「おっはよー名前ちゃーん。あっさですよっと!」
佐助がすらっと開いた障子の向こう、そこは主の部屋であったりするのだが既に幸村は朝も明け切らぬうちから起き出していてそこにはいない。
今はただ一人分だけ布団が膨らんでいる。
「ほら、名前ちゃん、起きて!」
『…ん〜ぅぅ、佐助お兄ちゃん…もうちょっと…』
夜具を体に巻きつけて布団に埋もれる様が小動物のようで、つい佐助は「めちゃ可愛い!」と悶えかけるも、天井裏からの才蔵の咳払いで辛くも正気を取り戻した。
「だーめ!今日はお客様がくるから早く起きておめかししなきゃ、でしょ?」
佐助が夜具を下げて言うと名前はガバッと起き上がり『そうだった!』と佐助を見上げた。
『お館さまがきてくれるんだった!』
「そ!早くしないと大将のことだから名前ちゃん会いたさに朝のうちに来ちゃうかもねー、」
『お、起きる!起きるから佐助お兄ちゃん、』
「じゃ、顔洗って」
角盥の前に座った名前が両手で水を掬い顔を洗うそばで佐助は衣桁に掛けられていた着物を下ろす。手拭いで顔を拭いた名前がそれを見て目をキラキラと輝かせている彼女に佐助はふっと笑った。
「ずいぶん楽しみにしてたんだねー。」
『だ、だってお館さまからのプレゼントだもん!』
「ぷれぜんと?」
『あ、えーと、ね、贈り物ってこと!』
先日、幸村の主の武田信玄より名前に宛て荷が届いた。それは牡丹色を基調に様々な花が縫われた豪華な着物、それに小物一式。
現代の桃の節句、上巳に合わせて届けられたそれは名前の恙ない成長を祝い、そして願うもの。始めこそ『こんな高そうなのに…いいのかな?』そう遠慮気味だった名前だが信玄の愛情が涙が出るほど嬉しくて、有り難く頂戴することにした。
また、着物と共に添えられた文には、着物を着た名前を見に近々にそちらに行く、とあり彼女は覚えたての文字で『待っています』と早速返事を出したのである。
「さてと、んじゃあそろそろ着替えしましょうかね、ってあだぁッ!?」
『佐助お兄ちゃん!?』
バコン!と佐助の頭に拳を落としたの顔を真っ赤にして拳を握り締めた幸村。
「さ、ささ佐助ぇぇッ!!破廉恥でござるっ!」
「ってぇなぁ!ちょっとは加減してくんないッ!?」
『幸兄ちゃんおはよう!』
「おはようございまする名前殿!」
自分は毎日添い寝してるくせにねぇ、胸中でごちる佐助をよそに幸村と名前は今日がとても楽しみだとにぎやかだ。
やれやれと佐助は息を吐いた。
「では、幸村様、佐助様、名前様をお召し替えしますので…」
「うむ!よろしく頼む。」
「俺様が着付けてあげれないのは残念だけど、うんと綺麗にしてもらって」
『うん!』
おまかせください。と気合いの入った女中に2人は楽しみだと頷きあった。
そうして待つ間に、信玄が到着し恒例の殴り合いを終えた2人が佐助から出された茶を飲んでいた時、失礼致しますとの声に信玄が諾と応え障子が開けられたそこに
「おお名前、みちがえたのう!」
「うはー!可愛い!可愛いよ名前ちゃん!俺様大感激!」
「……!」
女中に連れ添われ現れた名前は花の精と見紛うばかりの姿。白い肌を映えさせる牡丹色。金銀色とりどりの糸で意匠を凝らした大振りな花がふんだんにあしらわれた裾や袖。帯は西陣、帯留めにはなんと甲州でとれる金が使われている。ほんのり紅をのせられた唇はまるで桜桃の実。
大の男3人の視線が恥ずかしいのかもじもじとしたまま部屋に入り辛そうにしている名前。見入って固まったままの幸村に佐助が「旦那、」と声を掛ければ覚醒。その幸村が名前に近づき部屋と促すのに手を出せば、ふんにゃりと安心したように笑った彼女はその手をとった。
「よく、似合っておりまする。」
『…えへへ、なんか恥ずかしいな。』
本当によく似合っていると幸村は思う。己であったならこれほど彼女の魅力を引き出せるものなど用意できまい。流石はお館様!まだまだ己は未熟なり、精進せねばぁああ!
