気味が悪い

纏わりつくじめじめとした空気と日が暮れた森の中で井藤は思った。鬱蒼とした森の中、光源は木々の隙間から漏れるように落ちる僅かな月明かりだけ。鬼が出てもなんら不思議ではない夜の闇。そんな井藤を導くように先を行く明るい金糸は鳴柱。あの怯えは何だったのかと言うような足取りで森の奥へ奥へと進んで行く。しかも迷いなく、この先に「何か」があると思わせるように足早に。

「な、鳴柱様、この先に橋田が?」
「うん、恐らく、追われてる」
「!?」
「鬼だ」

井藤が速度を上げてくるのに気づいた善逸も足を速める。
橋田は選抜試験を共に潜り抜けた同期だ。よく任務も一緒になり二人で何体も鬼を斬ってきた。過去を詳しく詮索したことはないが、鬼殺隊に身を置いている隊士らの理由は須く皆似たような境遇から。橋田は好戦的な性格をしてるが故かいつも前に前に出て誰よりも早く鬼を見つけ、勇敢に挑んでいく。だからと言って考えなしではなく、周りをよく見て判断も出来る人間だ。それなりに自信もあったはず。そんな橋田が「追われている」事実に、今までに無い鬼と遭遇したのだと井藤は焦る。
だが先を急ぎたい井藤の足を止めたのは前を走っていた善逸。ここら辺りなのかと井藤は日輪刀の鯉口を切ったが善逸はしゃがんで何かを拾い、それを見た井藤が息を飲んだ。

「そ、それ」
「橋田くんに渡した包みだね」

それは鳴柱の奥方が井藤と橋田にくれた紺色の包み。何かの拍子に落としたのだろうか、口は絞られたまま、椚の木の下に転がっていたものだった。

「鳴柱様、は、橋田は…」

ゴクリと空唾を飲み込んで井藤がその先を見渡せば低木の枝葉が不自然に折れ曲がり足元の落ち葉は踏み荒らされている。その範囲は広い。そして、その先に転がるものを視界に入れた途端臭気が鼻を突き目を反らして口を押さえた。

「…恐らく、あの子の父親だろうね、」

正確には父親だったもの。それはもう人としての形をとってはいないから。善逸は痛ましげにそれを目にし手を合わせる。「後で必ず埋葬します、今は許してください」それを見ている井藤にいつかの自分を重ねた。あの時は炭治郎がこうしていたっけ、と。恐怖で怯え足を震わせて行きたくないとごねる善逸に向けた炭治郎の表情はきっと何年経っても記憶に刻まれて消えることはないだろう。

「井藤くん、ここから北北東に向かって行って、」
「な、鳴柱様は?」
「先に行く」

先にって、確かに鳴柱は足が速いと聞いてはいたが置いていくほどなのかと焦りと少しの苛立ちが頭に過る。井藤の感情をどう読み取ったのか善逸は苦笑うとすう、と息を吐く。そして「それ、預けたからね」と井藤が持つ包みを見てふわりと笑い、息を吐くとドンッ!!と地響きを置いて善逸は消えた。

「な、え…?」

一瞬の事に井藤は何が起きたかと分からなかった。だが鳴柱が居たそこに抉れた地面と肌を掠める微細なピリピリとした痛みに彼がその身技でもって橋田の元へ向かったのだと理解すると井藤は強張る体に力を入れ足を動かした。何を呆けてんだ、自分の仲間だろう、上司に甘えてどうする、必ず助けてみせる、だから橋田、お前も頑張れと。鳴柱に指差された方角で真白い閃光が見えた。


□□□□□

息を、息を整えろ。
そう頭の中では理解しているが状況が許さない。四方八方から延びてくる鬼の手は触手のように伸び縮みする上、遠心力が加わり殺傷力を増して橋田に襲い掛かる。なんとか往なしていたが如何せん長時間の対峙は体力を削ぎ落としてくる。加えて対峙する鬼はそんな橋田を嘲るようにじわじわと追い詰めながらケタケタと笑う。歴然とした力の差を思い知るにつけ悔しさに歯噛みした。

現れた鬼の姿に体が凍り付いた。その姿は橋田から家族を奪った鬼を彷彿とさせるに十分ですぐに刀を抜いて鬼と相対したが防戦一方でその体に傷一つ負わせる事が出来ない。熊の様な巨躯と伸びる触手のような腕。こちらが与えた刀傷はたちどころに消え、鬼は己の優位を疑わず益々愉悦に塗れ橋田を嬲り続けた。

