弥吉4 | ナノ
 
 弥吉怪談-まってるね-



■■■



 唐突にぱっちりと、弥吉の目が開いた。

 弥吉は身体が動く事を確認すると素早く時計をみて時間を確かめる。

 午前二時四十九分。

 軽く舌打ちした弥吉はこたつから這い出て部屋の灯りをつけた。上にかけられていたタオルケットがぱさりと足元に落ちると同時に部屋の明かりがつく。

 灯りがついても全体的に部屋は暗くよどんで、弥吉に対する拒絶がぴりぴりと皮膚に突き刺さる。

 いる、ととっさに弥吉は確信した。

 塩の浄化効果について弥吉はそれほど信じている訳ではないが、それでも確実に一回部屋から"それ"を掃き出していた。比較的集まりやすいと言われる水場に盛り塩を置いたのは気休めに過ぎないが、ベランダ側の窓から嫌に黒いもやが見える。

 質の悪いタイプだと震えそうになる身体に気合いを入れて弥吉は対面でこたつに脚だけ突っ込み寝ていた男を蹴り起こした。


「いっ……!」


 ぐーすかと暢気に寝ていた紀佑は脇腹を蹴られて鋭い呻き声を上げ、しばらくもだもだと芋虫のようにうごめいたあと恨めしげに弥吉を見上げた。


「ちょっと! 弥吉君いきなりなにすっ」

「静かに」


 珍しく緊張したような固い声で、軽口を混ぜるでもなく注意する弥吉に紀佑はびくりと震えて口を閉じた。経験上、こんな時は大抵怖い事が起こるのだ。そしてそれは騒いだらより混乱と恐怖を招く。

 弥吉が凝視してるベランダ側の窓から小さく、カリリッと引っ掻くような音がした。

 カリ、カリリッと、最初は小さく断続的だった音が次第にガリガリと大きくなり、それはすぐにガラスを引っ掻く不快な音に変化して真夜中の部屋に響く。


「なんなんあれねぇ弥吉君、あれ」

「随分質の悪い巨大なネズミだな」

「ネズミ!? ネズミなの!? 窓がやられちゃう!?」

「さて、食い破られる前に逃げたい所だがな」


 弥吉の言葉を遮るようにバンッと強く窓を叩かれ、二人はビクリと口を閉じた。再び小さくカリカリとガラスを引っ掻く音が響く。


「弥吉君怖い超怖い」


 紀佑は青ざめた顔で弥吉の腕を取って抱き付いた。まさか男に抱き付かれると思ってもみなかった弥吉は片膝立ちの状態でとっさに踏ん張る事も出来ず、こたつに半身を埋めた紀佑の上へ無様に倒れ込む。

 あろうことか紀佑はベランダ側の窓を凝視しつつ、そのまま弥吉をぎゅっと抱き枕にした。額に青筋を浮かべた弥吉の肘が頭の天辺に入っても紀佑は弥吉を離さなかった。

 ガリガリと窓がきしみをあげる。


「おい離せ。逃げれんだろ!」

「捨てないで弥吉君! お願いだから捨てないでぇぇ!」

「ふざけんなキスケ! キモイ固い気持ち悪い!」

「なんとかしてくれるって、言ったじゃん!」

「言ってねーよ!」


 意地でも離さぬと踏ん張る紀佑に青筋を浮かべて踵を紀佑のレバーにめり込ませる弥吉と窓の怪音で六畳の室内は奇妙な空間となった。

 無視をするなと言わんばかりに窓を引っ掻く音が大きくなるが、脅かされる男二人は恐怖に包まれつつもどうしようもない口論を繰り広げている。


「こりゃ手に終えん。短い付き合いだったがお前の事は心底うざかった。さようならキスケ君」

「許さないわ! 俺はこの手を離さないぞ弥吉君! 例え身が朽ち果てても弥吉君の側にいてやる!」

「窓の外にいるらしきなんかと気が合いそうじゃないか。俺はほっといてそっちと仲良くしてろよ」

「いやぁ! 弥吉君捨てないでぇっ俺と一緒にいてよぉ!」

「泣いてもわめいても俺の気持ちは変わらん。さようならキスケ君」

「離さないって言ってるでしょ!」


 何の修羅場なのか本人達にもわからなくなった所で窓を引っ掻く音が止まった。二人は戸惑うように視線を合わせ──紀佑が鼻水まで垂らしてるのを見た弥吉がこたつ布団で紀佑の顔を隠した。忌々し気に紀佑の顔をぐりぐりと拭く。


