「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だぁ!行きたくない行きたくないよぉっ!」
「ぜーんいーつ、ほら待ち合わせに遅れるわよ、」
「いやもう、伊之助居るから俺いらないんじゃない!要らないと思うので!むしろ邪魔って言われそうなので!」
「単独でいいならそういう指令がだされるでしょ。そうじゃないから伊之助くんとの任務って事よね。あと何人か隊士の人もいるし、怖くない怖くない善逸なら大丈夫。ほらほら、柱が柱にしがみついてないの」

決して駄洒落を言った訳ではない。広間の柱に抱きついてえぐえぐと泣いているのは現柱の中でも最速を誇る鳴柱。その前に座る名前が先ほどから宥めてはいるものの中々腰を上げようとしないのはいつもの事である。

「善逸、鬼狩り様をみんなが待ってる、助けを求めてる、分かってるのよね?」
「うん…」
「なら、立って、少しでも早く行って安心させてあげて」
「名前さぁん、」

まだホロホロと涙を溢す善逸の頬を袖で拭いキュッと抱き締めて背中をあやすと善逸も抱き返して「行ってくるよ」と囁く。
玄関で草鞋を履いた善逸に火石を切り「ご武運を」と言えば涙の跡はあるものの柱として、鬼殺隊の顔をした善逸がいる。

「待ってて」
「はい」

そうしてドン!!という音を置いて善逸は瞬きの間に消えた。

今日もいつもの日常がやってくる。日が登り洗濯をし、掃除をして、ちょっとぐたぐだして、善逸の好きそうなお菓子を作るために頭を巡らす。夕方になったら買い物に行こう、そろそろ油が切れるから。そうだ炬燵の準備もしないといけない。二人で迎える初めての冬、きっと温かい冬が過ごせそう。善逸はいつ帰るかしら。4、5日かかると言っていたからきっとチュン太郎が手紙を届けてくれる。その時にでも聞いてみよう。そうだわ、伊之助君がいるなら一緒にご飯を食べてもらってもいい。



それから待っても善逸からの手紙は来なくて代わりに鎹雀が届けたのは「我妻善逸重体につき、蝶屋敷に収容」という手紙。
頭が真っ白になった。

「善逸…」

重体、命に関わる傷を負ったということだ。
手紙を持つ手が震えだした、息が苦しい。呼吸、呼吸と思うのに取り込んだ空気は私のどこを巡っているのか分からなくて。早く善逸の所に行かなければと思うのに足が前にも後ろにも出ない。足から力が抜ける、崩れる、だめ、

「名前さん!」

咄嗟に支えたのは息を切らせた炭治郎だった。「勝手に上がり込んですみません」と謝罪しながら名前を上がり框に座らせてくれた。

「た、炭治郎くん、」

震える声で炭治郎を見上げる名前にいつもの冷静さはない。血の気を落とした顔色は驚くほど青く支えた際に咄嗟に炭治郎の袖の掴んだ指先は強く握られていて、それを炭治郎は痛ましく見つめた。

「俺も先ほど、蝶屋敷で聞きました。善逸は大丈夫です。」

意識はないが無意識でも常中を行っていて安定している。傷が深く今は絶対安静だが絶えず蝶屋敷の女の子達が目を離さず看護していること。それを聞いた名前は良かった…と、小さく吐き出した。

この二人の馴れ初めや互いの想い合う深さを炭治郎、伊之助の二人は知っている。まだまだ三人とも少年と呼ばれていた時期に善逸がある日「あのさ、二人には知っといてもらいたんだ」と至極真面目な顔付きで告白された時には驚いたものだ。善逸が大切にしてきた女性は、炭治郎、伊之助とも互いに仲良くなり、善逸の容態に心を乱していないかと名前を心配して駆けつけるほどに親交を深めている。

「…ごめんなさい、恥ずかしい所見せちゃって」
「いえ、家族が傷つけば動揺するのは当たり前のことです。それで、迎えに来ました、蝶屋敷のアオイさんから許可は貰ってます。」
「……ありがとう、すぐ用意するね」

顔を上げた名前からはもう怯えた匂いは消えて、気持ちを切り替えたようでぎこちなく笑うと準備の為奥へと消えた。
ほう、と炭治郎も息を吐いた。善逸達とは違う任務に出ていた炭治郎はその帰途、鎹烏より告げられた知らせにすぐさま蝶屋敷へと向かった。着けばすでに善逸の治療は終わっており、ベッドの中で安定した呼吸で眠りにつくのを確認して安堵した。

「名前さんには、」

炭治郎の問いに隣で治療していた伊之助が「紋逸の雀に手紙を持たせた」と答えてくれた。

「そうか、伊之助は大丈夫なのか?」
「俺のは大した事ぁねぇよ。ただアオイがうるせぇから今は大人しくしてやってんだ」

そう言った伊之助だったがあちこち包帯が巻かれていた。一緒に連れていた隊士達はどうやら無傷で帰ったらしい。色々と詳しく聞きたかったが伊之助が言う。「それよか、早く名前迎えに行ってやれ、あいつ、紋逸のことになると冷静じゃいらんねぇ。」
「そう、だな、」
「……こいつも、あいつが傍にいる方が早く目ぇ覚ますだろうしな」

そういった経緯で今、炭治郎は鳴屋敷に居る。
来て良かったと思う。きっと一人では不安の中に沈み込んでしまっただろうから。

くん、と鼻が花の匂いを捕らえた。きっと庭に植えてる何かの花だろう。そう言えばこの家に足を運んだのは一月ぶりぐらいか。だがよくお呼ばれするので見慣れた玄関は変わらない。ここは炭治郎にとって暖かく懐かしくて、そして少しの切なさをもたらしてくる「家」。かつては炭治郎にもあった、父が母が、弟妹が迎えてくれた心が満たされた家と同じ匂い。失くさずに済むなら失くしたくなかった。それほど無償の愛で溢れた場所だった。
だから共に死線を潜り抜けてきた仲間がそれを手に入れた時、何かあれば力の及ぶ限り手助けしようと決めていた。

「お待たせしてごめんなさい、」
「大丈夫です。荷物はそれだけですか?」

風呂敷包みを手にした名前は、鳴柱の妻の顔だった。荷物を持つと言う炭治郎に日柱様にそんな事をさせるなんて許されません。と言うが
「女性に荷物を持たせたままなんて男が廃ります!それに善逸に俺のお嫁さんに何させてんだって怒られそうです!」
そう言われ思わず名前は笑ってしまった。
本当になんて暖かく優しく強い子達なんだろう。
善逸のおかげで名前の事まで大事に思ってくれる。

「ありがとう炭治郎くん。あなた達がいてくれて私も、善逸も心強いわ」
「そう思ってもらえたなら、嬉しいです」
「もう、大丈夫だから」

それが強がりだと分かっていても張り詰めた心を解すのは友人であり彼女の夫である善逸だけだと炭治郎も理解している。だから早く目を覚ませよ、善逸。そう胸で呟くと炭治郎は「行きましょう」と声をかけた。

名前は玄関に鍵を掛ける。
その音はやけに重く響いてそっと目を閉じた。
次に開ける時にはどうか二人で帰れますように。そう願いながら。






錘に刺された眠り姫