※ちょっとしたパロディー



いいのか、と彼は言った。
いや、言ったというよりは“訊いた”のかもしれない。
随分噂外れだと思った。
町で聞いた噂話の残虐な彼のイメージと今目の前にいる彼の姿とは上手く重ならなかった。

彼の言葉にこくりと頷いてその白い首に腕を絡めると、待て、と一言制止がかかり、次の瞬間に首に触れる冷たい何か。
ツンとした匂いが立ち上り、アルコールなのだと気付いた。
消毒だなんてこちらも随分噂外れで近代的、なんて思いながら大人しく終わりを待った。

それも終わって、彼はようやくわたしの身体を引き寄せた。
最後の確認の言葉を指先で遮って、ゆっくりと目を閉じると、ふう、と吐かれた彼の息が薄暗い室内に散って、首筋に柔らかな唇が触れた。
ちゅ、なんて可愛い音は一瞬で、次に聞こえたのはその柔らかさの奥に隠れていた鋭いものがぶつりとわたしの皮膚を突き破った音。
不思議と痛みは感じなかった。
ふわふわと高揚した気持ちになったのは彼の牙から注がれる媚薬のせいか、はたまたわたしの精神的な安堵のせいか。

するすると音にならない音をたてて、わたしの生が彼に流れた。
もう少し、もう少し、あと、もう少し。
意識が途切れる寸前、彼の唇が離れて傷口からはだらだらと名残がこぼれ落ちた。
それを眺める彼の瞳が随分と理性的で真面目な色をしていたのは、きっと報酬はここまでだという線引きをきちんとしていたからなのだろう。

わたしが短く はっ、と息を吐くと、彼は先ほどまでわたしを貪っていたその紅く染まった唇を思い切りよく噛んで、じわりと滲んだそれを、同じように赤いのか、なんてどうでもいいように見つめているわたしの傷口に押し当てた。

じんわりじわりと彼の血液が流れ込んで、ぷちぷちとわたしの人間の部分が弾けてゆくようだった。
弾けた細胞、ほどけた染色体。
遺伝子が組代わり、ゆっくりとわたしはヒトでなくなっていった。
まるで早回しのように伸びた鋭い犬歯がひどく非現実的なのに、その切っ先が確かに当たって下唇がちくりと痛んだ。





* * *






どうしてそんなに不機嫌なの?、とわたしは訊いた。
いや、訊いたというよりは“言った”のかもしれない。
だってそんなの答えはわかりきっている。
わたしにとって“めでたい”この日、彼は毎年決まって機嫌が悪い。



「HappyBirthdayとか、言ってくれてもいいのに」



深夜のキッチンで自分で作った小さなケーキを前にして少し拗ねたように呟くと、右脇のベッドでイライラしたようにこちらを睨んでいたキッドは眉をぴくりとさせてとうとう口を開いた。



「ふざけんな、どこが“Happy”だ。それに、そもそも“birth”でもねぇだろうが」


「じゃあなによ、“Unhappy”“Death”dayとでも言えばいい?」



彼の言葉に明るく答えてケーキにフォークをぐさりと刺す。
うん、有り合わせの材料にしてはなかなかそれらしく出来ている。
流石わたし。

ふわふわのクリームを口のなかで溶かしてふふ、と笑う。

今年も無事にこの日を迎えられた。
神様ありがとう。
来年もこの調子でお願いします。

祈りを込めて飲み込むスポンジはあっという間にお皿の上から消えていった。



「お前はそれで満足か?」



ふう、と一息ついてフォークを置くと、いつの間にか立ち上がったキッドが目の前に立ってこちらを見下ろしていた。
さっきよりもさらに額の皺が深く、すごく怖い顔をしていた。



「誕生日を祝ってほしいなら、もうひとつのほうがあるだろ」



歪んだ眉。
苦しそうな顔。

ねぇ、どうしてそんな顔するの?



「別にこっちを祝ってもいいじゃない。“新しいわたし”の誕生日なんだから」



お皿に残ったチョコレートプレートに書かれた“Happybirthday”の文字に頬を緩める。



「そりゃあ色々不便はあるけど。でも、目は前よりよく見えるようになったし、人の気配も強く察知出来るようになったし、身体能力も上がったし、それに、なにより、」



“新しいわたし”の良いところを数えていた左手は、薬指を折る前にいきなりその自由を奪われた。



「それでも、生きてねぇだろうが…」



わたしの左手を掴んだ勢いに見会わない静かな声が頭上から降りてきた。
きゅっと握られた手にキッドの温かさが移る。
普段ひとりのときには何も感じないのに、こうされると彼とわたしとの違いがはっきりと浮き上がるようだった。



「……生きてないわけじゃ、ないよ」


「“人間として”生きてないだろ」



どきりとして、反射的に握られた手をこちらから握り返す。
残念なことにそこからはなんの温もりも移らなかった。
全く冷たいわけではないけど普通の人よりも低い、わたしの体温。
そんな体になってから今日で4年が経つ。


4年前にたどり着いたとある島。
そこにはとある魔物が住んでいた。
人を襲って生き血を啜る、吸血鬼。
島の人々はそれを恐れ、警戒し、島を訪れた人、たとえそれが海賊であろうとも警告するのを忘れなかった。

わたしをその気にさせたのは、例にもれずその事を告げられたときにキラーが言った一声だ。

「ヴァンパイアは普通の怪我や病じゃ死なないらしい」

他に弱点があるようだが、そう続けられたけれど、そんなことはどうでもよかった。

もし、ヴァンパイアになったら、わたしは死なないの?
このまま今までのように、キッドとみんなと一緒にいられるの?
わたしのこの病は、なかったことになるの?



結果としてそのキラーの言葉とわたしの考えは正解だった。
晴れて吸血鬼となったわたしは、治すことは不可能であった病を人間であった感覚と共に取り去ることができた。
たしかに他に変わったこともたくさんあるけど、弱点なんかどうでもいい。
キッドと一緒にいられれば、それで。



「……キッドは、人間じゃないわたしは嫌い?」



あの日に病と一緒に置いてきたわたしの体温。
キッドと甲板で過ごす太陽の下。
みんなで食べる食事の味。

出来ないことが増えた。
生きられる時間が伸びた。

それとは別に、彼の想いは消えてしまった?



「………嫌いじゃねぇよ」



数秒の沈黙の後に静かな声が降りてきた。
そのまま彼は握った手を辿るようにしてわたしの座るソファーの前に膝間付いて、そしてその冷たい手に唇を寄せる。

ずきりと、鼓動が遅くなりすぎて意識することが出来なくなった左胸が痛んだ気がした。
彼の言葉も、仕草も、わたしの望んでいたもののはずなのに。
どうして、なんて疑問にならない疑問。
そんなものを抱えながら、薄暗闇に手を伸ばしてキッドの温かな頬に触れる。
わたし達のその微かな触れ合いを、窓に打ち付けられた木片の間から覗く夜と朝の境目だけが見ていた。










闇に溶けて笑う君が

嫌いなわけじゃない。

ただ、どうしたらいいかわからないだけだ。



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20131031
Happy Halloween











「何がダメなんだろう…」


「…?」


「わたしがこうなってから、良いことだってたくさんあるでしょう?こうしてここにいられることはもちろん、一人で不寝番だって出来るようになったし、少しは強くなったし、別に、わたしの気持ちが変わったわけじゃないのに」


「……まぁ、そう言うな。最愛の恋人を殺されたキッドの気持ちも少しは汲んでやれ」


「わたし、死んでないよ」


「シン。“死ぬこと”と“いなくなること”はイコールじゃない。確かにお前はこの世から消えてはいないしお前にとってプラスの変化もあったが、確実に以前とは“違う”だろう?」


「“違う”……?」


「重要なのはそこなんだ」


「……キラーの言うことは時々難しい」


「そうか…。……まぁ、一つヒントを与えるとすれば、」


「なに?」


「変わってしまった恋人と、変えてしまった自分以外の男。男って生き物はそういうものが気にくわないものなんだ」

あいつの場合は“自分以外の男”だけじゃないのかもしれないがな。



そう言ってふっ、と息を吐いたキラーは、仮面の下でどんな顔をしているのだろう。
彼の最後の言葉と小さなため息の意味について、わたしはどうしても聞くことができなかった。





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