騎士靴10 | ナノ
 
 黒耳の騎士と靴屋の新月



 ヴィグンの呼吸が危機感を感じるほど荒くなった所で、アーリグはゼンダに一時中断を申し出てヴィグンを医務室から連れ出した。覗いてみた友人の目は若干うつろで、言動はしっかりしていたがかなり危ない状態だなと眉を寄せる。ちょっと突付けば今にもソノラに襲い掛かりそうだ。普段理性的な男だけにそのギャップは凶悪で、間抜けだったが鼻を押さえていて正解だったなとアーリグは首の辺りを掻く。


「あー、大丈夫か? ヴィグン」

「何がだ?」


 医務室の扉に視線を固定したまま声だけは平静に聞き返している友人に、アーリグは危ないと判断して「そういや昼飯がまだだったな」と呟きながらヴィグンを食堂に引き摺って行く。

 引き摺られている合間もヴィグンの視線は医務室に固定されており、本人にその自覚はなさそうだ。


(あー、重症だなこりゃ)


 それが良いことのようにも思えるし、ソノラ次第では悪いことにもなりそうな予感にアーリグは鈍感だが愛しい友人の幸福を願ってみた。


(ちょっかいはあとでかけるとして)


 とりあえずは、遅めの昼食でもとりながら獣になりかけている友人の頭を冷静にしてやろうと廊下を突き進んだ。


***


 ふわふわと波間を漂うような感覚に、ソノラの頬がふにゃっと解けた。ここ最近はいつも疼いている箇所に苛まれてあまり良く眠れていかなったが、久々に深い眠りを取った感覚にゆっくりと意識が浮上していく。無意識に手が周りを探って、柔らかい毛布の感触を掴んだところで声をかけられた。


「起きたかね?」

「ひぁっ……!」


 驚いて一気に意識が覚醒する。見開いた目に映ったのは年老いた熊種の男だった。


「だ、誰ですか? ここどこ……ッ!」


 起き上がろうとした途端忘れていた乳首の疼きが戻って、そのままうずくまって悶えてしまう。変なところを見られたとソノラが真っ赤になっていると、男から穏やかに声をかけられた。


「まぁ落ち着いて。応接室で倒れたのを覚えてるかな?」

「あ……」


 ゆったりとした声に男の顔を見上げれば、それは意識が眠るまで見ていた自警団勤めの医師の顔だった。見知った顔に状況を思い出したソノラが小さく頷くのをみて、ゼンダは厳つい顔に柔らかな笑みを乗せる。


「よく眠れたようで良かった。熱は下がったかな?」


 聞かれて、震える手で己の額を触ったソノラは平熱に戻っていることを告げてゆっくりと起き上がる。自覚するとやはり身体が疼いて熱い呼気が口から漏れる。それを見たゼンダがやはり熱があるのではと聞いてきたがソノラは首を振った。


「熱じゃなくて……」

「ああ、身体のほうか。そればっかり私にもどうにも出来ないな」


 穏やかに言われ、ソノラはバッと勢いよく顔を上げた。目の前の医者を思わず凝視してしまう。


「知って……!?」

「まぁ、これだけ強烈な香りだからなぁ」

「香り……?」


 微妙に食い違っている話に、ソノラは首を傾げた。ゼンダも不思議そうな顔をしている。


「あの、香りって……?」

「うん? わからないかい? ああ、鼻は人間なのかな」


 窓の外はもう茜色に染まっていた。燃えるような色の雲が、様々な濃淡をもって西に流れていく。自警団を訪れたのが昼の少し前だったので、結構眠ってしまったんだなとソノラは意識の隅っこで思った。


「ソノラ君と言ったかな。君、ご両親は?」


 唐突に質問されて、ソノラはまた首を傾げた。その拍子に服に乳首が擦れてしまい起きているのを諦めてベッドに横になる。


「すみません。えっと、もう二人ともいなくて」

「その両親から、なにかこの症状について聞かされていないかな?」

「……俺、やっぱり病気なんですか?」


 不安そうなソノラの声にゼンダは困ったような顔で頭を掻いた。ソノラの様子に、欲しい情報は得られそうにないと悟って昼間ヴィグン達にも見せた本を片手にソノラの寝ているベッドの近くに椅子を寄せて座る。


「あ、その本……」


 ゼンダの手にある本を見て、ソノラが小さく声を上げた。


「うちにもある本です」

「……ほう」


 ゼンダの手にしている本はボロボロの一見価値が無さそうに見えるが手写しの貴重本で、そう出回るような本ではない。まして一市民が買えるような値段で売っているものではないのだが。