一人滾る幸村にそれをきょとんと見上げる名前。佐助は幸村の内心に見当がつきため息。
「幸村!早う儂にも近くで拝ませぬか!」
「も、申し訳ござりませぬ!お館さま!」
上座で待つ主君の前へ名前を促せば信玄はことさら顔を緩め名前を見つめる。その信玄を前に三つ指を付いた名前が礼を述べ頭を下げた。
『お館さま、このたびは格別なご配慮をたまわりありがとうございます。また此方へのご訪問恐悦至極にございます。』
「うむ、しばらく見ぬ間にまた賢しゅうなったようじゃ。これからも知を磨き学ぶがよいぞ名前。」
『はい!』
「さて、堅苦しい挨拶はここまでじゃ。そばに来て儂によう見せてくれぬか。」
両手を広げた信玄に名前は幸村を見ると頷いてくれる。許可を得た名前は信玄の胸の中へ飛び込んだ。
『お館さま!会いたかった!』
「おお!しばらく見ぬ間にまた大きゅうなった、それにおなごらしゅうなって見違えたわ名前!」
座ったまま名前の両脇に手を入れ持ち上げた信玄はその重さに目を和らげ己の胡座の中にストンと落とすと名前は嬉しそうに『お館さま、あのね、あのね』と語り出す。
親子のような睦まじさに目を細める幸村。大きな愛情に包まれた名前が全幅の信頼を寄せる姿は雛鳥のよう。
身振り手振りではしゃぎ表情をコロコロと変えている名前を見ていると微笑ましいながら、体のどこかでもやっとしたものを感じた。
何を考えておるのだ俺は!お館様が名前を慈しんでくださるのは有り難くも重畳なこと!
なにより民や国を包む包容力は確かに自分の中でも揺るがない信念を支えるものだ!
……
だが、しかし、
主君と笑い合い、触れ合う名前を見ていると思考で抑えられない感情がざわざわと心を動かしてしまう。信玄に不敬を持つつもりはない。
あのように心許すのは某だけでいいのに…たまらず下を向いて拳を握り締めた幸村はまだ気づいていない。それは小さな嫉妬だということを。
『幸兄ちゃん、どうしたの?』
ハッと顔をあげればいつのまに信玄の膝を下りた名前が。『お腹いたいの?』と心配げに見上げる名前に先ほどまで幸村の中の靄はたちまち霧散して彼の表情は明るくなった。
「な、なんでもございませぬ!しかしよくお似合いでございますな、流石はお館様のお見立て!某にはとても…」
「何を申すか幸村よ。名前の髪を飾る簪、そなたがわざわざ工匠に指示をし作らせたと聞いたておるぞ。名前の魅力を引き立てておる。」
それを聞いた名前はそれはそれは嬉しそうに簪に触れ、幸村は主君に誉められてパァっと顔を輝かせた。
「このように愛らしゅうなったら、恋文の一つや二つ届きそうじゃの。その時には名前、キチンと儂に報せるのじゃぞ?そなたの婿は儂が吟味に吟味を重ねて…」
「お、おおお館様ッッ!名前殿はまだ十にござりますぞ!」
『そ、そうですお館さま!お嫁さんなんてまだ…』
「何を申すか。おなごの盛りは疾く過ぎゆくものじゃ。名前には儂の力の及ぶ限りのことはしてやりたいからのう。」
信玄の言うことはもっともな上、名前にはもったいない話である。でも、、まだ、名前と暮らしていたい。兄と呼んで求めてくる両手をまだ離したくない。
「なんじゃ幸村。不服か」
「滅相もございませぬ!」
信玄の重い声に弾かれたように頭を下げた幸村。己はずいぶんと不満そうな顔つきをしていたのか、信玄の機嫌を損ねてしまったかと恐縮しきり。
しかし当の信玄は顎を撫でながらニヤリと意地悪い笑みを浮かべていたのだが。
『お館さま、私、私まだお嫁に行きたくありません!』
「名前殿?」
「ほお、なぜじゃ?」
『だ、だって、まだ、幸兄ちゃんと一緒に…いたいです。』
最後は尻すぼみで聞き取りにくかったが幸村の全身が真っ赤になったことで察した信玄。
なんとも微笑ましい光景。
「やはりこういったことはおなごの方が早いのかのう、のう佐助?」
「まぁ、それで触発されてくれりゃあいいんですけどねぇ。」
「先は長そうだのう。ちゃんと教育するがよいぞ佐助。」
「いや、なんで俺様なんですか。」
「……母親役であろうが、」
「大将まで!違いますって!」
『お館さま?』
「何でもないぞ名前。嫁御の件はわかった。ただし好きなおのこ(男)が出来たら必ず儂に言うんじゃぞ。」
『はい!』
「よいか幸村よ、その時までしかと名前を守っておるのだぞ!」
「お任せくださりませお館様ッ!」
いつか二人が誓いの杯を交わす日が来るやもしれぬ。この若人二人のためにも日の本を安寧の地に導かねばならぬと信玄は心に思う。その為に数多の血が流れることを彼女には知ってもらわねばならぬないのだけれど。
今は小さな花の成長を喜ぼう。命が呆気なく消えてゆく時代だからこそ、大切な者の生を尊ぼうではないか。
「んじゃあ俺様が腕によりを掛けたご馳走を披露しちゃうよー」
「まっていたぞ佐助ぇえええ!」
『うわぁ!すごい美味しそう!それに綺麗!さすがは佐助お兄ちゃん!』
美々しい数々の料理が運ばれている時、城門よりざわつき何事かと思えば天井裏から下りた才蔵が佐助に耳打ち。途端に眉を顰めて信玄を見れば悪戯が成功したような顔。
「お館様、せめて一言くださいよ」
「よいではないか、宴は人数が多いほうがよかろうて。」
「佐助!何かあったのか?」
「何かって、まぁ、待ってれば向こうから来るから、」
「Congratulation!名前、会いにきたぜ!Oh Its beautiful!さすがは俺の妹!」
スパーンと障子を開け放ったのは奥州の龍。今では自称名前の兄。頻繁に文をくれるので離れていても名前の近況を知っている。
「政宗殿!?」
『政宗お兄ちゃん!』
「武田のおっさん!招待状受け取ったぜ。」
「よく言う。出さなければ押し掛けてくる算段であっただろうに。」
「Ha!そりゃあ当たり前だ。大事な妹のpartyなんだからな。名前、very very cute!」
『ありがとう、政宗お兄ちゃん!』
政宗が手製のずんだ餅を手土産に来訪したのを皮きりに、遅れて到着した小十郎は自作の野菜をたんまり。これには佐助が喜んだ。
軍神からは上質な絹と酒がかすがによって届けられ宴を盛り上げた。
「Hey!名前!俺の膝に来い!」
「政宗殿!破廉恥!」
「ならば儂の元にくるがよいぞ名前」
「だーめ!大将お酒臭いでしょー。てなわけで俺様とこおいでー。」
「佐助減給…」
「ちょ、旦那目が怖い!」
『じゃあ順番、お館さまが一番!』
小さな可憐な花が健やかに育ちいつか艶やかに花開く未来。誰しも望むその先に彼女の笑顔が変わらずあれ、そう願うのだった。
明後日の幸せの約束お題
たとえば僕が様
初出 2015.3.5 吾妻