1人の鬼殺隊士が辞職した。
それはよくある話で取り立て珍しい話ではない。恐怖で鬼に対峙出来なくなったり、鬼との交戦で怪我、もっと酷いものでは体の欠損で刀がもてなくなったりなど諸々あるが、鬼と相対出来なくなればただの戦力外でしかない。
ただこの隊士に関しては周囲が惜しみに惜しんだ。
女性であるにも関わらず階級も上、倒した鬼の数も10や20では無い、生きて五体満足で帰ってくるという簡単だが難しいことを何年も続けてきた熟練者。いわゆる中堅所の隊士なぞなかなか居ない鬼殺隊において割と稀な人材なのだ。貴重な人材なればこそ何とか組織に留めて置きたい、せめて隠しや医療、後衛でと上役が説得を試みたが彼女の意志は固かった。そりゃあもう鋼よりも固かった。
鬼を倒す意志を折られた訳でもない、体の何処かが無くなった訳でもない。何が彼女をそうさせたのか。柱の一人がついに聞き出しキュンキュンして「頑張ってね!私は応援してるから!」と悶えていたとかいなかったとか。


そして、件の彼女が鳴柱、我妻善逸の嫁に収まったと鬼殺隊に衝撃が走ったのはそれからすぐの事だった。



▽▽▽▽


「うわあああん、名前さーーーん!!」

玄関を開け廊下をバタバタと走る音。どこを探し回るでもなくただ一直線に嫁、基名前の心音を目掛けて近づく慌ただしい足音。洗濯物を干していた彼女を認めると縁側から下駄も履かず飛び降りてその腰にしがみつきオイオイと泣き出した。

「おかえりなさい善逸。その汚れた足で家に上がったら毟るからね。」

「ただいま!!!ねぇ、今笑顔でなんか不穏な事言ったよね!何をっ!?何を毟るのちょっと怖いんだけど!」

「何を、なんて分かってるでしょ。ちなみに下の方だからね。」

「いゃぁああああ!!女の子がそんなこと言っちゃダメダメ!」

汚い高音でギャイギャイ騒ぐ善逸に慣れているのか「ほらほら落ち着いて」と途中の洗濯物を籠に戻し善逸に手を差し出し立たせ裾の土を払ってやる。ぐすぐすと泣きながらありがとう、ごめんねいつもと言う彼の手を引き縁側に二人で座ると名前はよしよしと善逸の頭を撫でた。傍から見れば子供扱いのようなそれを善逸は嫌いではないようで、むしろもっと撫でてと言わんばかりだ。

「それで?今日は伊黒様の所に行ってたんでしょ。お元気でした?」

「嫌になるぐらいお元気でしたよ!相も変わらず素晴らしいネチネチ具合でさ!手合わせなんてもんじゃなかったんだよぅ!俺を殺りに来てたよあれぇっ!」

死ぬかと思ったんだよ、なんであの人の剣ってうねうねすんの?もうヤダ二度と行きたくないいいい!

さめざめと泣き縋る善逸に名前は彼を囲うように抱きしめて背中をさする。善逸が泣くのはいつもの事だ。任務が嫌だ、柱との手合わせは嫌だ、行きたくない嫌だよぉ、ポロポロと大粒の涙を流してる。けれども善逸は気の済むまで泣けば心を決めて名前をギュッと抱き返し「行ってくるね」と足を動かすのだ。なんだかんだ弱音や泣き言を吐くけれど善逸は逃げない。自分の責任から背を向けたりはしない。それを知っている名前は急かしたり追い立てたりしない。ただその時が来るまでそっと善逸に寄り添っているだけでいい。そうして色々と頑張った善逸が帰ってきたら両腕を広げて受け入れてあげる。家事の手を止め何より善逸を1番にして迎え入れ「お帰り」を言ってあげる。それが名前自身の幸せなのだ。

「もうしばらくは伊黒様との手合わせもないんでしょう?次の任務までゆっくりすればいいよ。炭治郎君もちょうど戻ってるみたいだから久しぶりに会ってみたら?」

少し伸びた金色の髪を撫でながら善逸の気持ちが上向くように言って琥珀の瞳を覗き込むと、少しだけ頬を赤くした善逸がモニョモニョと呟く。

「……あ、あのさ、」

「うん?」

「え、と、ですね、」

「うん、」

視線をウロウロとさ迷わせながら善逸はあーぅーと言葉を探している。これを元音柱の宇髄なら「言いたい事があんなら派手に言え!焦れったいわ!」と怒鳴りそうであるが名前は善逸を待つ。大丈夫だよ焦らなくていいと、心音が伝えてくれることに善逸はいつも安心して、自分の言いたい事伝えたい事が口に出来る。

「た、炭治郎とはっ、こ、今度ゆっくり話す、のでっ」

「うん、」

「…名前さんと、そ、その、イ、イチャイチャしたいんですぅうう!!」

真っ赤になった顔を見られたくなかったのか名前の肩に押し付けたが耳まで赤い。そんな事わざわざ言わなくても夫婦なんだからと思うけれど、そういう雰囲気を作れない善逸だから仕方ないのかもしれない。

「いいよ、イチャイチャしよ。」

「っ!!」

「なに驚いた顔してるの、私だって善逸といつだってイチャイチャしたいって思ってるのに。」

泣きそうだった顔がみるみる蕩けるような笑顔になる。そんな善逸の表情を見るのが名前は好きだ。善逸を幸せに出来てるんだと自身の心が暖かく満ち足りていく。名前の心音からそれを捉えた善逸がへにょりと眉を下げて、もうそんなの反則だよぉとはにかんで善逸よりも小さな手を固くなった両手で握る。壊さないよう、そうっと。それから少しずつ力を込めて。そうして溢れる気持ちを声に出す。

「…俺、俺さ、名前さんと会えて幸せ、だよ。」

「私もよ、善逸と会えて幸せ、とても」

二人でクスクスと笑い合い、どちらともなく口を寄せる。そっと離れた温度にまた微笑むと善逸が名前を抱き上げて縁側から室内に足を進めて障子を閉める。洗濯物ごめん、と思い出す善逸に二人でまた洗えばいいでしょと返す。

大好き、大好きだよ、名前さん
俺を見つけてくれてありがとう

名前は瞼を瞬かせてふわりと微笑むと善逸をそっと引き寄せた。


干され損ねられた籠の中の洗濯物はチュン太郎とその仲間達によってぎこちなく物干し竿にかかっていたのに二人が気づくのは夕日が傾いてから。











幸せの一コマ