草木も眠る丑三つ時、城内は静まり昼間は忙しなく動いていた人々はみな安らかな寝息を立てている。目を覚ましているのは城を警護する不寢番と忍びだけ。
その暗い城内の廊下をひたひたと歩む小さな足音が。
そうしてとある部屋の前に来ると中を窺う様子。
どうしようやはり戻ろうか、そんな様が天井裏にいても手に取るように分かる。
「だーんな、起きてる?」
「うむ、今宵も眠れぬようだな…」
「それでも、我慢してるよ。」
「わかっておる。」
天井裏からの声に応え体を起こす幸村。廊下の向こうの足音が逡巡して踵を返す前に幸村は襖をそっと開けた。
「名前殿、」
『ッ、…あ、ゆ、幸兄ちゃん、』
きくんと揺れた肩。気まずそうで、不安げな瞳、しかし少しの安堵の色を見せる少女。幸村はふわりと笑み「寒うござったろう」と襖を開けて彼女を部屋に入れた。
室に戻ればそこ、忍びの佐助が目にも留まらぬ早さで点けただろう燭台の灯り。名前の肩の力が抜けたのか無意識にほぅと息が漏れ出た。
『…ごめんね、幸兄ちゃん、寝てたのに…』
「いや、実は昼の執務中にうたた寝をしてしまい、目が冴えていては如何しようかと床の中で悩んでおったのだ。名前殿が来てくれてちょうど良かった!この幸村にまた、話をしてくださらぬか?」
『う、うん!』
嬉々とした彼女は喜びに表情を明るくして、布団に潜り込むと早く早くと幸村を呼ぶ。その様はあちらの世界にいた小さな彼女のままだった。
彼女はこの世界の暗闇に慣れていない。あちらの世界ではいつでも煌々とした照明があった。それは朝も夜も問わず供給されていて簡単に灯せる便利なモノ。眠る時ですら小さな橙色の灯りがあり真っ暗闇になることはない。こちらに来て彼女が怖がったのは夜の闇。見知らぬ世界、無音の中、月明かりだけが頼りに眠る部屋は一人きりの寂しさ、辛さ、孤独を小さな体に押し付けた。
初めの頃は布団の中で声を押し殺し泣いていた。そのうちに夢見が悪いのか父母を求めうなされているという佐助の報告を受けた幸村が居ても立っても居られず彼女の部屋に飛び込み
「眠れぬ時はいつでも幸村をお呼びくだされ!もちろん、いつ如何なる時にも部屋を訪れてくださいませ!」
そう、彼女に言った時には、側近くに仕えて長い佐助は「あ、あの旦那が…女子に向かってなんて大胆な発言…!俺様大感激だけど、相手が十(とお)じゃなきゃあ…」と肩を落としたとか落とさなかったとか。
それはさておき、件の二人は仲良く布団にくるまり小声で会話を始める。それは兄に甘える妹と、妹を守ろうとする家族の姿。
『幸兄ちゃんあのね、今日は手習いを教わったんだよ。上手に書けるようになったら幸兄ちゃんにお手紙書いていい?』
「無論!それでは名前殿からいつ文が届くのか楽しみでござるな。」
『えっ?ま、まだまだかかるよ!それにそんな、上手く、いろいろ書けないかもだし…』
「なに、何でも構いませぬ。日々の徒然、そなたが思ったこと感じたこと、何でも。そうだ、某もお返事の文を書きましょう!」
『い、いいの?』
「うむ!」
頭を撫でると嬉しさを全面に押し出した笑顔を向けてくれる少女。約束だとあちらの世界で覚えた「ゆびきりげんまん」を二人で小さく唄う。
それを見た佐助であるが、旦那が女の子と文の遣り取りをするようになるとか…!この相手が十(とお)じゃなければ!と天井裏で目をつむって拳を握り締めた佐助を配下の六郎が見たとか見なかったとか。そんな佐助の肩を温い目をした才蔵が慰めるように叩いたとか…
ちなみに、真田忍軍の皆は名前に対して必要以上に甘い。佐助が筆頭なのでそれも致し方ないのだが。
閑話休題
そうして和やかな会話を進めていくうち、人肌の温もりと"家族"が傍にいてくれる安堵が睡魔を連れてきたのか名前は安らかに寝入った。
「寝た?」
「うむ、佐助、しばらく火は消すな。」
音も無く降り立ち燭台の火を切ろうとした佐助に幸村の声。何故か、それは名前が夜中に目か覚めた時のため。
