お鍋のポトフに胡椒を少々。
レタスと黄色いパプリカのサラダはこの前雑貨屋さんで見つけたシンプルなボウルに盛り付けて、あとはグラタンの焼き上がりを待つだけ。
焦げていないか慎重に中を覗き込んだとき、来客を告げるインターホンが鳴った。

時刻は7時を回ったところ。
と言うことはきっと……



「おかえりなさい」



ドアを開けるとその先には思った通りの人物がいた。
わたしがドアスコープを確認せずに開けたこと知ったら、この人は不用心だと注意するんだろう。

でも仕方ないじゃない。
毎日この時間に訪ねてくる人なんて貴方しかいないのだから、もう確認する必要なんてないでしょう?



「ただいま」



優しく微笑んで玄関に足を踏み入れる彼は、まごうことなきわたしの旦那さまだ。
鍵を持っているくせに「葵に迎えて欲しいから」なんて言って毎日インターホンを鳴らす彼が、大きな見た目に似合わず可愛く思える。



「休日出勤お疲れ様です。疲れたでしょう?」


「あぁ、少しな。…それで、お前の方はどうだった?」



こちらの言葉には短く返すだけで、すぐさま会話のベクトルがわたしの方に向いた。
自分の話そっちのけでわたしのことを気にかけてくれる、紳一のこういうところが好きだ。



「ふふ、順調に育ってますって」


「そうか、よかった」



そう言って本当に安心したように息をつくのだから笑ってしまう。

本来ならそんなに頻繁に検診に行かなくてもいい時期にはいっているのに、新米パパはとても心配性。
検診に行くたび先生に「よく来るわねぇ」と笑われて(それはとても優しい笑顔なのでご安心を)しまうほど、わたしはよく病院に足を運んでいるらしい。


ジャケットをハンガーへ。
スラックスとネクタイをクローゼットへ。
ワイシャツは洗濯機へ。
そして紳一とわたしはダイニングへ。

もうすっかり馴染んだ晩ごはんの前の4ステップ。
それを踏んだあとはおかえりのキス。
ベタベタの甘々で申し訳ないけれど、こうして夫婦ふたりの生活を楽しんでいる。

今紳一の手はわたしの腰に回っているけれど、もう少ししたらその手にはこの子が抱かれているのかな なんて思った。
なんて幸せな未来。
想像しただけで頬が緩んでしまう。


ふたりでテーブルに食器を並べながら、今日先生に言われたことを思い出した。



「そうそう。先生にね、この子は他の子よりも大きいですねって言われたの。さすがは紳一の子ね」


「本当か?それは将来が楽しみだ」

いいプレイヤーになるといいな



丁寧にフォークを並べて微笑む彼は、まだ見ぬ我が子にバスケをさせる気らしい。
もちろんそれにはわたしも賛成だけれど、



「紳一、気が早すぎ」


「そうか?」


「まだまだ先のことよ」


「待ち遠しいな」



柔らかな視線がお腹へ注がれて、わたしの頬を再び緩ませた。



「ふふ、紳一が子供みた………あっ!」



言いかけたところではっとして、伸びてきた彼の手をすり抜けてオーブンへと走る。

急いで開けた扉から覗く、いい香りときつね色になったチーズ。



「よかった、焦げてない…」



ほっとして振り向くと、すぐ後ろに紳一が立っていて驚いた。



「走るな、危ないだろう」



叱られてしまった。
こういう険しい顔を見ると、厳しかった“牧キャプテン”を思い出してどきりとするのだけど、

キャプテン、5メートルにも満たない距離です。


…こんなふうな言葉が浮かんだけれどそれは心の中だけにしておいて、



「ごめんなさい」



彼が心から心配しているのだとわかっているから、素直に謝った。
本当に心配性なパパね。

これからは気を付けろよ とわたしの頭をぽんぽん撫でる彼に熱々のグラタンを任せて、わたしはスープとサラダを用意をする。
もちろん最後に彼のためのビールとグラスを運ぶのも忘れずに。


そうしてやっと席についたら、ふたりで手を合わせて頂きます。
またしても学生時代のこと、夏の合宿を思い出してしまった。

高校生のころからずっと一緒にいると、生活のいたるところに彼との思い出が散らばっている。
まるで学生時代のお付き合いの延長のように感じることもあるけれど、ここには牧さん、牧さん、とはしゃぎまわる清田くんもいなければそれをいさめる神くんもいない。
あの頃のささやかな幸せがどんどんと緻密に編まれ、こうしてわたしたちは新しい幸せを得た。
“結婚”という響きにやっぱり少し気恥ずかしくなるけれど、ふんわりと心が暖かい。