「では読んだことがあるのかな?」

「はい、幼い頃母が絵本代わりに読んでくれて、懐かしい」


 ソノラの手がボロボロの表紙を愛しそうに撫でた。
本の内容は子供の読み聞かせに適しているものとは思えず、ゼンダはある種確信をもってソノラに告げる。


「君は虹種だな?」

「へっ……?」


 思ってもみなかった言葉に、ソノラの口がちょうどゼンダの指一本分程開く。可愛いような間抜けな表情にゼンダの顔が笑みで歪んだ。クツクツと笑われて、ソノラの頬が窓の外と同じ色に染まる。


「いやすまない。この本を知っているなら話が早い。君のその香りはおそらく、虹種のものだと思うんだが」

「え? え?」

「ここ最近、なにか身体に異変があったね?」


 気になっていよいよ病院に行かなくてはと思いつめてことをずばり言われ、恥かしさにソノラがうつむいた。


「でも、母は人間で」

「お父さんは?」

「父は……俺が小さいときに」

「ふむ」


 では、その父親の方が虹種だったのだろうとゼンダは思った。どういう経過は知らないが、ソノラの母親は虹種の父親と番になりその事実をソノラには告げずに逝ったのだろう。


(生まれたときに虹種の特徴が何もなかったのかな。だから人間として育てられたのだろう)


 万が一虹種であることを他人に知られれば面倒なことになりかねない。外見でわからないなら、そう育てたほうが安全だ。


(だが、保険としてこの本を読み聞かせた)


 何かあった時に思い出せるようにと。
 ゼンダは混乱を隠さずすがるような視線を向けてくるソノラを安心させるため微笑んだ。あまり刺激を与えないようことさらゆっくりと頭を撫でる。


「安心おし。君はここで保護することになった」

「あ、あの、話がぜんぜんわからないんですけど」

「ふむ。君のその異変は虹種の特徴と一致しているといったね。虹種は繁殖期になると強烈な誘引物質を放つんだ。それは鼻の良い亜人種にとっては好みの女性に誘惑されているようなものなんだよ」

「はっ!? え?」

「その異変が治まるまでは、危ないから自警団で保護することになったんだよ」

「な、治るんですか?」


 色々聞きたいことはあったが、ソノラが反応出来たのはそこだった。混乱を極めている頭が希望の単語に歓喜の声を上げる。


「繁殖期が終われば身体も元に戻ると思うよ。亜人種はえてしてそういうものだから」

「よ、よかった……」


 今にも泣きそうな声で安堵しているソノラに孫を見るような目を向けていたゼンダが、ふと顔を上げて医務室の扉を見た。


「ああ、来たようだ」

「失礼します」

「!!」


 医務室の扉を開けたのは、なにやら難しい顔をしたヴィグンだった。おまけのように後ろにアーリグが鼻を押さえながら立っているが、ソノラの目に入ったのはたった一人だった。姿をとらえた瞬間ソノラを中心に色濃く充満していた香りが濃厚になって広がる。


(……!!)


 それまで平静を保っていたゼンダの全身の毛が、威嚇をしているときのように一気に逆立った。それほど濃い匂いが部屋を埋め尽くす。その匂いにやられたのか医務室に入った瞬間ヴィグンの瞳が揺れた。背後にいても雰囲気が変わったのがわかったのだろう。アーリグは押えていた鼻を離して両手でヴィグンを羽交い絞めにする。事態を見越していたのか、その鼻にはピッチリと栓がされていた。


「落ち着けヴィグン、キレるのはあと!」

「なんの話だ? というか離せ、動けないだろう」

 自覚がないのかよと、声だけは平静な友人にアーリグが焦る。ヴィグンは己の呼吸が乱れているのに気付かぬままアーリグを振り払うと、迷わずソノラの所に向かう。


(い、いきなり襲い掛かったらまとまるどころか嫌われてしまうぞ馬鹿……!)


 アーリグがその背を止めようと手を伸ばしたがふと栓をしいても鼻腔に潜り込んでくる強力な芳香が、昼間感じた香りよりずっと甘くなっているように感じた。


(あ……?)