「いひゃいいひゃいいひゃい」

「俺に鼻水をつけやがったらこのままベランダに放り出す」

「まじすいません」


 こたつ布団で豪快に鼻水を拭われた紀佑は赤くなった鼻頭にシワを寄せこたつ布団を悲しげに見つめた。後で洗濯せねばなるまいと、現実逃避をはかる。

 広いとは言えない室内が、静かで奇妙な空気に包まれていた。鼓膜が痛くなるような不自然な沈黙は先の怪音より弥吉の神経に突き刺さる。

 腹に体重を乗せた肘を叩き込んでなんとか紀佑の腕を抜けた弥吉は、呻きつつもまだ己の服を掴んで離さない紀佑を放置して油断なく室内を見渡す。

 じっとりと、弥吉は眉の間を狭めた。

 室内にあの何かは入ってこない。ただ外から存在を誇示するように威圧と恐怖をじわじわと伝えてくる。

 いくらでも都合の良い仮説は立てられるが、弥吉はそこまで楽天的になれない人間であった。


「みみみ…みみよし君」

「誰がみみよしか」

「まど、まどまどまど、まどまど!」


 弥吉が眉間に深い皺を刻みながら考えていると、紀佑がガタガタと小刻みに震えながら窓を指す。嫌な予感に背筋の毛穴が開く感覚がし、それでも弥吉は紀佑が指さす窓を見た。


「ッ――――!!」


 確かに、弥吉は、ソレと視線が合った気がした。全体的にぼんやりと輪郭がぶれているソレは、古いフィルムの中の登場人物のようであったが、茶髪にボブカットの現代的な格好をした女であった。

 顔にポカリと、空いた穴さえ無ければ。

 窓にベタリと張り付いたソレには奥行きもなく、顔に三つ空いた穴は深い闇色でしかし確かに弥吉と紀佑の方を見ている。せわしなくペタペタと窓を触る手が異様に長く時折窓を引っ掻いては耳障りな高い音を鳴らす。

 紀佑はパニックに陥った。腰が抜けたのか玄関を目指して尻で廊下を這う。弥吉も後退をしながら、どこに逃げ込めば良いのかを必死に考えていた。


「なにあれなにあれなにあれ」

「見たのは初めてか」

「違う。透けてぼんやりしてたけど顔はッ……!」


 唯でさえ血の気が引いている紀佑の顔色から更に赤味が消え、聞こえるか聞こえないかくらいの音量で紀佑は呟いた。


「俺、顔……思い出せない……よく見てた……の、に」


 弥吉は紀佑の襟首を掴んだ。すぐそこの玄関を蹴破り力任せに紀佑を引きずって走り出す。背後からズルズルと脚を滑らせる音がしたが、弥吉も紀佑も振り返らず駅前まで駆け抜けると煌々と明るい二十四時間営業のファミレスへと駆け込んだ。

 息を乱し駆け込んだ二人の男を、店員は訝しげな顔で席に案内した。お好きな席へと言われた二人は迷う事無く窓から離れたドリンクバー前に陣取る。テーブルへべったりと沈み込んだ二人は会話もなく息を整えることに集中した。


「……もうやだ」


 重苦しい沈黙を、テーブルに懐いたままの紀佑が涙声で破る。弥吉は強張っていた身体からようやくと力を抜きファミレスの硬いソファーへ身を沈めた。細く長い息を吐いて頭を掻く。


