「……は?ちょ、なんだよこれ」
「…え?」
友達にどうしてもと頼まれて仕方なく出席した合コンを早々抜け出して、キッドのもとへ帰ってきた。
なんとなくぶすっとした可愛い彼をなだめるべくちょっといちゃいちゃしていたら、いつの間にかそういう雰囲気になって今に至る。
背中にはいつものダブルベッド、目の前にはキッド、その向こうに見える天井はいつもと同じようにわたしたちを見下ろしていて。
彼の機嫌もよくなったせいもあり実に気持ちのいい日曜日だと思ったのに、目の前の彼の額にはまたしても皺が寄っていた。
「…なんのこと?」
やっと訪れた甘い時間。
キッドがそれを中断してまでも気にするなんて、一体わたしは何をしでかしてしまったのだろう。
「これだ」
答えるキッドが目線で指すのは、少し前に彼によって捲られたシャツのしたから覗くベビーピンクの下着。
この前ボニーと一緒に選んだそれはいつもと違ってセクシー系。
大人っぽい雰囲気の中に可愛さも忘れないそれを、きっと彼も気に入ると思ったのに。
「え、新しいのなんだけど……ごめん、趣味じゃなかった?」
「違ぇよ!」
思いの外大きな声を出されてびっくりした。
どうやら下着自体が気に入らなかったのではないらしい。
となると、ますます疑問が募る。
「じゃあなに?」
「…だから、なんでそれを今日着けてんだよ」
「……はい?」
いつからわたしは新しい物を下ろすのでさえ、キッドの許可を取らなくてはいけなくなったのだっけ。
……いやいや、そんな馬鹿な。
「何か問題ある…?」
「……」
首を傾げて見上げてみても返事はなく、ただただ額の皺がより深くなっただけだった。
そんな顔されたって、心当たりなんかまったくない。
今日下ろしたのことがなんだというんだ。
むしろわたしは下ろしたてのこの可愛い下着に上機嫌で、その上こんな状況になって少し緊張しつつも嬉しく思っているのに。
わたしと天井の間にいるキッドは依然として「何だこいつ」とでも言いたげな目でこちらを見つめている。
悩むわたしに、睨むキッド。
しばらくの沈黙は彼の大きなため息によって壊された。
「…お前、今日合コン行ってきたんだろ」
「行ってきた、けど……」
それがどうしたの?
そもそもそれは急な人数合わせで、わたしが嫌がっていたことはキッドも知っているはず。
現に二次会だアドレス交換だなどと言っている男の子たちをオールスルーして、今ちゃんとここにいるじゃないか。
「だから、」
こちらも思わず不満げに見つめ返すと、先程までわたしの背中を撫でていた手が今は手首をシーツに縫いとめ、彼の視線がますます鋭くなる。
喉元に牙をたてられた羊のように、わたしはなにもできない。
少し前の甘い空気を一掃する現在の状況は、……ちょっと、恐いかも。
「なんで新しいの下ろしたんだよ」
低い声が鼓膜に響いた。
ただでさえ強面なキッドが睨むとその恐ろしさは半端じゃない。
わたしが子猫かなにかだったら、失神してしまうんじゃないだろうか。
「なんだ、今日の合コンに期待でもしてたのか。そこで出会った男と、こういうことしようとでも思ってたのか」
もう一方の手が脇腹を撫で、ひやりとしたそれに背筋が震えた。
「俺はお前を信用して許してやったのに、そんなこと考えてたなんてな」
手首を掴む力が強くなって思わず眉が寄る。
いつもは何をするにもわたしを傷つけないように気を付けていてくれるのに、わたしの手首の悲鳴に気づかないほど今の彼は切羽詰まっているようだ。
深く皺を刻んだ額に、切なげに細められた瞳。
あぁもうだめ、限界。
「………ふふ」
「…何が可笑しい」
思わず漏れてしまった笑いは、案の定キッドのお気に召さなかったらしい。
こちらを睨む彼に、彼自身がきっと気づいていないことを添えてあげる。
「だってキッド、それただの嫉妬だよ」
