05/28 Tue 22:54:57

「銀幕に舞う蝶、だとよ」



今朝の朝刊をシンに差し出し、もう片方の手に持っていたガーベラの花束をベッドサイドのテーブルに置く。



「普通逆じゃない?お土産が新聞だなんて、嫌よ」


「どうせ花束のほうを渡してもすぐに俺に生けてこいって言うじゃねえか」


「今日はまだそのままでいいわ」



朝刊に文句を言いつつもそれを膝の上で広げるこいつはいつだって自由だ。
それこそ本当に、野原を飛び回る蝶のように。



「これはちょっと違うわね。だって、わたしには芋虫だったころがないもの」



一面記事にしばらく目を通したあとさも当たり前のように言い放ってそれを俺につきかえし、何気ない素振りで窓の外に視線をやる。
不機嫌そうなその姿の中で、目元だけが少し緩んだのを俺は見逃さなかった。



「…お前もまだまだだな」


「何?」


「演技力がたりねぇってことだ」


「なにそれ。そんなこと“銀幕に舞う蝶”に向かっていうの?」


「はっ!そのフレーズ、案外気に入ってんじゃねえか」


「………」


「詰めが甘いんだよ」



怒ったようにこちらを睨む視線を避けて、投げ出された新聞を手に取る。

そこには例の大きな見出しの横にシンの今までの遍歴が並行に並んでいた。
俺と出会った頃から、十年も経った今日まで。
それはこいつが血の滲むような努力をして積み上げてきた財産だ。



「芋虫だったころがない、だなんて今日はずいぶんと強気だな」


「…ふふ」



俺に対しての我が儘なんぞは言い放題でも、こいつは大衆に向かっての謙虚な姿勢は決して崩さなかった。
だからこそ先程のような言葉はずいぶんと珍しい。



「強気にもなるわよ。………だって気だけでも強く持っていないと、今日は、」



軽い笑い声の後に続いた言葉にどきりと心臓が跳ねる。
今までこいつがこんなことを口にすることはなかったし、不安がる素振りを見せることもなかった。

それなのに今更こんなことを言い出すのは、もしかすると…、



「言うな」



遮るとシンははっとしたように口をつぐみ、気まずそうに睫毛を伏せた。
これ以上その続きを言葉にするつもりはないらしい。

そのことに安心している俺は、一体どれ程臆病者になってしまったのか。


しばらくの沈黙を過ごし、再びシンが口を開く。



「言霊なんて信じていないのだけど、」


「………」


「この際『わたしは大丈夫』とでも口にしておくべきなのかしら」


「……あぁ、言っておけ」



言葉には魔力がある。

良いことを口にすればよい方向に事は進むし、逆を言えばそれもまたしかり。
ひとりでポツリとこぼした弱気な言葉も実はどこかで言霊が聞いていて、無邪気な彼らはそれを叶えてしまう。
そういうものだ。



「キッドは、言ってくれないの?『お前は大丈夫』って」


「…言う必要がねぇだろ」


「…?」


「そもそも俺は疑ってねぇからな」



窓の外を見詰めながら言うと、一拍おいて俺のその真面目な言葉にそぐわないくすくすと小さな笑い声が聞こえた。
視線を戻すと、シンが可笑しそうに目を細めている。



「それはもしかして、“彼”だからってことも関係している?」


「…それにはyesと言いたくねぇが」


「まったく、ほんとにあなたたちって素直じゃないわね」



素直な俺たちなんて気持ち悪ぃだろうが。

心の中で吐き捨てた後、そういえばあいつ、遅いな なんて思った。
気を使っているつもりなのか。
それこそ気持ち悪ぃな。


シンが言った“彼”とは俺と何かと縁がある、…というか腐れ縁の男のことだ。
そしてその男はシンの運命を握っている人物でもある。

なんであいつが…、とイラつきしかしないが、こうするしか確実な道がなかったのだから仕方がない。



「そんな恐い顔していないでよ」


「んなこと言ったって仕方ねぇだろ。あいつのこと考えると眉間に…、」



荒い言葉を吐きながらシンの方へ向けた瞬間、言おうとしていた言葉が口の中で消えてしまった。



「そんな顔されると、怖くなっちゃうでしょ」



目線の先のシンの弱々しい表情。
それは実際のところ俺の表情とは関係ないだろう。
それなのにこいつは怖いと言う。
その恐怖がどこから来ているかなんてわかりきっている。



「シン、お前……、」



俺の予想はどうやら当たっていたらしい。
目の前で薄く笑むシンの頬にはいつにも増して色がなく、その唇も少しひきつっている。
どんなに強がった言葉を口にしても、俺たちをからかってみても、こいつに突き付けられた現実は変わりようがない。
迫りくるその時間をただただ待つしかない。



