだ。柔らかくてふわふわして綿菓子みたい。誰でも良いって訳じゃないけど優しくされると嬉しくなるし、もっととも思う。それが欲しくて、俺だけに向けてくれる人が居ないかと周りを見るけど、そんな人はやっぱり居ない。いつか出会えるのかな?名前さん、こればっかりはまだまだ果たせそうにないよ。

一人での少し寂しい食事を終えると寝床を用意しますね、と家主がお膳を下げてくれた。疲れと満腹感でいよいよ睡魔が本気を出してきたのか、かなり眠い。布団ぐらい自分で敷こうと押し入れを開けて敷き布団を下ろした時にひらりと何かが一緒に落ちた。なんだろう?

「紐…?」

落ちたそれを拾い上げればそれは紐だった。だけど紐よりも幅広く色は山吹色より明るい菜の花色。長さは結い紐ほどあるそれを見たことがある。蝶屋敷の三人娘が治療した隊士からお礼としてもらったと嬉しそうに見せてくれた髪結い紐、上質な生地でリボンだと教えてくれた。家主の娘さんか誰かのだろうか、菜の花色が目に鮮やかで、春を思わせる色。自分の髪色に似てるなぁなんてぼけっと眺めていると、戻った家主が敷きかけの布団を整えてくれ、善逸が持つリボンを目にすると「そこにあったんですね」と残念そうに呟いた。

「あ、えっと、誰か知り合いの人のですか?」
「いえ、先日、あなたと同じ鬼殺の方のお世話をさせていただいたのですが…」

隊服の上に濡羽色の羽織を纏った方でした。ここを発つまで探しておられたのですが見つからずとても残念そうにして出て行かれました。

「大事な物、だったのかな」
「それもそうですが、かの人曰く、乙女心だと仰っておりました」
「乙女心?」

はい、と返した家主が思い出したのか微笑ましく笑い

「お相手の方を見立ててるそうで、絶対に会いたいんだと仰ってました。」
「そうなんだ…」

菜の花色のその人はきっと春の陽だまりを連想するように温かく穏やかな男性なんだろうな。どういう経緯かは自分には到底分からないけれど、鬼殺隊という殺伐とした組織に身を置きながら大切な人の為に命をかけているとか、すごく情熱的な女性なんだろう。
……くっそ羨ましいわ!心の底から羨ましいよ!菜の花色の野郎!!俺にもそんな女の子居ないかなぁ!!そしたら俺、百でも二百でも鬼を倒しちゃうのにさ!

悔しさと妬ましさでギリギリと歯軋りする善逸だがリボンに罪はない。女の子にも罪はない。…野郎にも罪はない。多分。皺にならないようそっと家主に「いつかまたここに来たなら、渡してあげてください」と家主に預けると家主は「そうですね、」と大切そうに折り畳んで部屋を後にした。
その足音が遠ざかるのを耳にして布団に潜り込む。自分の体温でぬくぬくとしてくるのに、指先が冷たい。

濡羽色の羽織を着た、菜の花色のリボンをつけていた女の子。女の子だからもっと華やかな色合いもあるだろうに敢えて黒を羽織る女の子はどんな気持ちで鬼を倒す日々を送っているんだろう。早く会えたらいいね、鬼が居なくなって二人で笑い合ってほしいな。そうだ、俺が頑張ったら女の子がその分鬼を倒さなくても良くなるかもしれない。女の子は須く幸せになる権利があるんだ、そうなる未来が少しでも近づくなら俺が頑張る甲斐もあるってものだ。
女の子は好きだ。柔らかくて甘い匂いがしてふわふわして。彼女らは好きな人と向き合うととても幸せそうな音がする。りんりんと鈴を転がす様な、花がポンポンと綻ぶみたいな、こちらが思わず微笑んでしまう、可愛い音。そんな音を君も奏でて欲しい。

顔も知らない君だけど、どうか生きてください。菜の花色の大切な人と会えることを願ってます。あなたが少しでも大切な人と会えるよう、俺も頑張って鬼を倒すからね。

冷たかった指先が少しずつ暖まり睡魔が善逸を眠りの世界へ連れていく。名前さん、また、死ねない理由を見つけたよ。だからさ、いつか、いつか夢の中でも、ずっと先の未来でもいいよ。頑張ったねって、頭を撫でてよね。

コロリと落ちた小さな粒は誰にも知られないで、敷布に吸い込まれた。



.菜の花色のよすが