言葉と共に彼の眉がぴくりと動き、手首の拘束はみるみる緩くなった。
“そこで出会った男と、こういうことしようとでも思ってた”って、なんだそれは。
まったく、どこをどう考えたらそんな考えに至るのか。
「別に今日下ろした理由なんてないの。合コンのこととか、むしろ忘れていたくらい」
「………」
彼は依然としてわたしを睨んでいる。
わたしはそれに臆することなく言葉を続けた。
「第一こうして毎日キッドと同じ空間で過ごしてるんだから、頭にキッド以外のことを入れろっていう方が無理な話でしょう?」
「………」
本当に彼はわたしのことをわかってるんだかわかってないんだか、それがわからない。
もう付き合って長いのだし、お互いそんな浅はかな感情に流されるほど若くはないのに。
彼が黙っているのをいいことに立て続けに言葉を並べる。
いつもは口に出さないようなちょっと甘いそれは、紛れもなくわたしの本音だ。
「それにね、いつもキッドは自分ばっかり求めてるみたいに言うけどわたしだってキッドにふれたいし、だからこの下着も…………って、うわっ!」
調子にのって喋り続けていると、突然全身が重くなった。
びっくりしてまだはっきりとはわからないけれど、どうやら体の力を抜いたキッドがわたしにのし掛かっているらしい。
「ちょっとキッド、重いんだけど…!」
抜け出そうともぞもぞ動くと、彼の赤い髪が撫でて首筋を撫でてくすぐったい。
改めて見るとキッドの頭(というか顔)は今だ露になったままのベビーピンクに埋まっていて、よく考えればこれはかなり恥ずかしい図なのではないかと焦ってきた。
「キッド…!」
「…うるせぇ。ちょっと静かにしてろ」
…静かにしてろって、黙っていたらこの鼓動の速さがばれてしまうじゃないか。
最も、胸に顔を埋めている彼にはもう聞こえているかも知れないけれど。
あまりに恥ずかしくて何もできずにただただ顔を赤くしていると、しばらくして彼はわたしの心臓の上にはぁ、とため息を吐いた。
…ちょっと、やめてよ。
ますますどきどきするでしょ。
思わず出てしまいそうになった甘い声を抑えて放ったわたしのその心の叫びはいくら密着していてもやっぱり物理的に聞こえないようで、キッドはそのまま動かない。
きっと自分の嫉妬心に気付いて困惑しているのだろう彼が何となく可愛く思えて、そっと赤い髪を撫でた。
「ねぇキッド。この下着、似合ってる?」
「…あぁ」
「じゃあ、可愛い?」
「………あぁ」
「キッド、…わたしのこと、好き?」
「………」
「……どうしてそこで黙るの」
不満げに目の前の赤色を見つめていると、キッドがもぞもぞと顔を上げた。
ちょっと気まずそうな顔でふいと目をそらす。
「……嫌いだったらこんなことしねぇよ」
そんなこと言っちゃって。
ほんと素直じゃないんだから。
そんなところはいつになっても変わらない。
そんなところに惹かれてるわたしの想いもいつになっても変わらないのだけれど。
そう思ったらわたしの胸に顔を埋める彼がますます愛しく思えて、彼のその腕で抱きしめてほしくなった。
でも仕方がないから今はまだ我慢しようか。
久しぶりに見たこの不器用で素直じゃなくてとびきり可愛い彼をわたしから抱きしめるのも、たまには悪くないかもしれない。
もう一度そっと彼の赤い髪を撫でると、彼はとん と額をくっつけてきた。
まるで大きな赤ちゃんみたい。
そう思って彼と赤ちゃんというそのアンバランスな組み合わせに笑いながら、込み上げてきた愛しさごとわたしは彼を抱きしめた。
Baby
可愛い可愛い、わたしの貴方
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20130727
babyには色々意味があるらしい。
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