01.1
ない、ない、何もない
ここには俺様が知るものが、何一つない。
身を隠す闇は薄く、星が霞むほど眩しい光がチカチカチカチカ。澱んだ空気に喉が痛い。何かの毒かと口布を当てた。
身を隠す木々などなくつめたく固い鈍色の建立物がひしめいて。鉄の塊がひっきりなしに走り、行き交う人間は見たことない衣装。
ここは、どこだ。ここは、なんだ。
武田の御旗、大将の治める城下町、旦那が任された上田城、豊かな緑、年は比較的戦も少なく、気候に恵まれ黄金色に染まっていた田んぼ。旦那が喜んでいたっけ。
空は秋の色。山は紅葉に色づき、朝夕の空気は冷たく澄んでそろそろ旦那の部屋に火鉢を用意してやらなきゃあなぁ、年がら年中暑苦しい旦那だけどやっぱ夜は冷え込むから綿が入った布団も用意しなきゃね、なんて。
つい一刻前、考えていたのに。
頭を振るう。有り得ない事態に思考が馴染んだ風景を呼び起こす。今は違うだろう猿飛佐助。考えろ。まずは何をすべきで何が自分に出来て何を優先すべきか。
見も知らぬ場所なら見知った場所へ帰ればいい。それは己にとり命を懸けると決めた主の元へ。優先されるのは佐助にとって武田であり、そこに仕える真田幸村。
そうだ、戻ればいい。己の知らない場所なら己の知る夜に、あの場所に、戻ればいい。
だが、走れど走れど自分の見知ったものはない。一睡もせずただひたすらに駆け続けた。何日も何日も。焦燥感が湧き上がる。胸を浸食するそれに急かされるように走り続けた。ここはどこだ。軍神と幼馴染がいる越後は?いけすかない南蛮語を話す城主のいる奥州は?凶王のいる大阪は?薩摩は?四国は?中国は?
甲斐は…?
ついぞない不安に胸が押し潰されそうだ。
「ちっくしょ…」
どこにいっても、どこを見てもない、いない、己の知る世界。
「なんだってんだよ…」
ぐしゃぐしゃと髪を掻き夜空を見上げた。木々の合間には「夜」があり「星」があり「月」がある。同じ、おんなじだ。なのに、なぜ!
「なんだよ…なんなんだよっ!」
忍びにあらざる声を張り上げても反応を返すのは睡眠を妨げられた野鳥ばかり。これだけ存在感を露わにしても自分以外の忍びが姿を現さないのはどういう事だよ。
「…そんなの、認めたくないってーの、」
気づいてる、理解してしまってる。焦燥感に駆られても理不尽な思惑に翻弄されても忍びの暗く冷静な自分がはじき出した結論。
「はは…誰が信じるっかての…」
こんなこと
「ここは…」
この世界は
「俺様のいた世界じゃない。なんて…さ」
口にした途端、絶望感で体中から力が抜けた。そのまま草っ原に倒れこんだ。俺様だけがこの世界で"異質"だった。
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