「みてみてキッド、おっきい満月!」
「おー、今日はよく晴れてんな」
「なんか赤くない?」
「出たばっかりだからだろ。朝日が赤いのと同じ仕組みだ」
「……キッドって博識だよね、意外と」
「一言余計なんだよ」
いつもより少し血色が良くなった唇を飲み口に近付け、缶の中身をこくりと一口嚥下するシン。
俺はその手から缶を奪い取って残りを一気に飲み干した。
やっぱり風呂上がりにベランダで飲むビールは美味いな。
「えっ!ちょっと、なんで全部飲んじゃうの!」
「ふん」
「飲みたいならキッドも持ってくればいいのに」
「別にそれだけじゃないからな」
「なにそれ」
「今日はお前に酔い潰れられると困るってことだよ」
俺の口から出た言葉はいざ言ってみると存外キザな台詞だったかもしれない。
俺らしくもねぇしトラファルガーなんかに聞かれたら爆笑されそうな一言だが、でも、まあ…
今日くらいは許されるだろ。
怒って身を乗り出したシンの腰に手を回して引き寄せると、予想よりずっと楽に体重が俺の胸に移った。
「別、に……、そのくらいじゃ潰れません…」
くぐもった声で呟かれた言葉によると、こいつもまんざらじゃないらしい。
まあ一週間まともに会ってなかったからな。
恋しかったのはお互い様ってことか。
空になった缶を手探りで足元に置いて、シンを抱えたまま座り込む。
俺の胸に顔を埋めて黙っているシンの湿った髪が月明かりのなかできらきら光っていた。
まったく、教授もいい加減にしてほしいもんだ。
自分の研究の手伝いくらい助手にさせろよ。
そのせいでバイトに入れないわこいつとの記念日すっぽかすわ、さんざんな一週間だった。
シンが器のでかい女だったから喧嘩になることはなかったが、それですむ問題でもないだろ。
「……記念日、悪かったな」
「別に…わたしも忘れてたから大丈夫」
そんな嘘、バレバレなんだよ。
お前がどんな料理を作ろうとしてどんなペアリングが欲しかったのか、俺が知らねぇとでも思ってるのか。
「明日7時起きな」
「え?」
胸にあった温もりが少し離れ、ふたつのブラウンがこちらに向かってぱちぱちと瞬いた。
「朝イチで西通りのアクセサリーショップに行って、スーパー寄って帰るぞ」
「え、それ…」
「記念日ディナーってやつだからな、ビーフシチューの肉も高いやつ買ってやる」
「……キッド、何で知ってるの?」
「さぁ?」
お前がそわそわしだしたのはこの一週間よりずっと前だからわかるに決まってんだろ。
俺の観察力をなめんなよ。
シンに関することじゃ誰にも負けねぇ自信がある。
不思議そうな顔をしてこちらを見つめる視線からふいと目をそらしてシンの首筋に鼻を埋めた。
俺の鼻孔をくすぐり誘惑する、ボディーソープの甘い香り。
それを肺いっぱいに取り込んでふうと吐き出すと、シンはぴくりと肩を震わせて少しだけ身を引く。
「逃げんな」
温かな首筋に唇を寄せてしばらくは消えない跡をひとつ。
見えるところはだめだといつも怒られるが、見えなきゃ意味がねぇだろうが。
「や、キッド…、そこはやだ……」
「もう遅ぇよ」
案の定の抗議も唇へのキスで押し流して行為を続ける。
シンを思って少し加減したつもりだったが、久しぶりだったからか。
一通り味わい尽くして顔を上げるとシンは大きく息を吸い込んで呼吸を調えつつ、とろりとした目で俺の瞳を覗いていた。
「……おおかみ、」
「…あ?」
「…キッドって、……狼なの?」
短い呼吸で何を言い出すかと思えば、
「もしかしてお前、酔ってるのか?」
「酔ってない」
「じゃああれか、酸欠でおかしくなったのか?」
「それもちがう」
じゃあなんだよ。
「…だって今日、満月だから」
「はぁ?」
何を言っているんだこいつは。
時々シンは突拍子もないことを言い出すから困る。
まあ、そんなところにも惚れてんだろうと言われれば返す言葉もないが、今回はちょっと話が飛びすぎじゃないだろうか。
第一満月と言えば狼“男”であって狼ではない。
「お風呂上がりだからこの辺が耳みたいで…」
呆れ顔で見つめ返す俺を他所に言葉を続け、シンは俺の耳上あたりの髪に手を伸ばす。
「それにさっき、わたしなんだか羊にでもなった気分だった」
「なんだそれ」
ため息をつく俺を見つめてふふ、と微笑むシンは羊というよりももっと小さな草食動物のようだ。
うさぎか何か、そのあたりの。
まぁどっちにしろ食われる側ってことには変わりねぇのか。
狼に食われる羊、ね……。
「……シン。たとえ羊だったとしても、たぶんお前は羊失格だぞ」
「え…?」
「羊は食われる時にあんな顔しねぇからな」
「あんな顔?」
お前がさっき俺とキスしてるときにしたみたいな、
「幸せそうな顔」
「…!」
ニヤリと笑って囁くと、みるみるシンの頬は赤く染まった。
こういう顔を見るとますますいじめたくなる。
どうしようもねぇ男の性だな。
「ずいぶんマゾヒスティックな羊だなぁ、シン?」
さっきよりもさらに低い声を耳にねじ込むと、シンの体はますます縮こまり顔はすっかり俺の胸に埋まる。
これは駄目だ。
癖になる。
堪えきれずに唇を奪おうとすると、くぐもった声がそれを遮った。
「だって狼が、………だから」
蚊の鳴くような声で呟かれた言葉。
それが今度は俺の顔を赤くする。
そんなことは聞くまでもなくわかっていた答えなのに、実際シンの声で聞くのは想像よりずっと危険な一言だった。
「……バーカ」
一気に気恥ずかしいものになってしまった空気を振り払うように抱きしめた腕の力を強める。
しかしそれがかえって心に広がった気持ちに拍車をかけてしまったようで、俺は強めたばかりの力を緩め今度は未遂でなくシンの唇を自分のそれでふさいだ。
お前、これ以上俺の気持ちを大きくしてどうするつもりなんだよ。
このままだとお前が危ないんだぞ?
いつか俺は本当にお前を食いかねない。
苦しそうに息を漏らすシンを無視して舌を絡める。
俺の胸を押す手が段々と必死なものになっていることに気づかないふりをして貪る俺は、やっぱりシンの言う通り狼なのかもしれないと思った。
月に吼える狼
好きだと吼え、愛してると噛みつく
-------------------
20130501
なんだこの残念な感じ(^q^)
[*prev] [next#]
〈back〉