「どういうこと!?一体全体本当どういうこと!?なんでだよ!俺なんかした!?有り得ないんですけどおおお!!」

善逸の嘆く大声に木の葉がさざめき小動物が驚き巣穴に潜りこだまは山の向こうに消えて行った。ざっくざっくと足音を鳴らしながら歩く音は相当苛立たしげで、音の主がかなりお冠なのがわかる。そして件の彼はひたすら「有り得ねぇ!有り得ねぇわ!ちくしょー!帰ったら覚えてろよイケメン筋肉達磨ー!!!」と、特定の相手に向け暴言を吐き散らしながら目指す森の洞窟へと足を進めていたのだった。

さかのぼること一週間前、蝶屋敷にて治療、回復訓練を行っていた善逸がめでたく退院することになった。昏睡状態から目が覚めるまでは愛するお嫁さんが付きっきりで居てくれたのだが、容態が安定すると通いのお見舞いになってしまった。とても残念だけど、毎日顔を出してくれたし、二人っきりになったら手を繋いだり、時には口吸いしたりして、それはそれは充実した入院生活だった。そして、退院の日が決まった時には善逸はもうほんとに力の限りガッツポーズした。拳を突き上げて両の目から涙を溢すぐらい嬉しかった。やっと、やっとだ!と。
リンゴジャム!焼きリンゴ!そして、そして、名前さんとホニャララできるっ!!
他人に言ったらケダモノ!と言われるかもしれないが、ほんとにほんとにお嫁さんを抱きたくて仕方なかったのだ。だって一応新婚だし、ほら、ずーっと致してないじゃない?口吸いだけじゃ我慢できなくて、何度襲いかかりそうになったか!俺の理性の鍛練かよ!そんな鍛練したくないわ!と。それでも名前が羞じらいながら「私も我慢してるんだから」なんて言うから善逸も理性を総動員させて耐えていたのだ。そして、ついに解禁される日がやって来た!

お世話になりましたと蝶屋敷の皆にお礼を言い、弾む心と体で屋敷の玄関を開けた瞬間、すぐに閉めた。途端にドコドコと大太鼓を叩くような苛立ちを表す重低音が善逸の耳を襲った。こ、これは聞き覚え有りすぎる音だ。なんでこの人がここに居るのか、いや、ほら薬とか貰いに来たのかもと思ったが、あのお宅はある事情から自分達で薬を作り上げる事が出来るから、蝶屋敷で調達することはまず無い。ならお見舞いか?だが、開けた瞬間善逸を見てニタリと笑ったのと、恐らくわざと心音を抑えてこちらに気付かせなかった経緯を考えて、どう考えても善逸に用がある、という結論しかない。そして善逸が思考を飛ばしてる間、必死に押さえていた玄関は双方の攻防にミシミシと音を立て始める。そして軍配は引退しても柱というのを差っ引いても筋肉量がまるで違うあちらに有利なようで。じわじわと開いていく隙間から覗く顔はそりゃあもう凶悪で、善逸は「ひぃ!?」と声を上げ、そして勝負はあった。

「いよぉ、善逸ぅ、今日退院だってなぁ?おめでとぉさん」
「ひぃいいい!!そ、それおめでとうって顔じゃないよね!なにそのおっそろしい顔と音!?」

ぐわしと善逸の頭を体に見合った大きな手で鷲掴んだ宇髄はぎちぎちと力を込めてくる、痛いやめて離せと騒ぐ善逸なんて何のその。そのまま玄関から引きずり出すと、ずんずんと歩き出すではないか。

「痛い痛い痛い痛い!ちょっと何処に連れてくんですか!?俺は今から可愛いお嫁さんが待つ家に帰るの!帰りたいの!帰らせろよこの…ぎぃやぁあぁあぁあ!頭潰れる!潰れるから!」
「あ"ぁん?帰らせる訳無えだろ。お前ん事だ「聞こえてた」だろ?みっちりしごいてやるってなぁ」
「聞こえてた確かに聞こえてましたよ?でもそれは話の流れ的なあれだよね?世間話的なあれですよねぇええ!?だがしかし俺は引きずられてる訳で!この道筋は明らかに宇髄さんちに向かってる訳で!嫌だぁああ!!名前さーん!!俺は家に帰ってリンゴジャムと焼きリンゴと名前さんを堪能するんだよ!名前さん名前さん名前さぁあああぐえっ!?」

