騎士靴七章 | ナノ
 
 黒耳の騎士と靴屋の新月



終章 



 快晴の冬の日、長期休暇前の最後の勤務をやけに上機嫌にこなしている男を、アーリグはようやっと捕まえた。この二日靴職人が巻き起こした騒動の事後処理に追われたり捕まえようとしたところをのらりくらりとかわされたりと、もどかしい思いをしていたのだが、完全に逃げられる前にようやっと人が賑わう食堂で不意打ちをして腕を掴むことができたのだ。


「てめぇこの野郎! 今日こそ逃がさねぇぞっ」


 その上機嫌の男は、あきらかに「しまった!」という顔をしてアーリグの神経を逆撫でる。


「あの朝やけにスッキリした顔してた割に報告も無しとは、恩知らずにも程があんぞヴィグン!」

「……報告する義務はないだろう」

「いいやあるねッ! 誰のおかげでくっつけたと思ってんだ!」

「知ってるんじゃないか」


 鼻息も荒く詰め寄ってくる友人の顔を嫌そうに見た男は、興味津々で二人を窺う周りの視線にうんざりと友人の手を取った。


「私の執務室でいいな?」

「おうともさっ!」


 連れだって歩き出すと残念そうな視線に追いかけられてヴィグンは午後の演習の内容を少し増やす決意を密かに固める。執務室までくると、アーリグは勧めてもいないソファに座って視線だけで尋問を開始した。


「……別に、報告するようなことはないぞ。彼が私の番になったというだけの話だ」

「それが聞きたかったんじゃねぇか! おめでとうヴィグン」


 怒りながら祝うという器用なことをしたアーリグに、ヴィグンは苦笑を返す。


「まぁお前には感謝してるさ。あの一夜がなかったら、私は彼と添い遂げなかっただろう」

「そうだろう、そうだろう。で、なんで番が出来たのに長期休暇取り消さねぇんだよ」


 番が出来たら嬉々として仕事に励みそうな男があえて長期休暇の申請を取り下げない理由が気になって、アーリグは聞くのが一番早いと率直に尋ねる。それを尋ねた瞬間、アーリグは見てはいけないものを見てしまった気がした。
 ヴィグンの顔が、結構付き合いの長いアーリグも初めて見るような愉悦に満ちた凶悪な笑みを浮かべていたのだ。


「あの、ヴィグン?」


 おそるおそると、アーリグは友人に声をかけた。どこかうっとりとしたようにヴィグンが答える。


「繁殖期も悪くはないな、アーリグ。いっそ明けなければ良いとさえ思うのは初めてだ」

「あ、そ……そう?」


 目を白黒させ、まるで恐ろしいものを見るような顔でヴィグンの顔を眺めたアーリグは、やたら甘ったるい匂いをさせていた靴職人の顔を思い浮かべて祈ってやった。
 恋はどんな人種でも、ただの馬鹿に変えるらしい。


***


 勤務を終えたヴィグンは、片手に小さな花束を持って己の家とは反対にある中央区を目指していた。噴水広場から少し入った路地に、愛しい番の家がある。番は普通に仕事があるため、長期休暇の間はずっとそこに居座るつもりで足取りも軽く人混みを抜けていく。そこかしこからヴィグンに向けて周波を送る女性がいたが、ヴィグンにしてみれば番の魅力に勝てるはずもない。

 夕方、ランタンの明かりがほのかに灯る靴屋の前で、ヴィグンは顔をほころばせた。新月が過ぎて繁殖期の終わった番はあのヴィグンを誘惑した芳香も消え、日常に戻っている。それでもヴィグンには誰よりも彼は魅力的に見えた。

 カランとドアベルを鳴らしながら店に入ると、奥の工房からいらっしゃいと元気な声がする。明るい声音はこうなる前からヴィグンの好みであった。奥から顔を出したソノラはヴィグンの姿を認めると、来客用の笑顔を消して頬を桜色に染める。その変化は、ヴィグンのお気に入りだった。


「ヴィグン、副師団長……」

「役職を付け加えるのはいい加減やめてくれないか? 恋人なんだから名前で呼べばいいだろう」

「あ、あの、慣れなくて」


 恥かしそうに俯く赤いうなじに噛み付きたい衝動をこらえて、ヴィグンは頬を撫でるに止める。


「じゃあ、これから慣れないとな」

「はい」


 ヴィグンは手にしていた小さな花束をソノラに渡すと、それまで穏やかだった雰囲気を消して、堪えきれず口元に笑みを乗せた。ソノラの目が見開かれ、小さく肩が震える。


「もう店仕舞いだろう?」

「え、えぇ。表の看板を下ろせば終わりですけど……」

「私が片付けてこよう」



「あ、あのあのあの、いい、いいですよ俺の仕事なんで!」

「遠慮することは無い。君は二階に上がっているといい」

「あ、あの」


 どきまぎとソノラがヴィグンを見上げる。ヴィグンは花束を持って抵抗出来ないソノラを抱き寄せると、赤く染まっている耳に唇を寄せた。


「それとも私が運ぼうか?」


 相変わらず、ヴィグンには何か違うものが取り付いたままのようだった。赤い顔を目一杯振ってなんとか腕の拘束を解こうとしたソノラだったが、あごを捕らわれて唇を寄せられれば観念したように身体の力を抜く。
 例えこれが悪魔の所業でも、なんだか幸せな気がするのでどうにでもなれと目をつむった。




         【 了 】




 
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