ニューライフ
燦々と陽の降り注ぐ中庭の木陰のベンチに私達は腰を落ち着けた。
程よく広い中庭は草木や花が植えられており、入院患者や見舞い客のみならず医師や看護士にとっても憩いとなっている場所である。
降り注ぐ太陽の熱を避けた木陰には湿気を含んだ風が緩やかにあたり、気持ちよさに私は大きく身体を伸ばした。
「で、英司の身体はどうだねやっちゃん」
ベンチに座った途端コンビニの袋を漁っていた源ちゃんは顔も上げずに聞いていた。
私も中庭で寛ぐ人をぼんやりと眺めつつ答える。
「どうもこうも、他人の身体は使い勝手がよく解らん。まだあちこち痛いしな」
「そうかね。まぁリハビリしてくうちに慣れちゃうよ、ほれ」
何やら色々買い込んだらしいコンビニの袋から氷菓子を取り出した源ちゃんは、ようやく顔を上げて赤と緑のうち緑色の方を私に寄越してきた。
「宇治金時かね」
「アンタ好きだろう」
「源ちゃんはイチゴ味が好きだよね」
「昔はほいほい食えんかったからなぁ、どうにも」
互いに苦笑を漏らしつつ蓋を開けると、安っぽい緑色の氷にささやかにクリームと小豆が乗っている。
木の棒ですくいつつ口に含むと、微かな抹茶と程よい甘さのクリームが混ざり合い喉を通り過ぎた。
「美味いな」
「便利な時代になったもんだ」
「本当になぁ」
豪快にイチゴ味の氷菓子をすくって口に入れた源ちゃんは、頭に響いたのか暫し顔をしかめて拳で額をコンコンと叩いた。
「それで、英司君は見付かったのかね」
互いに暫く氷菓子を咀嚼し、半分程食べた所で私はずっと気になっていた事を聞いた。
「それがさっぱり」
「さっぱりって……」
既に氷菓子を食べきった源ちゃんは、やはりコンビニで買ったのだろうペットボトルの緑茶に口を付けつつ肩を竦めた。私は呆れて眉を下げる。
「やっちゃんが英司の身体に入る前から探しとるんだぞ。そうそう簡単に見つかるならとっくに見つけとる」
そう言って、四肢を投げ出してベンチの背もたれに寄りかかった源ちゃんは不明瞭な声で呻いた。
よく見れば目の下には隈が出来ており、幾分か疲れているようだ。
「そりゃそうだが」
そんな姿を見ればそれ以上強く言う事も出来ずに、私は語尾を濁して押し黙った。
「……やっちゃんにゃ申し訳ないが焦る事も無くなったし、じっくり探すさ」
「でも、源ちゃん……それじゃあ英司君が困るだろう」
「身体があろうがなかろうがフラフラしちょるような馬鹿孫だ。ちっとは困れば薬にもなるだろ」
鼻息も荒く言い捨てた源ちゃんは横向きに体勢を変えて私を正面から見据える。そうして深い溜め息を吐くと、愚痴るように呟いた。
「全く不甲斐ないが、もうどこをほっつき歩いとるのか皆目見当もつかないんだよ。お手上げなの」
「頑張りなさいよ、神様なんだから」
「神様っても人間なんだから、使える力に制限があるのよ」
「そんなもんかね」
「そんなもんさ」
二人してガックリ肩を落とす。半分残っていた氷菓子は溶け出して液体になりつつあった。
私は手持ち無沙汰にそれを掻き回しつつなんとなしに呟く。
「英司君は、何処に行ってしまったのかねぇ」
「本当に……何処をほっつき歩いてるやら」
それきり途切れてしまった会話の沈黙に、中庭で寛ぐ人の声や蝉の鳴き声が混ざる。そよぐ風に木の葉が揺れて、私達の耳を触っていった。
すっかり肩を落とした源ちゃんの珍しい姿に私は頬を掻いて困ってしまう。死んでからは源ちゃんの知らなかった面を見せられてばかりだ。
「まぁ、そう肩を落としなさんな。私が入ってる限り、英司君の肉体は大丈夫なんだろう?」
「あぁ、肉体に問題はないよ。やっちゃんのおかげだなぁ」
「なら、源ちゃんの言うようにじっくりやるしかないさ。ここまで来たらなるようにしかならんだろう」
私の言葉に顔を上げた源ちゃんは、相好を崩してにじに寄ってきた。どうにも気持ちの悪い動作に私は思わず仰け反る。
「な、なんだね」
「ワシ、やっちゃん大好き」
「気持ち悪いから改まって言わなくてもいいよ」
「失礼な、アンタ神様に好かれとるんだぞ!」
「今は人間でしょう」
片手で大分近い源ちゃんの顔を押しのけて溜め息を吐く。拗ねたように頬を膨らませる源ちゃんを無視して、私は空を仰いだ。
陽が暖かい。風が心地良い。そよぐ木の葉の囀りが耳に優しい。
それら全てに私は例えようもない違和感を感じた。慣れ親しんだ感覚の、奇妙な不一致だ。
「他人の身体というものは、不思議な感覚がするんだな」
源ちゃんを押しのけた右手を掲げ、私は木陰の隙間から見える太陽の光を遮った。
皮膚に張りのある手の甲に、枯れていないよく伸びる低い声。ぼけやない視界、見慣れぬ高さの世界。
それは全てはこの違和感に通じている。見慣れた世界の、違う感触だ。
「源ちゃん、私は死んだんだよな」
独白に近い呟きを、源ちゃんはちゃんと拾い上げて頷いた。
私はその肯定に変な話だが安心感を覚える。
「この間、やっちゃんの葬儀に出席したよ」
「そうか」
「アンタの身体は冷たくなって、今はもう無い」
「焼かれたか」
「うん」
源ちゃんの話によると、私の身体は無事喜美枝と同じ墓に入ったらしい。
湿った風が吹き抜けて、急に十は老けたような気分で私は目を細める。
己の死後を知るなど、世界中探しても恐らく私くらいだろう。
「なんだが、妙な気分だ。死んでなお意識があり、他人の肉体で動くなどと……」
「やっちゃんのせがれは泣いとった」
「そうか」
「ずっと謝っとった」
「……そうか」
あの馬鹿息子の事だから、どうせうじうじ泣いて醜態を晒したのだろう。
私は何だが笑いたくなって声を上げた。同時に泣きたくなって目を覆い隠す。
きっと泡を食って慌ててイギリスから飛んできたに違いない。
労るように伸ばされた源ちゃんの掌が、肩に触れた。
それはとても慣れない、ただただ優しい感触だった。
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