頭を掴んでいた手を離して貰えたと思ったのも束の間、今度は胸ぐらを掴まれ持ち上げられ足が地を離れた。この怪力お化け!と口に出しかけたが、止まった。だって目の前に阿修羅がいる。やばい、これはマジで怒ってる。聞きたくないが隠すつもりもない宇髄の音は地鳴りのようだ。

「善逸、てめぇの命はもう、てめぇだけのモンじゃねぇんだ。わかってんのか?」
「わ、わかってるよ!」
「なら、しごかれる理由もわかんだろうが、」
「………」

パッと手を離されどしゃりと地面に尻餅を付いた善逸を一瞥した宇髄が「おら、とっとと来い」と歩き出す。善逸は悔しさに唇を噛みしめて立ち上がると後を追う。その背中は大きくいつまで経っても追い越す処か追い付けもしない。宇髄は心配してくれているんだ、善逸のことも、善逸を案ずる皆のことも。

「すみませんでした、です。」
「納得したならいい」

くしゃ、と頭を撫でてくる宇髄に「もう子供じゃねーですよ」と宣うが甘んじて受けてやるのは嬉しそうな音がきこえたからと言い訳をしておく。

「名前には連絡してある、よろしくお願いしますだとよ」
「あーあ、リンゴジャムー、焼きリンゴー」
「リンゴジャムならうちの嫁三人が貰ってたぞ、俺ぁ甘いモンは食わねえがあれは旨かった」
「はああああ!?なに俺より先に名前さんの手料理食ってんですか!?有り得ないんですけど!!」

そうしてたどり着いた宇髄家で退院祝いと称し豪勢な食事を頂いたが次の日から地獄の日々。走り込みから始まり素振りに竹刀で打ち合いなんて名ばかりほぼ打ち込まれてボロボロになる、締めは宇髄家四人との命懸けの鬼ごっこ。くの一三人と元忍び、どうやって勝てんの?勝てる訳ないじゃんね!油断なんてしようもんなら苦無や千本は飛んで来るわ、派手好きな師匠は炮烙玉とか投げて来やがりますし!
毎日切り傷擦り傷火傷と怪我だらけ、夜は泥の様に眠り朝は叩き起こされる。名前を気遣う余念すら奪われて毎日ヘロヘロだったが、それでも一週間経つ頃には宇髄から「ま、こんなもんだろ」と合格を貰えたときは解放感から地面にべしゃとへばった。
や、やっと、終わったやっと帰れる。脳裏に過るのは愛しのお嫁さんとリンゴ達。結局善逸はリンゴジャムを宇髄家では口にしなかった。曰く「せっかくここまで我慢したなら二人で食べたい」と惚気て雛鶴達から「可愛いわぁ二人とも」とほのぼのされた。
宇髄家のお嫁さん三人が「よく頑張ったね」と労ってくれて、お風呂まで使わせてくれた。お世話になりましたと今度こそ家に帰ろうとしたが、襟首をむずと掴まれた善逸。嫌な予感に首をギシギシと鳴らして振り向くとそこには宇髄の肩に止まった派手な烏と自身の鎹雀。そしてニンヤリ笑う宇髄の顔。

「任務だ、善逸」

いぃいやぁあああああああ!!

宇髄家から汚い高音が響き渡ったのは言うまでもない。

そして嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!俺は帰る!帰るんだぁあああ!帰らせてくれよー!と泣きわめく善逸の尻を思いっきり蹴っ飛ばして「やっかましいわ!!とっとと行って来い!」と宇髄から送り出されたのはたった二時間前だ。

そして冒頭に戻る

「俺は、俺はなあ、お嫁さんとイチャイチャしたいだけなんだよ!!こうなったら速攻で帰ってやるわ!鬼がなんだ!イケメンがなんだ!俺と名前さんの間に立ち塞がる奴はぎったぎったのメッタクソにしてやろうじゃないの!」

そうして足音荒く鬼が潜んでいるかもしれぬと言う洞窟へと善逸は向かうのだった。



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