『幸兄ちゃん、見て!政宗お兄ちゃんからお手紙が届いたよ!』

「政宗殿から?早ようございますな。名前殿が文を出されてまだ幾日も経っておりますまい。」

「そりゃあ、文使いに忍び使えばものの数日でしょ。てかあの御仁、私的に忍使いすぎじゃない?」


しかも、と佐助が横目で流し見たそこ。名前に充てられた日当たり良い離れの庭先で片膝を付いている黒装束の人物。
伊達のお抱え黒脛巾組の忍だ。それも使いっ走りで使役していい下忍じゃない、忍軍の組頭の一人、世瀬蔵人。おかげで無碍に扱うこともならず佐助は城の奥に入れることを渋々許しているのだ。

「公、直々のご下命。…其方にとってそれが良いと公が判断されたのだ。」


それに苦虫を噛み潰したように顔を歪める佐助と驚きに目を見張る幸村。出自の知れない名前を出来ればあまり他所の者の目に触れさせたくない、この世界の人間ではない彼女の雰囲気はやはりどことなく幸村達とは違うもの。何を問わずともそれを政宗は察しているのだ、故に信頼の置ける忍の頭領を遣わしてきたのだろう。

「やれやれ、厄介な御仁に目を付けられたもんだね、うちの姫(ひい)様」

「政宗殿も、名前殿を大切に思ってくださっておるのだ、誠にありがたき心配り。蔵人殿、どうかよしなにお伝え下され。」

頭を下げる幸村に頷く事で返す蔵人であるが、やはり未だに慣れないで内心戸惑うこともある。忍びは道具、人に有らず、主の意のままに働き死すもの。多くの忍びはそう教えられその教義のまま露と消えていく。それが忍びの当然であり、必然でもある。そうして何人もの同胞や敵方の忍びが土に還っていく事に雇い主は勿論、己らも何の感慨も起こさないだろう。
しかし主の政宗は違う、自分達と同じく命を平等に扱い労い、無くせば悼む。そんな稀有な主はこの乱世にただ1人と思いきや、近頃同盟を結んだ武田の虎児もまた忍びを「人」と見る武将。
だからなのか、真田幸村の養妹とされるこの娘も。

『蔵人さん、お返事書くから待ってくださいね!あ、今お茶を淹れるからそこに腰掛けてください!』

「いえ、己の事は気遣いなく。」

『今、美味しいお茶を淹れる練習をしてるの、だから蔵人さんの意見を聞かせてください。』

忍びに茶の善し悪しなど分かろう筈も無い。だがつぶらな瞳と「是非!」と言う虎児、そして「(まさか俺様の主のお茶が飲めないとか言わないよねー)」と無言で妙な威圧を放つ猿飛。一つ口布の奥で諦めの息を吐き出し「失礼仕る」と片膝付き遠慮がちに縁側に腰を下ろせば嬉しそうな彼女がお茶の用意を始めた。その間、所在なさげな蔵人は庭に目を向ける。
そこは、まさに、陽だまり。奥州ではまだ固いだろう桜の蕾は、ここ上田では盛りをやや過ぎた頃かひらひらと名残惜しげに散っていくが決して寂寥を醸し出すものでなく。風情を解さぬ身なれども儚くも美しい薄桃に目を奪われた。

『お待たせしました、蔵人さん。』

そぅと出された湯呑に鮮やかな緑と爽やかな茶の香り。それだけで忍びには高価すぎると理解できるが、出した本人も側の主従も気にした様子もない。「忝なく...」と内心狼狽えながら口にする。...美味い。

『ど、どうですか?』

「大変美味にございます、茶の爽やかさ、甘さ、身のうちに風が通るようです。」

『う、うわぁ、うわあ!ありがとございます!』

えへへといじらしく笑む姿に幸村も力強く頷き、佐助は当然と言わんばかりの自慢顔。「ほらほら、早く返事書かないと」そう促された少女は部屋の奥に据えられた文机に向かい一心に墨を擦り始めた。

それを見つめる主従の眼差しはとても柔らかく、かの甲斐の忍びをも緩ませるその存在に蔵人は危うさを感じずにはいられない、返せば足枷にもなろう。

(御心配にはおよびませんよ、世瀬様。)

忍びの耳にしか届かぬ程の小さいな声。何気なく視線を向ければ猿飛が湯呑みを傾けてながら口も開かず言葉を飛ばして。

(旦那の枷になるくらいなら俺様が殺しますよ。)

ヒヤリと首筋に研ぎ澄まされた何かを宛てられた感覚に怖気が立った。この甲州一の忍びは主人の不利となるものなら例え己の身内であろうと意図も容易く笑いながら切り捨てるだろう。それこそが忍びの真実だ。

(でもさ、)

旦那が守るって言うんだよ、全部から。なら、俺様も頑張らないとってね。

佐助の笑った気配に張り詰めた空気が緩む。
きっと忍びの主は佐助の思い毎、掬おうとするのだろう。それは己が仕える主従と重なるものがあるのかもしれぬ。猿飛をちろりと見遣やればほら、と、言わんばかりに文を懸命にしたためる少女の横で幸村が、邪魔するものは虫すら許すまじな気概で見守っている。

(...紅蓮の鬼も形無しだな、)

(...言っとくけど、あんたんとこの主もそうだからね。)

(くく、我が主もか。もしやあの娘が天下を統べるのやもな。)

ぶはっと茶を吹いた佐助に驚いたのは幸村と名前。蔵人は何食わぬ顔で茶を啜る。

「...黒脛巾の長でも冗談言うんだね。」

(割と本気だと言っておこう。)

「ま、わかんなくもないよ。」

『佐助お兄ちゃん、大丈夫?さっきから独り言言ってるけど。』

「偶にあることでござる、お気になさるな。」

「...さらりと俺様がおかしな人みたいに言うね2人とも。」

俺様傷ついたー。と泣き真似をする佐助にごめんなさいと駆け寄って頭を撫でる名前。その時の俯けた顔がにやけていたのは見なかったことにしようと蔵人は視線を逸らせるのであった。


闇に灯った花灯

人ならざる者にすら温かい





〜奥州にて〜

Hey、蔵人名前は元気そうだったか?

は、ご健勝の様子にて。忍びの己にまで茶を淹れてくださいました。

...美味かったか?

(...何やら空気が重い)は、大変美味にござりまし、た...が?

そうか、蔵人、お前減給。

は?

政宗様、自分が名前の茶を先に飲めなかったからと八つ当たりはよろしくありませんな。蔵人、今のは気にすんな。

は、

小十郎、俺は今から甲斐に...

政宗様が溜めに溜めたこの書簡の山をどうにかしてからおっしゃていただきましょうか。努々逃げ出そうなどとお考えにはなりませんよう。

...(逃げ場がねぇ!)


初出2018.6.05 吾妻