 気になって栓をしたまま匂いをたどると、やはり甘いように感じてヴィグンの背を掴む手を止めた。ソノラのところにたどり着いたヴィグンがなにやら話しかけているのを後ろで眺めながら、何故か固まっているゼンダの方へ歩いていく。


「なぁ、ゼンダのジイさん」

「……なんだ」

「あれってさ、そうなんじゃねぇの?」


 アーリグが指差した方向には、ヴィグンに向けてはにかんだような笑みを浮かべるソノラがいる。濃厚になった匂いといいあの表情といい、わかりやすく好意を示していた。


「……気付かぬのは本人ばかりか」

「背中押してやるべき?」

「よせ、馬に蹴られるぞ」


 そうは言ってもと、アーリグはニヤついた笑みをなんとか隠してヴィグンに声をかける。


「おいヴィグン!」
「なんだ?」


 振り返ったヴィグンの目には明らかな欲が浮かんでいて放置してもなんとかなりそうだったが、虹種の繁殖期は今夜で終わるらしいしこの朴念仁はうっかり耐えて絶好の機会を逃しかねないからと、アーリグは一つだけ口を出すことにした。


「その子、今夜ここに泊まるんだろ? 夜勤の馬鹿が襲いかねんからお前一緒に泊まってやれよ」

「なっ……」


 アーリグの言葉にヴィグンが戸惑ったように声を上げた。ソノラも驚いたようにアーリグを見ている。意外にも賛成を唱えたのは、先程アーリグをたしなめたゼンダだった。


「ああ、それには私も賛成だ。ヴィグン副師団長なら安心だろう。年寄りは帰って寝るよ」

「し、しかし」


 動揺と欲の狭間でヴィグンの瞳が揺れる。ゼンダは大きな口を開けて欠伸をしながらソノラに目を向けた。


「知り合いがいた方が彼も安心じゃないかな。私はこの時期一度寝ると朝まで起きられないし、懸念事項が消えてよかったよ」


 ソノラのことをゼンダに任せるつもりだったヴィグンは焦って口をまごつかせる。突然の展開にソノラも戸惑っていたが、内心は少しだけ期待していた。


(え、これ現実かな? ヴィグン副師団長と一緒に泊まれるかもしれないって)


 何故こんな身体になってしまったのかと泣きそうになった日もあったが、そう悪いことでもないように思えてくるから人は現金だ。こんな機会きっと二度と来ないと、ソノラがキュッと毛布を握って、若干の期待を込めてヴィグン見たときだった。また部屋に一段と甘く濃厚な匂いが広がって、近くにいた三人の男はそろって固まる。中でもヴィグンの瞳から徐々に理性が消えていくのが手にとるようにアーリグにはわかった。


(てか、こんだけ全身で誘われて何故あの馬鹿は気付かねぇんだ! 何故我慢しようとしてる!)


 アーリグにはソノラがヴィグンに向かって「食べて、食べて、美味しいよ?」とつれないヴィグンに必死でアピールしているようにしか見えないのだが。

 あまりのじれったさに頭を抱えて床を転げまわりたいような気分でアーリグは話をまとめにかかる。

「いいから警護しとけよヴィグン! お前以上の適任がいねぇんだから守ってやれ!」


 俺達は勤務終わったから帰るぞ! とアーリグはすでに眠そうなゼンダの腕を引いて医務室から出る。パタリと扉を閉じたところで深く息を吐き出した。

「あー、じれったい。なんなのあれ、なんでまとまらないのあれで。見え見えじゃん!」

「自分の背中は見えないもんだ。さーて、余計な心配せんでいいし私は帰るよ」


 また欠伸をして、ゼンダは背を向けて玄関へ向かって歩き出した。その背にアーリグは一つ疑問を投げる。


「あ、なんで賛成したのゼンダのジイさん。ちょっと反対気味だったじゃん」

「どこぞの見知らぬ男に襲われるより、まだマシだろうと思ったからな。好いてるようだし」

「……馬に蹴られるんじゃねぇの?」

「ま、年寄りの要らぬ世話だと思うがね」


 そう言ったゼンダの背は、暗くなった廊下の角に消えた。


「要らぬ世話ねぇ……」


 そう言うなら、己こそそうなのだろうなとアーリグは閉じた医務室の扉に目を向ける。室内に取り残された二人は、アーリグの押し付けるように作った機会をどう扱うだろうか。


「ま、明日になりゃわかるだろ」


 あれだけお膳立てをして手を出してないようなら一発友人を殴ってしまおうと決意して、アーリグも愛しい家族の待つ家路を急ぐことにした。




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