「…油も高くないんだけど?旦那しばらく八つ時の団子減らしていい?」
「ぐっ…い、いや構わぬ!」
「(へー…)」
この子の為なら大好きな甘味も我慢するのか、そう、感心しながら そっと寝顔を伺う。
「…安心しきった顔しちゃってる。」
「む、そうか?」
「そりゃあ、一人で寝てる時と全然違うよ。」
幸村の腕の中、すぅすぅと眠る姿は全幅の信頼を寄せる親鳥に包まれた雛のよう。その姿に幸村もどこかしら幸せな気持ちになり頬が緩む。そうして改めて「守りたい」と思う。だからといっては何だか幸村はいい案が思いついたとばかりに佐助に声をかけた
。「そうだ佐助!明日から毎日名前殿とこうやって一緒に寝ようと思うがどうであろう!」
「ぶふぉ!?ちょ、なに言いだすの旦那ッ!そんなこと、この俺様が許しません!」
「何故だ?そうすれば名前殿は一人で泣くこともない。それに魘されても某が傍に居れば安心してくれるのではないか?」
キョトンと寝転んだまま首を傾げる主に佐助の深い深いため息が返事として返された。それに若干ムッとした幸村は、何がいけないのかと不満気な顔。彼女にとって良い事ずくめだし、俺にとっても、1日執務で相手が出来ない時などは名前の様子が知れていいではないか、と。
「…あのね、旦那。名前ちゃん いくつか知ってる?」
「そんなことは分かっておる。十(とお)であろう。」
「そう十(とお)。でもあと数年したら十三、十四、お年頃になるよねぇ。」
「当たり前ではないか。」
「うーん…」
まだ分からないと言う幸村の頭は疑問符でいっぱいだ。多少男女の色々を知っていれば察すれるのだが、如何せん色事に疎い主を持つとちょっと、かなり苦労する。
「えっとね、名前ちゃんは十(とお)です。」
「うむ!」
「も少ししたら、お年頃です。」
「うむ!」
「そして、名前ちゃんは童といえ女の子です。」
「うむ?」
「お年頃にはきっと、いや絶対絶対ぜーったい綺麗な女人になるおなごです。」
「…」
その時、腕の中で眠る名前が突然、妙齢の姿に幸村の目に映った。それは確かに拓也の芯のある強さ、春香の優しさを内に秘めた美しい少女。
途端、幸村の全身が沸騰したように熱くなり顔は見る間の真紅。羞恥に体が震え大声を挙げそうになるのを何とか押し止めたのは佐助の手の平だ。
「しー、起きちゃうだろ!」
「むごご、さ、佐助!は、破れん…」
「はいはい、とりあえず毎日の同衾なんて無理って分かった?つーかさ、そんな事してて名前ちゃんがお嫁入りする時、不利になるような真似 俺様が許すと思う?」
「そ、そんな…もう嫁がれてしまうのか…それはならぬ!」
「どこのお館様みたいなこと言ってんの!」
「名前はかの方々からお預かりした大事な大事な娘!この幸村が生涯御守りいたす故に!」
「ハァーあのねー、だん…」
この時、佐助の頭の中で色々な思惑が駆け巡った。そうして行き着いたのは名前にとってこれ以上にない優良物件な男。しかもこの男である主も、おそらく家族意識が強くて言わしめただろうが、あれは求婚の言葉にしか聞こえない。
「…言質いっただきー。」
「ぬ?なんの事だ?」
「んー、また今度ね。」
きっとこの先、戸惑い悩み葛藤するだろうから、その時に。
「今ではないのか?」
「そ!」
まだ言い募ろうとした幸村だが腕の中の雛がもぞりと身じろぎしたことに口を閉じる。その唇が紡いだ寝言に幸村は過剰反応して更に赤くなり、ボフッと頭から湯気を上げた後、見事気を失ってしまった。
やれやれと布団を掛け直す佐助は二人を見下ろし緩く笑む。
二人が本当の家族になれる日がくるといい。
そう、思わずにいられない佐助は、俺様も絆されちゃったよねー、と独り言ちた。
きみは変わらない笑顔で
ずっとここにいてほしい
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N様アイデアいただきました(^^)
初出 2014.9.15 吾妻