「どうシタ鬼狩り!俺をコロすんじゃないノカ!?」

逃げてばかりじゃ俺を倒せないぞ、と揶揄する鬼が腹立たしい。しかし現実に橋田の体はじわじわと迫り来る死への恐怖に更に呼吸が乱れていく。こんな所で死ねない、死んでたまるか、俺はこれからも鬼を倒すんだ、父を母を、兄を弟を殺した鬼共を許してたまるか。その怒りを糧に足に力を込めて腕を狙う触手を薙ぎ払う。そのまま鬼の懐近く飛び込み首を狙うが、いつの間に生えたのか三本目の触手が橋田の足を襲った。

「なんダア?もうシマイか?」
「…う、うるさい!!」

常なら呼吸で血を止める事など造作もないのに今はそれすら出来ぬほど息が乱れ立ち上がることすら出来ない。死ぬ、死ぬ、死んでしまう。覚悟なんて当にしたはずだ、なのに今、眼前の死が恐ろしい。それでも鬼殺隊としての矜持が刀を手放す事しなかった。

「ヒャハハハッ!ソンナ震えたまんまジャ俺のクビは斬れないぜ」

ジリジリと近づく鬼。その足だけで橋田の下半身を潰してしまいそうだ。剣先を向けるもその刃先は震えている。もう終わりだ、ここで俺は死ぬ。ガクガクと体が震え脂汗が体中から吹き出る。満足に正しい呼吸も出来ないではっはっと荒い息だけが吐き出される。戯れに伸びた爪が簡単に日輪刀を橋田の手から軽々と弾き飛ばし、絶望が心臓を鷲掴む。持つ手に力がなくともあれだけは、日輪刀だけはと思っていたのに意図も容易く己の手から離された。涙と洟が垂れ尻を着いたまま後退るも鬼の手が逃がすかと橋田の腕を掴み目の前に持ち上げジュルリと舌舐りをした。嫌だ嫌だ死にたくない。

「ヒッヒッ、お前はドウやって喰ってやろうカ、あの人間ヨリ肉はヤワラかで旨そうだ」
「ひいっ!?やめろ!父ちゃん母ちゃん!!」

助けて!!

ザシュ、と質量のある物が研がれた何かで斬られて音がして橋田の体が一瞬浮いた、が直ぐに腹に力強い腕が回り重力に逆らう事なくそのまま地に降り立った。

「ひいいいい!何これ何これ!?この手なに!?熊みたいなのになんでこんな気持ち悪い腕生えてんの!?おかしすぎじゃない!?」
「…!」

気がつけば橋田は地に下ろされ、呆気に取られて見上げればそこに金糸を靡かせた姿があった。

「……な、鳴柱さま、っ!」
「が、頑張ったね!怪我は?」
「あ、足を、」
「血止めは?ある?」
「あり、ます!」

来てくれた、救われた、命を掬われた。涙が止まらない。「生」をこれほどまでありがたく思ったことが過去あっただろうか。恐怖での震えは生への喜びに変わり体から強張りが抜けて呼吸がしやすくなる。

「息を整えて手当てして、出来るかな?」
「は、はいっ!」
「直ぐに井藤くんも駆け付けるから、安心して」
「……っ、は、はいっ、はいっ!」

橋田が喘鳴を整え善逸に鬼の情報を伝えると彼は「ありがとう」とふわり笑んだ。上司に対しあるまじき態度を取ったのに、こんな自分を助けにきてくれた、見捨てないで、くれた。涙で滲んだ視界に煌めかしい金色が神々しかった。

「キサま、よくも食事の邪魔をしてクレたな!まあいい、お前も俺様の胃袋に納めてヤロウ!」
「お、お前なんかの胃袋に納まってたまるか!俺はなぁ、ものすごく弱いけどやれば出来る男なんだよ!!」

だよね名前さぁああん!!と何処かに向けて善逸が吠えた。橋田は一瞬呆けたが「雷の呼吸、」と善逸が構えた瞬間、鬼の腕が彼の体を吹き飛ばそうと横薙ぎに入ったがすでに善逸は木の上に飛んでいた。それを憎々しげに睨む鬼はすかさず腕を振り上げるがそれを善逸は刀で往なすと宙を舞いながら大きく息を吐き出す音が聞こえた。

