ニューライフ
「順序立てて話そう」
源ちゃんは人差し指をピッと立てて言った。
既に順序も何も無いと思ったが、私は黙って頷く。
疑おうが騒ぎ出そうがこの身体は英司君だし、事情を知っているのは紛れもなく源ちゃんなのだ。
「そもそもワシが神様なのに人間の身体を得ているのには訳がある」
遠くを見ながらやたら感情を込めて語られた話は爺らしく私すら眠くなる程長かったので、要点を抜き出すと、つまりは源ちゃんが人間になった経緯はこうである。
源ちゃんが神様をしていた社はその昔、それはもう栄えた社だったそうだ。
けれども時代の流れと共に参拝客は減り、明治の終わり頃、神主が大病を患った時源ちゃんはもう諦めていたらしい。
今でこそ開発の進んだ地方都市だが、あの時代は少しばかり大きいだけの村だったこの辺りで、廃れた社に次の神主が見つかる筈もなく、後継ぎが居ないまま神主は源ちゃんにただただ謝りながら亡くなったそうだ。
「神様ってのは、人気稼業なんだよ。忘れられちゃあお終いさ」
源ちゃんが言うには、地上に神様が存在する為には人々の『思い』が必要なんだそうで、それが無くなった神様は天上に上がりひっそりと悠久の時を過ごすらしい。
源ちゃんは神主が亡くなった後も天上に上がるまではとずっと土地の人を見守りながら、風化していく社の中でその時を待っていたんだとか。
そしてちらほら社の様子を見に来ていた人間も居なくなった時、源ちゃんは光に導かれて天上に上がったそうだ。
「でね、ワシ天上に上がって釈迦に挨拶に行った時言われたんだわ」
――長きに渡り地上で人々を見守ったその徳で、今度は己の願を叶えてみるといい
「つまり頑張ったワシにご褒美くれたんだよ」
源ちゃんは考えた。一度人間として暮らしてみたい。
そう言った源ちゃんに、お釈迦様は笑いながら源ちゃんの願いを叶え、源ちゃんは社のある山の地主の子として地上に戻ってきたんだと。
「ワシ、人間が大好きでね」
父亡き後は土地を継ぎ、開発の波にも負けず己の居た社をひっそり守りながら、人間として今まで暮らしてきた。
そう言って笑った源ちゃんの顔は、なる程神様のような慈愛に満ちた顔だった。
「つまり、源ちゃんはあのお社の神様だけど人間になったんだと」
「そうそう、解ってくれた?」
私は頭を抱えたくなった。腕がもう上がらなかったので無理だったが。
果たしてこれは、本当に私の身に起こっている事なのだろうか。
死ぬ間際の私が、走馬灯のように見た夢ではないだろうか。
「……まぁ、源ちゃんが神様なのはいいとして」
「なんだい、納得してんのかやっちゃん」
「九十年近く培った常識を崩さにゃならん。そうそう頭は切り替えられんよ」
「頭自体は、英司だがなぁ」
源ちゃんが言ったその一言で私はハッとした。
そうだ。肝心の所がまだ解らない。
どうして私が源ちゃんの孫の英司君になっているのか。
私の顔を見て源ちゃんも心得たのだろう。一つ頷くとまた口を開いた。
「人の肉体と魂は、家のようなもんでな」
人が住まなくなった家の風化が早いように、中身……魂の無くなった肉体の風化もまた早いんだそうだ。
「英司が半年前に事故をして以来、ずっと入院してただろう」
「あぁ」
「肉体の損傷はそれほどでも無かったが、英司の意識はずっと戻らなかった。頭を打ったとかじゃあない。不味かったのは、中身がまるっきり抜けとった事だ」
事故の知らせを受けて源ちゃんが病院に駆け付けた時には、英司君の魂は既に肉体に無かったらしい。
「人の居なくなった家のように、中身の無い肉体が朽ちるのは早い。中身を失った英司の身体は例え健康体だったとしてもとても危ない状態だった」
「……」
「寿命ならばそれも仕方が無い。だが、英司は死ぬにしては不自然なまでに早かったんだよ」
「……どういう事だ?」
「人の寿命っちゅーもんは、魂と肉体のバランスで決まる。肉体が病気になったり激しく損傷をしてしまえば、中身は元気でもやがて肉体が朽ちてしまうし、逆でもまた同じだ。どちらか、あるいは両方のバランスが崩れる事、それはすなわち寿命が尽きる事を意味し、ワシにはそのバランスが見える。英司は不自然なバランスの崩し方をした」
「肉体は元気なのに、中身が消えた?」
「そうだ」
本来、肉体と魂はそのバランスが崩れるまで離れる事はなく、英司君の場合はまだバランスが崩れていないのだと源ちゃんは珍しく難しい顔をして唸った。
「英司の肉体も魂もまだ繋がってないとおかしいのに、どういう訳だか中身がポーンと消えとるんだ」
「そんな事はよくあるのか?」
「あったら困るよ。ちゃんと寿命を迎えて天上に上がらない魂は輪廻から外れてしまう」
「外れるとどうなるのだ」
「ただ現世さ迷うだけの存在となってしまう」
「……」
私も源ちゃんも、小難しい顔をしたまま黙ってしまった。
いきなり降って沸いた話に頭が追い付かない。
いや、もう最初から訳が解らないのだが。
混乱しているばっかりの頭でもただ解る事があった。
「ワシは神様だが今は人間だ。出来れば孫にはちゃんと寿命を全うし、天上に上がってもらいたい」
「源ちゃん……」
「輪廻から外れるなど、そんな永劫さ迷う存在にはなってほしくないんだよ」
源ちゃんが、孫を助けたいと必死な事だ。
そうしている姿は神様なんて尊い存在ではなく、孫を心配するただの爺に見える。
「何があったのは解らんが、あるべき中身を失った英司の肉体はもう限界だった。ワシが少しずつ力を分けて注いで保たせたが、中身がないんじゃあ死体と変わらん。もうそんな小細工じゃあ保たなかったんだ」
「アンタ、それで私を英司君の身体に入れたのか」
「……やっちゃんの魂は、まだまだ元気だ。肉体さえ元気ならあと十数年は生きただろう。迷惑は承知だ。やっちゃん、孫を……英司を助ける手伝いをしてくれんか」
見慣れぬ私の手を握り、源ちゃんは何度も頭を下げた。その姿が切ない。
私は遠い異国にいる孫を思い出した。もし私が源ちゃんならやはり必死で助けたいと思っただろう。
なにより、他でもない源ちゃんの頼みだった。私に勿論否はない。
「顔を上げておくれ源ちゃん」
「やっちゃん」
「アンタの頼みだ。源ちゃんは何度も私を助けてくれた。嫌なんて言うはずがないだろう」
「っ……! あぁ、やっちゃん」
「こんな爺が入ってしまって、英司君には気の毒だが、私でよければ力になるよ」
「やっちゃん、やっちゃんすまないなぁ、ありがとう。ありがとう……ごめんなぁ」
「謝らないでくれ。なぁに、どの道死んでたんだ。ちょっと長引くくらい、大した事じゃあないさ」
そう言って笑った私に、源ちゃんはへにゃりと眉を下げてもう一度小さく「ごめんなぁ」と謝った。
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