ニューライフ
死んだ私が鍵を持っているのは変な話だろう。
それにこの家は思い出で溢れてしまって、去りがたくなってしまう。
「私は今英司君なんだ。持っていても仕方無いだろう」
「そうかい? なら、ここへ来たくなったらいつでもワシに言いなよ。アンタの家だ、せがれも文句は言わんだろ」
「どうかな」
果たして息子に私が解るかどうか、怪しいものだ。
苦笑を漏らした私を見て、話を変えるように唐突に源ちゃんがそうだと声を上げた。
「アンタに紹介したい奴がおるんだよ」
「私に?」
はてと、私は怪訝な顔をした。私は英司君の身体に入っている身である。どう考えてもそれがバレるのは色々と不味いような。
「心配せんでも大丈夫だ。ウチに戻るにあたって色々困る事もあるだろうから、やっちゃんの手助けをしてくれる奴らだよ」
そう言うと、源ちゃんは庭の隅に向かい「出てきなさい」と声を張り上げた。
つられて視線をそちらに送れば庭の片隅で揺れていた陽炎が段々と塊になり、やがて形を作ってポコリと地面に落ちる。
「なっ!?」
『九燿さま!』
『九燿さま』
それは二匹の狐だった。黄金色で尾先の白い、絵に描いたような狐である。
狐達は軽やかな動作でリンと首に括られた鈴を鳴らしながら源ちゃんの下まで駆けてくる。
そうして並んで地面に座ると、細い眼で私を真っ直ぐに見上げてきた。
『こんにちわ利保さま!』
『こんにちわ利保さま』
私は驚いて声も出なかった。先程まさかとは思ったが、やはりこの狐は言葉を話すようだ。しかも私の名前を当たり前のように呼んでいるではないか。
説明を求めて源ちゃんを振り返ると、いつもの悪戯に成功した子供のような顔で私を見下ろしていた。
「金と銀だよ」
「金と銀!?」
聞いて、私は更に驚いてまた二匹に目を向けた。右の方は誇らしげに胸を張り、左の方は照れたように上目遣いで私を見上げている。
性格に大分違いがあるようだったが、二匹はぱっと見ただけでは見分けがつかない程酷似していた。違いを上げるならば、首に赤紐で括られた鈴の色だろうか。
「でも、金と銀は石像だろう」
「あれは地上に留まるための媒体だよ。本来ならこっちの姿が正しい」
『この姿では初めてで御座いますね、私、右の狛狐で御座います』
『私、左の狛狐で御座います』
優美な動作で私に頭を下げた二匹は、そのまま縁側に上がり私の左右で寛ぎ始める。
『これから利保様の御世話をさせて頂きます。どうぞよしなに!』
『よしなに』
右側、金色の鈴をつけた狐が私に頭を擦り寄せてきた。思わず見事な毛皮に指を通せば、ふかふかの毛並みが指に優しい感触をもたらす。
「可愛いな」
細い目を更に細め、掌に押し付けられる毛並みの感触についずっと撫でていれば、左側から袖を引かれそちらに目を向けた。
銀色の鈴をつけた狐がじっと私を見上げるので撫でると、狐はスッと目を細めて一つ鼻で息を吐いた。
「や、可愛いな」
年甲斐も無くときめいてしまい、私は抱き締めたい衝動を撫でる事で堪えた。それに夢中になっていると源ちゃんが自慢げに頷いて笑う。
「可愛かろう可愛かろう。金も銀もずっとやっちゃんに構って欲しくて仕方なかったようだからの」
「!!」
はたして餌付けが功を奏したのだろうか、兎にも角にもこう懐かれては眉も下がる。
私は二匹が嫌がらないのを良い事に、ずっとその柔らかな毛並みの感触を楽しんだ。
「家に戻ればワシの息子の藤吉郎や嫁の智子さん、孫の由佳里もおる。ワシが居ない時に何か困ったら、そいつらを頼るといいだろう」
『誠心誠意、尽力致します故!』
『なんなりと、申し付け下さればと』
頭をまた下げられ、私もよろしくお願いしますと頭を下げた。そしてふと浮かんだ疑問を源ちゃんに尋ねる。
「でも、いきなり二匹も狐を連れ帰ったら家の人が驚かないかね?」
「大丈夫大丈夫、金も銀も、ワシとやっちゃん以外には見えないよ」
「や、見えないって……」
私は撫でていた狐の片割れを見下ろした。毛並みは柔らかく暖かい。
確かに触っている。
「でも触ってるよ?」
疑問をそのまま口にすれば、さもありなん「見えるから触れるんだよ」とあっさり返される。
「……そんなもんかね」
「そんなもんさ」
請えば喜んで説明してくれるだろうが、詳しく聞くとまた頭がこんがらがりそうなので、その一言で私は納得した。
さてとと、源ちゃんは金を押し退けて私の横に座った。金は不満そうな顔をして私の背後で丸まる。
「面通しも終わったし、これを食ったら家に戻るか」
「あぁ」
『御不安でしょうが、我等も背後から憑いております故』
『利保様におかれましては大船に乗った気持ちで居られればと』
お任せ下さいと胸を張る二匹に、私は少しだけ胸が軽くなったような気持ちになる。
「よくよく考えりゃ神様が私に味方をしてくれるんだものね。心配するだけ損かな」
「そうそう」
「源ちゃんは早いとこ英司君を見付けなさいよ」
「ぐっ……!」
頷きながら茶を飲んでいた源ちゃんは、私の言葉に茶を喉に詰まらせて咳き込んだ。
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