「そういえば今日電車で親切なひとに会ってね、席を譲ってもらったの」



こうやって何気ない一日の出来事を話すのも新しい幸せだ。
家族の食卓らしくてくすぐったく思いながらも、わたしが他所で感じた嬉しい事を紳一にも感じて欲しいと思う。



「どこかで見た顔だなぁと思って考えてたんだけど、」


「思い出したか?」


「うん。湘北の三井寿」



もうひとつ、思い出の欠片を拾い上げた。
あの夏の日の決勝が思い出される。
インターハイ神奈川予選の緒戦 湘北戦。
彼の手から放たれる綺麗なシュートにはさすがの海南も苦しめられたっけ。

紳一も同じように思い出したみたいで、マカロニを刺した状態のフォークが止まった。



「三井?」


「それと、その彼女…かな、奥さんかな」



どちらかはわからなかったしお話しもできなかったけれど、サーモンピンクのワンピースがよく似合う可愛いらしいひとだったのを覚えている。



「へぇ…。懐かしいな」


「幸せそうだったわ」


「そうか」



それだけ言うと彼は目線をお皿の底に移して黙ってしまった。
そうしてフォークの先でホワイトソースをつつきながらぼんやりと何か考えているようだ。

紳一は落ち着いていてしっかりしているという印象を周囲にもたれているが、時々こんなふうにひとりでぼんやりとしていることがある。
それはきっと高校時代の後輩たちが見たらびっくりしてしまうくらいに気の抜けた表情で、まるでひとりでどこかに行ってしまっているみたいに。

彼のそんな意外な一面を知っているのは自分だけだと思うとなんだか嬉しいから、他の人には教えてあげない。


小さな秘密にくすりと笑ってスープをすくうと、不意に紳一が口を開いた。



「俺たちの子供がまた同じようにコートで戦ったら、面白くないか?」



今日は随分早いお帰りですこと。
さっきとうって変わっていつものりりしい顔になった彼に笑ってしまう。



「それは高校時代のライバルたちの子と、っていうこと?」


「ああ」



わたしの耳に、ボールの弾む音が聞こえた気がした。
それだけじゃなくて、バッシュの擦れる音、オフィシャルの笛、ボールがネットをくぐる音、仲間を呼ぶ声や監督の怒声まで、あの頃のわたしたちが毎日体育館で聞いていたあらゆる音を鼓膜が思い出す。



「それは、楽しみね」



自分のふくらんだお腹をなでながら、自然に口が答えていた。

応援はあの頃とは違ってベンチからではなくギャラリーからになってしまうと思うけれど、隣にはあの頃コートにいた彼が立っている。
きっとどこの親よりも厳しく熱く応援するはずだ。



「神奈川No.1プレイヤーの座は引き継いでもらうぞ」



ふっ、と笑って宣言する紳一。



「ふふ、二代目“帝王・牧”かぁ」



わたしもつられてつい今お腹にいるこの子の未来に想いを馳せてしまった。



ねぇねぇ、君。
聞こえてる?

パパは君にバスケット選手になってほしいみたいよ。
もう活躍の期待までして、気の早いパパね。

ママは……、そうね。

ママも、君が望んでバスケットをやるのならそんな幸せなことはないと思うわ。
コートに立つ君は、きっとすごくかっこいいから。

どうしてわかるのかって?

だって君のパパがそうだったもの。
バスケットをするパパは本当に楽しそうで、誰よりも強くて、すごくかっこよかったのよ。



スプーンを置いて、両手でお腹を抱き締めた。
ここで確かに生きている、わたしと彼の愛しい子。
この子はきっと、強くて優しい子になる。
だって紳一の子だから。
たくさんのひとに愛される、素敵なひとになるはず。


……気が早いのはわたしも同じか。

ふと気づいて笑ってしまう。
紳一のが伝染したのかも なんて思って視線を上げた先で、彼はわたししか見たことのないような優しい顔で微笑んでいた。









未来の


ねぇねぇ、君。
聞こえてる?

元気に生まれておいで。

パパもママも、早く君に会いたいの。





‐‐‐‐‐‐‐‐‐

20130401



べた甘新婚夫婦。
牧夫妻、期待のしすぎはダメですわよ。


次ページは後書きと恒例(?)のプチ設定。





[*prev] [next#]
back



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -