林檎をかじった王子の話
鞄の中で弁当がカラカラと音を立ている。不愉快極まりない。
家から学校まではチャリで十分、遠くは無いが近くもない。最早慣れた道をチャリで走り抜けていく。部活はしていないから用事が無ければ家に真っ直ぐ帰る。
奴にも用事が無ければ、おそらくは俺ん家の前で待機しているだろう。いい加減家の鍵を渡すかどうか悩むが、それだけはしてはいけないようにも思う。
車庫の横にチャリを停めると、予想通り玄関先で待っていたのだろう奴が顔を覗かせた。
「みーくんお帰りなさい」
「……ああ」
低い声に既に俺を超えてしまった長身の男は、そこだけは変わらない林檎みたいに赤い頬を更に染めて俺に駆け寄ってきた。
「今日は早かったんだね」
「用事もねぇからな」
適当に答えたながら玄関に向かう俺の後をゆったりと付いて来たそいつは、俺から鞄を強奪すると大事そうに抱えた。
「お弁当、美味しかった?」
「まぁな」
「全部食べた?」
「空」
「……ふふっ、嬉しいな」
いつもの事なのでほっときながら鍵を開ければ、当然のような顔で奴……雪白も玄関をくぐる。
俺ん家は共働きで、両親とも夜遅くまでは帰ってこない。だから小さい頃はよく母親の友人である雪白の家に預けられていた。
「お前さ、いつもいつもわざわざ玄関で待ってなくていいから」
「待ってないと、みーくんもう家には来ないじゃん」
「あのな、高校生だぞ。自分の事ぐらい出来るっつの」
「みーくん俺が居ないと何も出来ないでしょ」
「居なかったら一人で出来てんだよ」
制服を脱ぎながらリビングのソファーに腰を下ろす。雪白は手慣れた仕草で俺の脱いだ制服を拾い上げハンガーにかけて吊した。
「シワになっちゃうよ」
「誰も気にしねーって」
「ダーメ、みーくんは格好良いんだから、いつもピシッとしててもらいたいもん」
「……」
会話をしているのが馬鹿馬鹿しくなり、俺は眉をしかめたままテレビを付けた。夕方のニュースの内容は頭にさっぱり入らない。
(いつからだっけ、コイツが俺ん家に押し掛けるようになったのは)
確か、俺が高校に上がったと同時だった。コイツは俺と入れ違いで中学に入学したばかり。
当時はまだ俺より全然小さくて華奢で、あの頃の面影も色濃く残っていたのにだ。
(急にデカくなりやがって)
気付いたら身長を抜かれていた。ソプラノボイスもテノールになり、骨格も俺よりしっかりしている。
(詐欺だろ)
いや、それを詐欺と言うならコイツは最初から詐欺だった。
『みーくん』
幼い頃から変わらない雪白だけが呼ぶ愛称、初めて呼ばれた時は舌足らずの高い可愛い声だった。
真っ白い肌に赤い頬、ふわっふわの栗毛。
「本当、詐欺もいい所」
「何か言った?」
「別に」
台所に立つ雪白はマイエプロンを身に付け、包丁片手に首を傾げている。
それに気のない返事を返して視る気の無いテレビのチャンネルを無意味に回した。
俺は雪白と出会って奴が小学校に上がるまで、雪白を女の子だと信じて止まなかった。
男と知った時の衝撃は、弁舌し辛いものがある。
あの黒いランドセルを見た瞬間理想の女の子は俺に忘れがたいトラウマを残してくれやがったのだ。
しかし三つ子の魂百まででは無いが、俺の理想は変わら無かった。今でも肌の白い頬が林檎みたいに赤い女の子が好きだ。
残念なのは彼女が出来る度に雪白に邪魔をされる事と、幼い雪白を超える女の子に出会っていない事か。
「みーくんご飯出来たよ、運んで」
「ん」
まったく見ていなかったテレビを消して台所へ向かう。今日の夕飯はオムライスだ。出来栄えはプロ並みの、卵がフワフワしてとろけているアレ。
それに手製のデミグラスソースがかかっているのだから、目玉焼きすら満足に作れていなかった二年前から驚愕の進歩を遂げたと言えるだろう。
それをモデルルームの如き配置で整えられたテーブルへ並べるのだ。外食に行くのが馬鹿馬鹿しくなる。
「じゃ、頂きまーす」
「頂きます」
向かい合わせに座って手を合わせる。学校じゃやらないが家では絶対にやる習慣だ。
オムライスをスプーンですくって口に入れると、ガーリックライスと卵とソースが絡んで口の中で味が広がる。
「旨い」
「本当!? 自信作なんだ」
本当に嬉しそうに笑った雪白に、俺はやはり背筋が寒くなった。
俺が高校に上がると同時にコイツが料理を始めたのは弁当で周りを牽制する為だといつだかこぼしていたのを、俺はうっかり聴いてしまい知っているから。
「あのな、雪白」
「なぁに?」
「毎回言うが……無理しなくていいんだぞ、料理とか」
気遣うふりでさり気なく止めるように促す。雪白はニコニコ笑いながら「無理なんてしてないよ」と言い放つ。
「好きでやってんの、みーくん知ってるでしょ?」
「や、でも弁当とか、大変だろ?」
「いーのいーの。お嫁さんが旦那さんのお弁当作るのは当たり前だもん」
間を埋めるように飲んだ野菜ジュースが口から逆噴射した。解っていても実際耳にするとどうしても理解したくない事実。
←/→