「ありゃどうにもなんねーよ」

「そんな、弥吉様……諦めないで」

「だから、俺ァ、見えるだけだっつってんだろ。あんなお前にもはっきり見えるようなもんどうしようも出来ん」

「俺はどうしたら……」

「引っ越せ」


 いつまでも注文ボタンを押さずにいたら気を利かせたのか様子を見に来たのかはたまた暇なのか、店員が席まで「ご注文はお決まりですか?」とわざわざ注文を取りに来たので弥吉はメニューも見ずにポテトとドリンクバーを頼んで店員を下がらせた。

 縋る目つきを弥吉に向ける紀佑の顔色はすぐれない。紀佑は再びテーブルへ顔を伏せると女のように顔を覆いさめざめと泣き出した。顔のパーツを全体的に中央に集め歪ませた弥吉が紀佑の旋毛を見下ろして舌打ちする。


「そんな金……ないし」

「じゃああの部屋戻って仲良くしてろ」

「無理無理無理無理絶対やだ。弥吉君お願いだから泊め」

「いやだ。あんなのに狙われてるお前とこうしてんのだけで虫唾が走る」

「うぅ……ひどいよ弥吉君」

「大体な、お前かなり今やばいのわかってんの?」


 ドリンクバーから己の分だけストレートティーを取ってきた弥吉は不味そうにそれを飲みながら紀佑の背後へと視線を動かした。バッと紀佑も青い顔で振り返るが変わったものは何も見えず首を傾げて弥吉を見る。

 弥吉はただ渋いだけの紅茶を傾けつつ、スッと紀佑の背後を指差し「黒いんだよ」と紀佑にはよくわからない事を言った。


「……なにが?」

「お前の背中、べったり伸びてんだ。黒いのが」

「ひわぁぁあっ」


 紀佑は途端に目を白黒させ背を懸命にソファーへこすりつけたが、そんなことで取れる代物ならば弥吉の目にだけ映らない。


「と、取って取って取って!」

「無理」

「なんでっ」

「塩で無理なら俺にはどうも出来んな」

「そんなぁ」

「だから、寺に行って、そんで引っ越せ」


 弥吉の忠告を今度こそ黙って聞いた紀佑はただ「はい」と神妙な顔で頷き二人は夜明けを待ってファミレスを出た。



■■■



 さて、余談にしかならないが置き去りにしていた鞄を取りに弥吉と紀佑はアパートの部屋へと戻った。入りたくないとゴネる紀佑を蹴り飛ばし弥吉が中に入ると室内はものをひっくり返したように荒れていて、紀佑の息の根が止まりそうであった。窓に多数の引っ掻き傷があり、薄く開いているのがなんとも不気味だ。

 中でも弥吉の鞄はボロボロになっており弥吉は無事な中身だけ取り出すと紀佑に向かって弁償するようにと言い残し泣いて引き留める紀佑を置いて早々に帰宅した。

 それからの紀佑はとにかく迅速に動いていた。近所の寺に駆け込むと事情を洗いざらい話して住職を引っ張り出し、持ち物の殆どを処分して引っ越したのである。

 逐一報告に来られた弥吉は嫌な顔をしたが、引っ越して次第にアパートの夜を忘れていく紀佑にもはや何も言うまいといつもの場所の、誇り臭いソファーへと身を沈めていた。

 あれから暫く、紀佑が再び涙声で弥吉のもとを訪れた。新居の郵便受けに入っていた一枚の紙を持って。

 弥吉はそれを目にした瞬間、持っていたミネラルウォーターの中身をすべて紀佑にぶちまけると脱兎のごとく逃げ出した。紀佑が妙な叫びを上げながら追い掛けてくるがもう弥吉の知った事ではない。

 紀佑が持っていた一枚のよれた白い紙には読むのが難しい筆跡で、同じ場所に何度も何度も書いたように太い字で一言こう書かれていた。

 ――まってるね。




E.


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