「ちょこマカと飛び回んジャねえ!!」
「雷の呼吸、」

橋田が目を見開いた、一瞬だ、一瞬で終わる。善逸は着地した衝撃を足に蓄え地を蹴り跳躍する、そこまではまるで時間が止まってるかのようにゆっくりだった、のに。

「壱ノ型、」

轟音が空気を、木々を、大地を身体を揺らす、こんなの雷じゃあない、神の鉄槌
そんな音を置き去りに善逸は稲妻となる。

「霹靂一閃!」

刹那の爆発的な真白い閃光、時が止まったその世界を善逸だけが支配する。

そう、だ彼は、雷神様だ

橋田が呟いた時にはもう鬼の頸は体から放たれ弧を描いていた。


□□□□□

この近くには鬼は居ないけど念のためと、追い付いた井藤に橋田を任せて善逸が見回りの為その場を離れると、二人は大きく息を吸って先ほどの余韻をゆっくりゆっくり吐き出した。

「…なぁ、見た?」
「見た、雷の呼吸の技、見たことはあったけど、」
「あれは別物だよなぁ、」
「…ほんと、凄かった」

今でもまだ身体が高ぶり、僅かに手が震えている。井藤も幸運にも居合わせること出来、その身技を目に焼き付けていた。隊士の中には雷の呼吸の使い手は居るのはいるが、当然だが格が違いすぎる。自分達とは質も、速さも、冴えも、威力も全く違う別次元のもの、それは至高の域だ。

「届かないな、」

宙に目をやってももうそこには夜の静寂が広がるだけで何もない。それでも橋田の目に駆け上がる瞬烈な一閃が見えていた。「忘れられない、鮮烈な雷光」確かにそうだった。

「橋田なら、届くさ」
「気休めならいらねぇよ」
「今は気休めと思ってればいい。だけど、俺はいつも努力してるお前を知ってる」

だから、いつかきっと届くさ

「ほら、出来た」と、包帯を巻き終えた井藤が橋田に笑むと鼻の奥がつんとしてして目に膜が張りそうになったから慌ててそっぽを向いた。誰かが認めてくれている、それがほんの少しだけど自信になる。ありがとうと小さく囁いた声に井藤は仲間だろと笑った。

「あー!やだやだやだ、真っ暗な山って気味悪い鬼が居なくっても怖いわ!早く人心地着きたい!お腹空いたよお!」

大きな独り言を喚きながら戻ってきた善逸に橋田と井藤は笑いながら迎える。そして、井藤が橋田を支えて二人で頭を下げた。

「勝手な判断で個人行動して申し訳ありません、助けてくださって、ありがとうございました!」
「鳴柱様のお蔭で仲間を失わずすみました!」
「いや、そんな、元はさ俺が情けないとこ見せたからだしね!」
「そうですね、それは否定しません!」
「ええええ!ちょっと橋田くん、そこはそんなことありませんじゃないの!?」
「もう少ししゃんとした方が良いと思います」
「やだもう!ごめんなさいね!」
「我妻さん」
「今度はなにっ!?どんな言葉の刃で俺を突き刺すの!?」
「かっこ良かったです!」

「へ?」と驚いた顔が見る見る赤くなって「な、なななな何言ってんの!そんな、俺が、かかかかっこいいとかさぁ!」とニヨニヨしている姿はあまりよろしくはなかった。

「え、なんで急に二人とも黙るの!?」
「我妻さんって、残念な人ですね」
「我妻さん、ほんと、もったいない」
「ええええええ!?なんなのなんなの!?上げたり下げたり俺をどうしたいの二人とも!」

橋田を真ん中に善逸と井藤が支えながら山を下りて行く。行き掛けが嘘のように三人は色々話して笑った。善逸の惚気話がすごかったのはご愛敬というところか。そうして少女の父親を埋葬し手を合わせ、せめて何か形見をと着物の端切れを懐にして、また足を進めたがまだ夜明けには少し早い、村人もきっと夢の中だろう。
善逸は少し休もうかと橋田を下ろすと井藤と木枝を集めて火を熾こした。その焚き火を囲むように座ると暗闇にポウっと灯った明かりはほっとさせた。

