春めいたなぁ

御殿の縁側をとてとてと歩を進める名前はその庭の桜を見留めて呟く。七分咲きくらいだろうか。淡いピンクが可愛らしく花びらを広げている。

早いものでは既にその命を終わらせてひらひらと花びらを散らせている。命の終焉であるに、しかしてその様はとても美しくてついつい魅入られてしまう。

そのひとひらが風に舞いゆっくりと庭の池に落ちてゆくのを見守った後、自分の持つお盆に意識を戻し『いけないいけない』と再び足を進め、自分にと与えられた部屋の縁側で腰を下ろした。

そうして、



『小太郎さん、小太郎さん、おやつにいたしましょう。』



声が遠く伝わるようにか手を口元に添えて名前を呼べば、どこからともなく黒い羽根が一枚ヒラリと舞い落ち、刹那、目の前に降り立つ一人の忍びの姿。



『お仕事、お疲れ様にございます。』



堂々たる体躯は縁側に座る名前からも見上げるほど。背に対刀、目深くかぶった忍兜、そして何より一番に目を引く赤い髪。

伝説の忍、風魔小太郎。その人である。



『どうぞ、お掛け下さいませ。今日のおやつはみたらし団子なんです。』



その場に止まり動こうとしない忍にさあさあと促せど石のごとく。困った方だと眉をハの字に寄せながら名前は中腰になり忍のその手を取って少しだけ引き寄せる。忍にすればその力は余りに柔く、振り解くも引き剥がすも容易いこと。それが出来ぬのは彼女が主に繋がる者であるが故か、それともあまりに柔いその存在を己の所作で傷つけてしまわぬ様にかは…他人の預かり知らぬ所。

それを知ってた知らずか名前は掴んだ手を引き寄せ忍を縁側に座らせると、二人の間にお茶と団子の載った盆を置いた。



『どうぞ、』



団子の乗った皿を差し出し忍を見る。おそらくは前髪で隠れて見えない双眸が自分を見ているのだろう。負けじと『受け取ってもらわねば困る』と目に力を込めれば小さな諦めの息が聞こえて名字の手から皿が忍に移る。そうして串を掴みおもむろにその団子を頬張った。



『いい加減すんなり受け取って下さい。毎日目に力を込めて眉間に皺が入りそうです。』

(ならばかような仕儀、せぬがよい。己に菓子など不要。)



紙に墨で書かれた字句が突きつけらそれに目を通して名前は苦笑する。それらの道具をどこからか取り出し、どう仕舞うのかいつ見ても目で追えない素早さに感心する。自分の目に小太郎さんは団子の串を持つ姿しか見えていなかったのに、と。



『それは全力で拒否いたします。ようやくお祖父さまからいただいたお仕事ですもの。』



そう返し、ムグムグと無言で咀嚼する姿にうっそり微笑んで彼女もまた同様に団子を口にする。口内に広がる甘さ、柔らかな歯ごたえを楽しむ。
そうして庭の景色に目を移し自分がここに来て季節を跨いだことに寂しさと世の不可思議さに感じ入り一つ切なげなため息。

女の吐いた息に串を運ぶ手を止める忍。そうしてゆっくりと自分より低い位置にある女に面を向ける。それに気づいた名前は困ったように微笑んで。



『…大丈夫ですよ。確かに"あちら"は恋しく思いますけど、』



赤い髪の忍を見上げて、一瞬目を見開いたと思えばクスクスと笑う。その細い指を彼に伸ばすと口端についたみたらしを拭った。


『こちらのみなさんはとても優しいし、』


拭ったみたらしを何気なく口に含んでほわりと微笑み




『こ…小太郎さんも、だから寂しくないですよ。』


ほんのり頬を赤く染めた女に忍は少したじろぎ、胸の奥底で甘く疼いた感情をごまかすように団子を頬張った。


『そんなに急いで食べたら詰まりますよ?』

「(要らぬ心配)」

『ゆっくり召し上がってください。だって、ほら、』



桜がとても綺麗ですもの


見上げた先、柔らかい日差しと春風に桜の花が小さく揺れる中、名前が微笑む。


赤い忍びは胸の中、桜よりも…とよぎった字句に忍びならざる感情に戸惑い慌てるものの、心の臓は勝手に早鐘を打つ。それを落ち着かせるようにことさら無口な唇を真一文字に結んで青を背景に咲く薄桃を見上げたのだった。



初出2016.1.25 吾妻