BASARA/戦国/小十郎+α

ドッドッドッ

心臓の音がせわしなく聞こえる。冷や汗だか脂汗だかわからない水分がジワジワと体中を濡らして気持ち悪い。

どうしよう、どうしようと考えたところでどうしようもない。来てしまったものは帰しようがない。まずそんな方法、ここでも自分が元、暮らした世界にもない。

『どうしよう…』

それは一時間前、厨での仕事中、煮物の炊く匂いに突然胃がせり上がった。慌てて裏手に飛び出し腹から這い上がった朝ご飯を吐き出した。そうして私はとんでもない事実に驚愕し困惑した。


(そういえば生理…いつ…終わった?)


顔面蒼白になった私を女中仲間のおゆきちゃんが心配して「今日は早く休んだほうがいい」と言う言葉に甘えて私はフラフラと自分に与えられてる部屋に戻った。

襖を後ろ手で閉め、へなへなとそのまま座り込む。

『やばい…』


思い当たるのはあの夜、二人きりでたまに開いて飲み会。良い具合に酒が回り小十郎さんがいつもより激しくって…


(…史実の片倉小十郎って側室いたかな…。)


歴史に興味はないけどこの時代奥方の他に側室を持つのが当たり前なのは知ってる。それは家名を途絶えさせぬ為だし、この時代の幼児の成人率が低いこともあってだろう。

きっと子供が出来るのは目出度いことこの上ないだろう。それがこの時代の人間であれば、だ。


『油断、したなぁ…。』


生まれながらここの人間なら問題ない。身分が低くくても片倉小十郎ならば正室には無理でも側室として子供ごと面倒みてくれる。だけどそれは「この時代」の人間なら。
私はここの人間ではない。ここより遥か先の未来、数百年後。便利なものが溢れ、快適性を重視した世界。

その未来から唐突に自分の過ごした世界とは違う過去に放り込まれたのは一年ほど前のこと。

足早に歩いていた帰り道、何かにつまづいてつんのめった。『うわ、』そう声を上げつつ道路に激突!するかと思ったらボスンと誰かを下敷きにして私はこの時代に放り込まれていた。


なんと下敷きにしたのはかの有名な伊達政宗様、呆気にとられてた片倉さんが正気を取り戻し私を床に叩き付けた記憶は…生涯忘れられない思い出になりました。極殺コワイ。

てめぇ何モンだ政宗様の首を狙うたぁどうゆうつもりだ生きて帰れるなんざ思っちゃいねぇだろうなとりあえずどこの忍びだ洗いざらい吐きやがれ
みたいな事言われたけど私だって何が何やら分からない状況でいきなりヤクザ顔なコワイ人にコワイこと言われてパニックになり…


『あたしだってワケわかんねえよ!!ゴラァ!』

ガゴンッッ!

「ぐぉ!?」

『〜〜〜痛い!』


目の前のデコに全力で自分のデコをぶつけたのである。

この暴挙が何やら政宗様のツボにハマったらしく彼は腹痛をおこすほど笑い転げていた。その後は未来から来たという私を面白がった政宗様のおかげで住むところと女中の仕事をもらう事が出来た。初めこそ不信がってた小十郎さんとも仲良くなって、仲良くなって…そーゆー大人のお付き合いを始めたのは3ヶ月ぐらい前から。

その時も、確か二人きりでお酒を飲んでいた。政宗様が成実くんと郭遊びに行っちゃって、小十郎さんは珍しくお留守番。

美味しいツマミにお酒も進んで、おしゃべりも弾んだ。なんとなく会話が途切れて空になった自分の杯に手酌でお酒を注ごうとしたらその手を止められた。見上げればまっすぐに私を見つめる視線。その瞳に色を見つけたのは、きっと私も「そう」だったんだろう。月の光を背にした小十郎さんはすごく色気に溢れ、こんな素敵な男に選んでもらえた喜びが全身を駆け巡り引かれるままその逞しい躰に身を委ねた。


(まずいよねぇ、)


深いため息を吐き出して、下ろした視界に自分のお腹を写す。手の平を当ててここに小十郎さんの赤ちゃんがいるのかと思えば、どうしようと考えながらもやっぱり嬉しい。

これが現代なら、苦労しながらも赤ちゃんを育てていけるだろうけど、いかんせんここは戦国時代。子供一人抱えて生きていくには自分はあまりにも非力だ。

だけど、どうする?この城を出る?どこか身重でも雇ってくれる店などあるだろうか?今は己一人が生きていくので精一杯な時代。余所者に慈悲をくれる人間などいるかどうか。

『…っ』

自分はなんて弱いんだろう。ここでは身の処し方一つ自分一人で侭ならない。現代なら、未来なら、考えても仕方ないことばかりが溢れる。誰が私をこの世界に落としたの、何の為に。だけど「ここ」に来たから小十郎さんと出会えた。

『ふ…っく、』

ああ、胸が苦しい。こんなに彼のことを想っていたなんて自分でも知らなかった。彼が好きだから、彼が守るこの世界の為にも、異分子の私が「片倉小十郎の子」を生むワケにはいかない。頬を伝う涙を拭っていると何の前触れもなく襖が開いた。


「何を泣いているのですか?名前。」

『…き、喜多様っ!?』

入りますよ、と打ち掛けの裾捌きも鮮やかに室に入り、襖を閉め上座に座した人に慌てて体を正し頭を下げる。政宗様の乳母であり女中頭にして竜の右目の姉上の喜多様。

頭をお上げなさい、との許可をもらいおずおずと喜多様を仰ぐと小十郎さんに似た綺麗なお顔が若干怖い。強い眼差しが向けられ、今の自分の情けない顔を見られたくなくて再び頭を下げてしまう。

「体調がすぐれないようだから部屋で休んでいると おゆきから聞きました。」

『は、はい。おかげさまにてずいぶん良く…』

「泣くほど辛いかったのですか?」
『い、いえ、』

「煮物の匂いに吐いたそうですね?」

『も、申し訳ありませぬ。己の体調管理不行き届きにて皆様にご迷惑を…』

「名前、」


幾分強い語調で名を呼ばれ身を固くする。ああ、この方はもう知ってしまっているのだ、私の身に起きていることを。


「その腹の子、父御は?」


びくりと肩が震えた。
言えない、ここで名を出してしまったら小十郎さんの、伊達の、奥州の歴史が、変わってしまうかもしれない。


『…この子には、父はおりませぬ。私だけの子にございます。』

「そのような言い分が、罷り通ると思っているのですか!?あなたは奥州筆頭、政宗様の御慈悲の元、ここに居るのです!その身の程を忘れたと申しますのか!」


ぴしゃりと放たれた言葉に身が竦む。そんな自分を叱咤して、ぐっと腹に力を込めた時、


「今一度聞きます。父は誰です?悪いようには致しませぬ故、正直に仰いなさい。」


打って変わって優しい物言いに顔が上がる。そこに慈愛溢れる眼差しで私を見つめる喜多様。ああ、やはり奥州の皆はとても優しい。 だから、私も私なりに応えたい。


『この子は、私一人の子でございます。』










「この件は私にしばらくお預けなさい。あなたは沙汰があるまで部屋から出ぬように。」

応えた私に喜多様がそうおっしゃった。





◆◆◆◆◆

今年は野菜が豊かに実りそうだと、豆の艶やかな青さに目を細める。ああ、名前がこれを塩で湯がいて食べたいと言っていたなと思い出す。美味い豆になれよと柄杓で水を撒いている小十郎が畑から呼び戻されたのはつい先ほど。野良着から袴姿に変え城に赴いた。



「政宗様、お呼びと聞き罷り越してございます。」

「小十郎か、come in」


南蛮語は分からぬがこの言葉は入って良いと言う意味、と解釈をして久しい。目の前の障子を滑らせ室内に躙り入れば主君とその下座に姉である喜多がいた。その表情はどこか固い。

主君を仰げばこちらも難しい顔つきで胡座の膝に肘を置き、扇子をパチリパチリと開き閉じを繰り返している。どうやら難しい話しのようだと小十郎は姿勢を正した。


「小十郎、」

「はっ、」

「名前が、孕んだ、」

「…は?」

「だから、腹に子がいるんだとよ。」


パチリ!幾分苛立ちまぎれに閉じられた扇子の音により室内の空気がピンと張る。主君から放たれた言葉の衝撃に小十郎は発する言葉を失った。


「政宗様、その、まことに名前が…」

「ああ、産み月は来年の春辺りだそうだぜ。んなことより腹立たしいのはその男の迷惑になるっつって名を明かさねぇってことだ!」


主君の歯軋りが聞こえその怒りの度合いが知れ小十郎は無意識に頭を下げた。

あいつが、名前が、身ごもっている。確実に腹の子の父は俺だ。
体の関係を続ければこういう事態も起こるだろうことは容易に予想できた。しかしながら小十郎自身としては名前となら所帯を持ってもいいと思っていた為、身籠もってもらっても何ら問題はない。しかし二人の関係を公にしていなかったが為に大事になったようだ。

だが気になるのは、当人の自分を差し置き主君がそれを?なぜ俺の名前を出さない?俺は迷惑なんぞ露ほども思っていないというのに。いや、そんな決定的な言葉を自分があいつに言ったことはなかった…が、この場合は仕方ないのでは?と疑問ばかりが駈け巡り軍師と誉れ高い知能は少しも働かない。しかし、事実は伝えねばならない。


「…政宗様、その父親ですが…」

「Ah?小十郎知ってんのか?そう言えばお前らなんだかんだと仲が良かったな、何か名前から聞いてねぇのか?」

「は…実は、」

「俺の大事な友人を孕ませたんだ、殴り飛ばすだけじゃ足りねえ。影でコソコソしやがった挙げ句、女に口止めさせる野郎の面、竜の爪で切り裂いてやるぜ!」

「申し訳ありませぬ!政宗様の刀の錆となるは、この小十郎にこざいます!」


ガバリと畳に額が付く勢いで平伏すると「何だと?」と押し殺した低い声が地を這い小十郎の体を圧迫した。そうだ、主は名前を大事にしていた。母親の仕打ちで聊か女に対し嫌悪していた主が名前には好感を持っていた。それは未来という偏見の無い世界からきたが故かもしれないが主は姉や友を慕うような気安さであった。それほど大切な存在を汚されたとらば…この怒りも当然だと思えた。


「…小十郎、お前は何をしたかわかってんのか?あいつを、名前を弄んだのか?」

「っ、そのようなつもりは毛頭ございません!」

「ならっ!」



こすりつけた畳の視界、ギラリと光る爪が小十郎の耳横で藺草を抉った。


「なぜあいつは、お前の名を出さない小十郎!」


「すべて小十郎の不徳と致す所でございます!決してあいつを、名前を軽んじたつもりは一切ございません!」

「軽んじたつもりはない、だぁ?よくもそんな口が利けるじゃねぇか小十郎。テメェの気持ちを伝えねぇからあいつは父親の名を出せなかったんじゃないのか!」


刀が畳から抜かれ刃先が小十郎の伏せた頭に向けられた気配に息を飲む。微かに聞こえる柄を渾身の力で握っているキシキシとした音。渇いた喉に空唾を飲み込ませ小十郎は口を開こうとした時、ここにいるもう一人の存在から声がかかった。


「小十郎、」


姉、喜多の声に小十郎の体が強張る。この爆発一歩手前の姉の堅い声、何が起爆剤になるかわからない。返答次第で手か足か懐剣が飛んでくるからだ。


「あの娘は異端な己が「片倉の子」を産めぬと一人で育てる覚悟をしていました。」

「…なッ」

「そたなは本当にあの娘を理解していたのですか?自分に都合よく名前を振り回して、身ごもらなければずるずると関係を続けていたのでしょう!」

「い、いえ、決してそのような…」

「黙りなさい!仮にも神職の片倉の者が嫁問いもせずに己の欲を優先させ、剰えおなごに一人きりで暮らしていく決断をさせるなど不甲斐ないことこの上ない!ええい腹立たしい!小十郎!腹をかっ捌きなさい!この姉が引導を渡して差し上げます!」

「あ、姉上!お待ちを!」


懐剣を抜いて迫りくる喜多に小十郎が慌てて後退りする。鬼がいる。逃げるか?そんな事できるわけがねえ!これ以上みっともない醜態は晒すまいと許しを乞う為ひたすら頭を下げるしかない、
その時


「き、喜多…も、もうダメだ!くくくっ!あーはっはっ!は、腹が痛ぇ!」

「あら、政宗様。これからが本番ですのに。」

「いや、くくっ、あ、あの小十郎の面…あははっ!」

ひーひーと笑い転がる主と不満そうながら小十郎から下がった喜多。何が何やらわからない小十郎は呆然と二人を見上げた。しかし、主と姉の様子に自分は何かの謀事にはめられたと理解した。


「…政宗様、姉上、これは、一体、どういう事に、ございますか。この、小十郎に、わかるよう、お聞かせ、願いたい!」

「sorry、sorry、小十郎。言っておくが嘘は吐いてねぇ、名前の腹にややがいるのは本当だ。」

「っ!」

「全く、我が弟ながら情けないこと!気に入ったならとっとと嫁に迎えれば良かったものを!どうせ政宗様が天下を取るまで妻なんて、など考えていたのでしょう!」

「Hey、喜多。俺が天下人になるのはそんなに先じゃねぇ。だが、まぁ、ややは俺が天下を手に入れるより先に産まれくるからなぁ。」


ニヤリと笑う主の顔は、昔々梵天丸と呼ばれた時、いたずらを成功させた悪ガキの顔。してやられた、初めから姉を巻き込んだ、いや、姉が主を引き入れて芝居をしたのだ。

小十郎は全身から力が抜けたのを感じた。


「まったく、お二人共意地がお悪い…。」

「言っとくがお前が一番悪いんだぜ?小十郎。」

「は、まことに面目次第もございません。」



先ほどまでの険悪な雰囲気は一つもなく、主従二人の間に流れる穏やかな空気に喜多は背後の襖に向けて声をかけた。


「お入りなさい名前。」


襖が音も無く開いた先に名前がいた。静かに体を滑らせ主の前で平伏した彼女はただ黙って頭を下げ続けた。


「名前、そこで聞いてた通りだ。小十郎と夫婦になれ。」

『で、ですが…私では、その、片倉様に不相応にございます…。』

「…それを言うなら俺こそお前には相応しくねぇな。不義理で不甲斐ない男だ。」

『こ、小十郎さんは素敵な方です…。だから小十郎さんにはきちんとしたご身分の…』

「Ahー?まーだそんなこと言ってやがんのか。なら網元ンとこの養女になるか?いや、いっそ俺の姉貴になって嫁ぐってのもありか。」

「政宗様、ご冗談がすぎますよ。片倉の家格は伊達の家中でも高くはございませぬ故。」

「いいじゃねぇか喜多。小十郎の奴はこれで名前に一生頭が上がらねーだろ?」

『恐れ多すぎてお受け出来ません!』


困ったように眉をハの次にした名前に政宗は、ならどうする?と小十郎に目を向けた。

小十郎は名前の隣に腰を並べを両手を畳に置き軽く頭を下げた。


「名前には、苗字と言う姓がございます。苗字名前として片倉に嫁いでもらいたい所存。」

『い…いいんですか?』

「当たり前だ。お前を生み出した未来だ、そうして俺にお前を寄越してくれた世界だ。忌み嫌う理由も隠す必要も無ぇ。」

「Hum、未来から来た奥方か。そんな女、めったな事じゃ娶れねぇ、coolだぜ小十郎。」

『わ、私、ずっとあの世界から見放されたんだって、思ってました。』


違ったんですね。

そうして泣き笑いの涙を流す名前の手を取り小十郎は力強く、けれど包むように優しく問う。


「今更だが、一緒になってくれねぇか?そうして「片倉小十郎の子」を産んでくれ。」


彼女は顔を真っ赤に染めあげて柔らかに微笑んで頷いてくれた。






優しい人に泣かされる


世界は愛しいものでできている



お題《確かに恋だった》
初出2014.8.28吾妻

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