「疲れたよね、」

ふっと笑った善逸に疲労は見られない。橋田と井藤はここでも格の違いを見せられていたが、突然腹の鳴る音が聞こえた。橋田と井藤がお前か?俺じゃないよ、お前じゃないの?いや、違うし。と目で会話をして、じゃああとは一人しか居ないと二人で善逸を見ると俯いて両手で顔を覆っていた。

「ごめんなさいね、上司が空気も読まず腹の音盛大に鳴らして!」
「いや、俺も腹減りました!」
「お、俺もです!我妻さんが鳴らさなかったら俺の腹が鳴ってました!」
「いやあーーー!返って恥ずかし過ぎるんですけどー!頼むから他の柱の人には内緒にして!頼むからー!」

橋田と井藤がたえられなくて吹き出し笑いながら

「柱との内緒事なんてなかなかないぞ、ぶふっ、」
「我妻さん安心してください、誰にも言いませんよ、あはは」
「も、もう!なんだよ二人してぇ!俺は先に飯を食べる!食わせて貰うからな!」

そう言い善逸は羽織を捲りベルトに括り着けていたらしい包みを解くと拗ねたような顔はたちまち幸せそうに緩んでいく。そうして竹の皮を開くとしっかりと握られている海苔で包まれたおにぎり。それを頬張ると善逸はそれはそれは嬉しそうに顔を綻ばせた。それを見て井藤は拾った橋田の分の包みを手渡すと少し神妙な顔をした。橋田?とその表情の意を窺うが何でもないと縛った口を解いた。

「井藤くん達のおにぎりの具なに?」
「え?」
「俺のはねぇ、鮭と紫蘇!ちょっとしょっぱい鮭と紫蘇が相性抜群で好きなんだ!」

おにぎりなんて塩おむすびかよくて梅干しが入ってるぐらいと思っていた二人は驚いたがもっくもっくと口にして「この胡麻がまたいいんだよ」と鮭の橙、紫蘇の緑が混ぜられたおにぎりをそれはそれは美味しそうに食べるから二人それぞれのおにぎりにかぶりついた。

「…!」
「っ、」
「あ、なになにー?あ!橋田君のカリカリ梅としらす!酸っぱいと海の香りの組み合わせいいよね、井藤君の…あー!小エビの天ぷら入ったやつじゃん、天つゆがご飯にも染みて美味しいんだよ!」

ちょっとした衝撃にも耐えられるようにか割りと固く握られたおにぎり。そして女性の手で握るには大きなおにぎり。井藤と橋田は各々のおにぎりをガツガツと口に押し込む。喉につかえそうになって慌てて竹筒の水で流し込んだりしながら一つ目をあっという間に食べ終わった。

「お、おいしかった…まさか天ぷらが入ってるなんて」
「しらすが柔らかくて、ふわふわなのに梅がカリカリで、すごい食感でうまかった、です」
「でしょでしょ!もっと誉めてくれていいよ!」

自分が誉められたみたいに喜ぶ善逸がほらほら、もう一つも食べてみてよ!と促してくるので、三人で視線を合わせ、せーのでかぶりつく。そして無言でもごもごと口を動かしごくんと飲み込む。

「俺の肉の塊入ってた…柔らかい…」
「そぼろと、刻んだ生姜がピリッとして美味しい」
「橋田君の豚の角煮で井藤君のは鶏肉のそぼろ、名前さんの得意料理なんだよ」

どうやら一つは王道、真ん中に具を入れるおにぎりで、もう一つはまぜご飯だったよう。しかも全部内容が違う。だから二人は当然善逸のおにぎりの具が気になった。その視線に気づいた善逸は「え?あげないよ!?これ俺のだし!」とさっと隠そうとする。いや、見せてくれるだけでいいのに、と。だが、まぁ橋田と井藤は短いやり取りの中で善逸が何に大変な思い入れをしているかもう知ってる。

「我妻さんの奥様のおにぎりスッゴク美味しいですよね」
「俺、こんな美味しいおにぎり初めて食べました!」
「おにぎりにおかずを入れるなんて革新的です」
「きっとお料理も得意なんでしょう?」
「今、召し上がってるおにぎりもきっと我妻さんの好きな物なんですよね」
「愛されてますね、我妻さん羨ましいです」
「そぉおおおなんだよおお!!俺のお嫁さんすごく料理上手で可愛いんだよ!!わかってくれる?君たちいい人だよねっ!あ、でもやらないからな」

