ニュラ1 | ナノ
 
 ニューライフ


 齢八十八歳。まぁまぁ長生きしたほうだろう。ボンヤリと天井に浮かぶ染みを呑気に眺めながら、私ははそう思った。

 隣に住んでる源ちゃん何かはそろそろ百歳近い筈だが、まだピンシャンしている。見目だって私より下に見えるくらいで何処か化け物じみていたが、テレビを見ればそんな老人はよく居たりした。

 出来る事なら見習いたいと思うが、どうにもならない事ってのはある。

 息子夫婦は海外赴任で一家丸々イギリス住まい、半世紀以上連れ添った妻は三年前に旅立ってしまってるし。


(こりゃあ、孤独死かねぇ)


 老人の独り暮らしが増えている昨今さして珍しい事ではないし、私はそれ程悲観せずに身近に死が迫っているのを感じていた。

 指先から体温が抜けていく感覚。視界の端から視力が奪われていく感覚。

 幸い、隣に住んでる件の源ちゃんは二日に一回は家に遊びに来るのでそう悲惨な事にはならないだろう。

 何よりも、痛くない。


(老衰かね、往生じゃないか)

 眠るように死ぬとは、何とも贅沢だ。

 胃癌があちこちに転移した妻は苦しみ抜いて逝った。むしろ申し訳ないくらいの死に方である。

 遺言は弁護士に預けてあるし、入る墓も妻が逝った時に作ったものがある。ペットも居ないし盆栽は息子夫婦が売るなり世話するなりどうにかするだろう。思い残す事は何もない。

 私は最早少しの力も入らない身体を布団に横たえ、緩やかに最期の時を待った。


「ピンポーン、ピンポンピンポンピンポーン!」


 眼を閉じた瞬間、玄関で声がした。ウチの玄関は引き戸で古い家故にチャイムはない。鍵をかけてない引き戸が、返事をしないにも関わらず遠慮無く開けられる騒々しい音が声に続く。

 こういう冗談と遠慮の無さを兼ね備えた人物は、決まっていた。


「あれま? やっちゃーん、いないのかーい?」


 間延びした声が玄関を潜り、居間、仏間を覗いている気配。一番奥にある、私が倒れている床の間が開けられるのにそう時間はかからなかった。


「あれま、やっちゃん!」


 随分と近くで声がしたので、鉛の如く重い瞼をどうにか抉じ開けて音のする方に眼球を動かす。

 そこに居たのは真っ赤なアロハシャツを着て、どういう訳か健康的な小麦色に肌を焼いた隣の源ちゃんが予想と違わずに居た。


「…………」


 名前を呼ぼうとして、声も出ない。私はただ驚いた顔の源ちゃんをどうにか目で追う。


「あぁ、あぁ、喋らんでええ。アンタ昨日までピンシャンしとったくせに、もう逝くんか」


 応えられぬので、とにかく今にも閉じそうな瞼を気力で抉じ開けつつ源ちゃんを見る。

 源ちