とある春島。
青い空に輝く太陽が、ハートの船を柔らかに照らしている。
いいお天気。
散歩をしたらさぞ気持ちがいいのだろう。
いやいや、ショッピングも捨てがたいし、ゆっくりお昼寝なんかするのもいいかも知れない。
なんて、今のわたしには夢のまた夢…。
どんより、極寒、真っ暗、そういったあらゆるマイナスの形容がよく似合うこの部屋で、わたしはローさんと向かい合って座っている。
「痛っ!」
「……じっとしていろ」
チラリとわたしの顔を見て、すぐに視線をわたしの肩へと戻したローさんは今、恐ろしく機嫌が悪い。
蛇に睨まれた蛙ってまさにこういうこと。
氷のように冷たい蛇の視線に、蛙はただ俯いて黙った。
「で、どうしてあんなことをした?」
ついに始まってしまった尋問、いや、一種の拷問の時間。
殺気立つローさんの気配に、自然と体が縮こまる。
「ごめん、なさい……」
小さく縮んだ体に相応しい小さな声で謝ると、ローさんの視線がますます鋭くなった。
「質問に答えろ」
ちょっと今回は本当にまずいかも知れない。
ローさんのその視線だけで、心臓が締め上げられる。
あまりの恐怖に何も言えずにいると、ローさんが大きなため息を吐いた。
「おい、フィオ。お前は自分が強いとでも思ってるのか?あんな攻撃なんて訳ねぇと?」
そういうわけじゃない。
自分が弱いことなんてよくわかっている。
そう心では思ってもなかなか声にならない。
「それとも、死にたいのか?そう思ってるなら今すぐこの船を降りろ。俺はそんな仲間はいらない」
続けられた言葉にびくりとして、顔をあげる。
ローさんの鋭い言葉は、わたしの心臓のど真ん中に突き刺さった。
一瞬鼓動が息を潜めて、また打ち始める。
どくどく、どくどく、ローさんに聞こえてしまいそうなほど大きく、酷く速く。
確かにあの時、ローさんに抱き付いたのは間違いだったかも知れない。
攻撃の当たり所が少しでも逸れていたら、わたしは今頃死んでいただろう。
ローさんが怒るのも無理はない。
船を降りろと言われても仕方がない。
でも、
でも……、
「あの時わたしが飛び出さなきゃ、ローさんが怪我してたじゃありませんか……」
ローさんが狙われているとわかったあの時、わたしの体は動かずにいられなかった。
頭で考えたわけではない。
気づいたら飛び出していた。
――――チッ
沈黙の中で小さく聞こえた舌打ち。
ローさんの顔を見ると、ものすごく何か言いたそうな目をしている。
にもかかわらずその口は閉じたままで、何か言う代わりにピンセットで綿を摘まみ、消毒液の中に浸した。
たっぷりと液を染み込ませ、瓶から出てきた綿。
ローさんはおもむろにそれをわたしの肩に寄せ、傷口に押し付ける。
「きゃっ…!?」
激痛が体を駆け抜け、傷口が熱を持つ。
酷い痛みに瞳が潤んだ。
「い、た……、ローさん、や、止めて…」
必死に懇願するわたしを気にも留めず、ローさんは綿を擦り付ける。
その顔は涙で霞んではっきりは見えないが、どこか嬉しそう。
なんて趣味の悪い……。
綿が何往復かして、わたしの涙がこぼれ落ちるほどになった頃、ようやくローさんはガーゼで傷口を覆ってくれた。
どうやら手当てはこれで終わりらしい。
道具箱をバタンと閉めた手がそのままわたしの方へ伸びてきて、物騒な文字を刻んだ指が頬に触れる。
「痛かったか?」
さっきとは違って少し緩んだ視線。
そこからはもう怒りは感じられなくて、涙を拭う指の優しさにただ心が震えた。
「痛かったですよ…」
「そうか」
ニヤリと笑った口元は、悪かっただなんてきっと少しも思っていない。
こちらを真っ直ぐ見つめる藍を見つめ返すと、不意にその距離が近くなった。
傷を思ってかわたしを優しく包むローさんの腕は、本当に彼のものかと疑うくらい優しい。
心配、してくれていたのだろうか…?
「……あんな攻撃、お前にかばわれなくても避けられた」
……やっぱり。
わたしの頭の片隅にちらついていた考えと同じことを口にされ、体が強ばる。
「ごめんなさい」
彼の胸に埋まったまま素直に謝ると、ふん、と鼻で笑われた。
「もうあんなことするなよ」
「はい……」
ローさんの顎がわたしの怪我をしていない方の肩に乗り、ゆっくりと重みがかかる。
まだ傷は痛むけれど、なんだか心地いい。
「ローさん、寝るんですか?だったらベッドへ…」
「このままでいい」
ローさんが何か言い出したらそれは絶対で、それはたとえわたしがどんな状況でも変わらない。
しばらくそのゆるりとした空気に身を任せることにする。
気づけばわたしのほうがうとうとしていた。
このまま眠ってしまいそう。
今日はなんだかとても疲れた。
それはわたしもローさんも変わらないだろう。
ローさんはもう寝ただろうか?
そんなことを考えている間にも睡魔はわたしを襲う。
もう限界だ。
意識を手放す瞬間、わたしの耳に囁きが入ってきた。
ありがとな
そう微かに聞こえた囁きを聞き返す気力はないけれど、胸の中がじんわりと温かくなる。
次に目覚めるまで、この想いは残っているだろうか?
そうだったらいいと強く願いながら、わたしは眠りの中に溶けた。
空耳
起きた時に尋ねると、ローさんはそう答えた。
ローさんがそう言うならそれでもいい。
だってあの甘い空耳は、ちゃんとわたしの中に残っているから。
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