それはおにぎりか奥様か、まあどっちもだろうけど。いやいやいりません、というかそんなこと言ったら一撃必殺の技で死にそうなので言いません。で、我妻さんのおにぎりなんですかと催促すると「梅干しだよ」と言う。

「梅干し、ですか?」
「うん、そう。すっごくしょっぱくて酸っぱいんだ」

見せてくれたのは本当に白い米の真ん中に大きな赤い梅干し。善逸はまた一口齧り「ん〜酸っぱいい!」と見てるこちらの口の中に唾液が溢れる顔をして、それでも美味しそうに口を動かした。てっきり橋田や井藤のおにぎりのような具が入っているかと思っていたのだが。

「これ、俺の育手だった師範ちの梅干しで、たまに食べたくなるんだよ。」

厳密には師範の、桑島家のではない。食卓に梅干しが出た時思い出話で「じいちゃんちの梅干しが物凄くしょっぱくて酸っぱかった」と語ったところ、「じゃあ作ってみようか」と名前が言ったのがきっかけだった。作り方を知ってるんだと聞けば「師範に叩き込まれた…」と遠い目をしていた。彼女の師範は鬼殺の修行もそうだが料理に関してもかなり厳しかったらしい。まぁ、確かにかなり闊達とした方…かなりどころかとんでもねぇ人だったけど。と善逸も一瞬遠い目になってしまった。

「ま、まぁ、そんな訳でこれは初心忘るべからず!的なお嫁さんの励ましなんだよね。」

そうして照れ臭そうにしながらむくむくとおにぎりを頬張る善逸に井藤が素敵な奥様ですねとほっこり笑う。そんな二人を視界から外して橋田は己自身を振り返る。自分は自分を少し過信していたのではないか、今まで生き抜いて来れたのは確かに自身の力でもあるけれどそれだけではなかったはずで。運に助けられ、仲間に助けられてきた。運も実力のうち、そうかも知れない、だが鬼殺隊に置いてそんな「運」にばかり当たる訳ではない。いつだって誰かの命の上に立っている。それを忘れた事はないけれど、生き残れている事に驕りや慢心があったから、善逸に蔑みの視線や暴言を投げることが出来たんじゃないか。なんて恥ずかしいことを。

ぐっと拳を握りおにぎりを頬張る。大きな肉の塊は見た目に反して口に入れると繊維がほろほろとほどけて喉の奥に消えていく。そのやわい優しさが体に染みた。醤油味のタレが白飯に絡んで旨い。一つ一つ違う味、手の込んだおにぎりに奥方の愛情が垣間見えて目の奥が熱くなる。自分の母はこんな大層な物なんてきっと用意出来ないだろう、けれどきっと無事を願って粗末ながら握ってくれたはずだ。一度手放した事を胸中で詫び、そして気づいてくれた善逸と井藤に感謝しながらおにぎりを飲み込むと腹の奥から温かくなった。
この味を忘れない。そして、この日を忘れない。

「そろそろ、夜が明ける。村の人達も目を覚ますだろうから、行こうか」

善逸の声に二人立ち上がる。痛み止めが効いたのか橋田は井藤だけの支えで歩く事が出来た。白々と明けていく空は山の縁を群青から淡い色に染めていく。鳥が目覚め囀り今日と言う1日が始まる。たった数時間なのに昨日と今日の自分が全く違うと目の前を歩む金色の人を見て思う。

「今日から村の人達も、心安らかに休める。夜に怯えなくていい。俺達の出来る事なんて鬼を滅する事だけなんだけど、無意味じゃないんだよね」

失った命は戻らないが明るい確かな未来を迎えさせてあげられる。

「それってさ、すごい事だと思わない?」

振り向いた彼の人はそれは優しく微笑んで、まるで春陽のようだ。けれど、きっとその体の中に揺るがない熱い信念があるのだろう。
井藤も何か感じるところがあるのか息を詰めて彼を見ていた。

「我妻さん、」
「ん?」
「俺、またあなたと会いたいです、」
「うん」
「俺も、」
「うん、ありがとう」

じゃあ、お互い生きて行かなきゃね

子供のように笑う善逸に二人は勢いよく返事する。


いつか、また。不確かな明日だけれど約束しよう。
きっと追い付く未来を、共に並び闘える未来を
その時には、彼の人の伴侶が握るおにぎりをねだってみよう。
惚気と自慢が付いてくる愛情深い、とても美味しいおにぎりを。



おにぎりころり 後