「ねぇキッド。結末はどうなるかしら」


「………」


「台本がないって、想像以上に怖いのね。喜劇か悲劇かもわからないなんて…」



頭の中で返す言葉を必死に探す。
先ほどシンに言われた言葉がよぎったが、ここで「大丈夫だ」なんて言ったところで一体それが何になる?
言葉通りになる確証なんてないし、シンを勇気づけるという今の目的を達成できるとは思えない。
結局俺は何も答えることができずに眉を寄せただけだ。



「手術室で上演される喜劇ってのはある意味見ものだがな」


「…トラファルガー」


「調子はどうだ?」



それは果たしてタイミングとして良かったのか悪かったのか、答えあぐねる俺の背後の扉から“彼”が入ってきた。
そしてそのままシンの傍により聴診器に手をかける。



「まあまあよ」


「…そうか」



今までの弱々しい表情をどこにやったのかいつも通りに顔で答えるシンの服の下に慣れた手つきでチェストピースを入れて、トラファルガーはじっと何かを探るように目を閉じた。
一通り聴診を終え、すぅ とひとつ息を吐いて口を開く。



「一時間後、予定通りにオペを開始する。オペの内容についての説明をもう一度聞くか?」


「いいわ。ちゃんとわかってるから」


「ならいい」



最近は見慣れたこいつの白衣姿だが、今日はさすがにいつもよりも医者らしく見える。



「今更だがお前、ヤブ医者じゃなかったんだな」


「ユースタス屋、言葉に気を付けろ。こいつの心臓は俺が握っているんだぞ」


「……それは洒落になってねぇから言うな」



俺の言った嫌味に対して返ってきた言葉は冗談にもならないものだったが、いくらか張りつめていた空気が緩んだ気がした。
シンの表情はそれが本心からかはわからないにせよさっきとうって変わって引き締まったものになったし、俺自身の重苦しい気持ちもトラファルガーに対しての苦笑のなかに霞んでしまった。
どうやらこの担当医の影響は大きいらしい。
まったく気にくわねぇがな。


しばらくいつものようにトラファルガーと意味のない言い合いをしていると、背後に控えていたナースのひとりが先生、と声をかけた。
いよいよだ。



「時間だ」



トラファルガーの声でナースたちが一斉にシンの周りを囲み、ゆっくりと丁寧にその体を車椅子に移動させる。
ありがとう、だの 大丈夫よ、だの何事もないかのようにナースに向かって微笑むシンはさすがだ。
新聞の一面で手術の成功を祈られる大女優の顔をしている。

体勢が整い、ひとりのナースによって扉が開かれた。
薬品臭い廊下へと連れ出されるシンの乗る車椅子が床を滑り始めた瞬間、



「シン」



思わず声をかけていた。

本当はこんなつもりじゃなかった。
俺の言葉で何かが起こるわけでもないし、第一俺はそれを疑っていないはずだから。



「くたばるなよ」



そう呟いた俺の声は後ろ向きのシンにもちゃんと届いたようで、こちらを向いた小さな背中がぴくりと動いた。



「…ばかキッド。普通手術前の恋人にはもっとロマンチックなことを言うでしょ」


「…あいにく、台本通りは嫌いなんでな」



そうね、あなたはそういうやつよね なんていつものように明るい言葉を残して、シンの姿は扉の向こうに消えた。
病室には俺とトラファルガーだけが残される。



「いいのか、あんな味気ない送り出し方で」


「別に、最後の別れでもあるまいし。…お前がそうはさせねぇんだろ?」


「よくわかってんじゃねぇか」

 

にやりと笑うトラファルガーにこちらもまたにやりと笑い返す。



「よろしく頼むぞ、トラファルガー“先生”」


「……改めてそう言われると気持ち悪いな」


「はっ、…つべこべ言わずに早く行けよ」


「そうだな。監督がいなけりゃ劇は始まらない」



そう言うと白衣の裾を翻してトラファルガーが出ていき、部屋には俺一人が残された。

この白で埋め尽くされた病室は、人がいなくなるとひどく冷たい感じがする。
一気になったこの殺風景な部屋の中、鮮やかな色を放つのは俺が買ってきたガーベラの花束だけだ。

明日になったら、この部屋はどうなっているのだろうか。
きっと、もうひとつの色が戻っているのだろう。
どうせならそこにはささやかな笑顔も添えてほしい。

そんな思いを叶えるため、俺は花束を手にとって水道に向かった。







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