ポツと、頬に雫が当たって空を見上げたらどんより重たい灰色の雲が空を覆う。朝から太陽は姿を見せず肌寒かったし雨は降るだろうと予想していたけど早すぎる。慌てて洗濯物を取り込んで縁側へと投げ入れる。ここは日当たりが一番いいから目の前は善逸の仕事部屋になっていて襖を隔てた隣は私の部屋。奥にはそれぞれ寝室となる部屋があるけど今は善逸側の寝室を夫婦で使っている。

取り込んだ洗濯物は乾いているものとそうでないものがやっぱりあって、生乾きは後で土間に紐を張って干さなきゃと脇に避け、パリッととはいかないが乾いた布を畳んで行く。畳み始めると小雨が降りだし、そのうちにザーザーと音を立てあっという間に庭に水溜まりを作っていく。
冬の雨は三時を過ぎたばかりなのに世界はもう薄暗く空から落ちる雨が景色の色合いを濃くして行き宵闇がそこまで迫ってくるようだ。
寒い、そう思った時だった。

ぴちゃ、と水を踏む音が聞こえた。

「善逸、」

そこには濡れそぼる善逸が立っていた。玄関を開ける音がしなかったから直接、名前の音を辿って庭に来ただろう善逸は俯いて立ち尽くして動こうとしない。薄闇で紛れていたがよく見ると羽織や隊服は其処此処破れている、もしかしたら怪我もしているかもしれない。名前は濡れるのも構わず下駄をつっかけて庭に降りて善逸に傍寄ったが、善逸は一歩足を下げた。

「善逸?」
「………」

雨は好きだけど嫌いだと善逸は言っていた。耳が良すぎる善逸は本人の意思に関わりなく「音」を拾ってしまう。だからそれを少しだけ遠くにしてくれる雨音は好きだと。けれど雨は色んな「音」を遠退けてしまう。それは、鬼の音だったり、助けを求める音。それでも常人よりは聞こえる耳で誰より早く駆けて鬼を狩る。
けれど、それでも間に合わない時は幾つも、何度でもある。

「……団子屋の、前で」
「うん、」
「…会ったんだ」
「うん」
「…春に、祝言あげるんだ…って、」
「…うん」

噛み締める唇が切れて血が滲むけれど雨が洗い流していく。握りしめた拳から軋む音、頬を流れるのは涙か雨か。善逸、と声をかけて手を伸ばすと今度は避けられなかった。すりり、と頬を撫でると雨に熱を拐われた肌の冷たさ、そして僅かな震えが伝わる。そしてその奥で歯を噛み締める僅かな音も。

「なんで、俺は間に合わないんだろ…なんで、俺の手は届かないんだろ、ど、して、俺は…っ、」

弱いんだ

腕を伸ばして善逸の首に回し彼の頭を自分の肩に押し付ける。なすがままだった善逸が離れようとうとしたけどきつく力を込めて閉じ込めれば離れようとした手はそっと肩を掴むだけになった。何を言っているの、善逸が弱い訳有るものか。誰よりも速く駆け誰よりも重い一閃で鬼の首を狩り取っているじゃないか。確かに届かない命も少なからずある。助けられる命ばかりじゃない。
どんなに必死に戦っても手を伸ばしても零れていく命を繋ぎ止められない。けれど、そうと分かっていても善逸は僅かなのぞみに掛けて手を伸ばす。間に合え間に合えと体も心も引き裂かれるような感覚は何度味わったって慣れなんかしない。届かない手の先で絶望に歪む表情に己の無力に打ち拉しがれて、心が削られていく。なぜ助けられない、なぜ届かない、なぜなぜ。何回、何十回、何百回と問うても答えなんてどこにも無い

「善逸、」
「……」
「…疲れたね、お疲れ様」

どれだけ強くなろうと速く駆けようと失われてしまうのだ。人の命運は決められている。だからって割りきれるわけない。それが出来ていれば鬼殺隊に身を置いていない。割りきれない理不尽に隊士は刀を振るっているのだろうから。

肩に置かれた手が背に回りグッと抱き寄せられる。善逸の頬に手を添えると雨に冷やされてとても冷たい。なのに温かい雫が指先に触れる。

「辛い」
「……うん」
「悲しい?」
「……う、ん」
「でも、」
「わかってる、」

善逸の頬が名前の頭に擦り付けて更に抱く腕に力が入る。ぐすっと鼻を啜りもう一度「わかってるんだよ」とさっきより強い口調で呟いた。

「俺は弱いよ。いつまで経ったって自信なんて持てない、けどそれでも、進まなきゃって、わかってる」

歩みを止めてはいけない、立ち向かわなきゃいけない、諦めてはいけない。届かなくても救えなくても、手を伸ばし続けなければならない。そこに人の命が有る限り善逸はまた雷を纏い轟を連れて一閃となるだろう。

「善逸は強いよ、」
「…強くない」
「じゃあ私が選んだ人は弱いの?」
「その言い方、ずるい」
「だけど、こんな善逸も私は好きかな」
「名前さんだけだよ、そんなこと言うの」
「どんな善逸だって、大好きだっていつも言ってるのに。」

弱さに向き合って、泣きながら、それでも誰かの為に夜の静寂に足を踏み出す善逸は強いんだよ。そんな善逸が誇らしい。
弱いって嘆いていいよ、それが根本にある限り善逸はきっとこれからも漆黒の闇を裂く、眩く鋭い光でいるだろうから。

「……晴れたら花を買いに行きたい」
「どんなお花にする?」
「白の可憐な花が、きっと似合ってたと思う」

白、花嫁の色。着る事が叶わなかった色を送ってあげたい。

雨が止んだら、二人で花屋に行って白の可憐な花を買うだろう。そして私たちはその花を川に流して亡くなった彼女を悼む。どうか安らかにと願いながら。
だけどそれまで、一時の出会いと別れに悲しむ彼をここに留めさせてほしい。

だから
雨よ、まだ止まないで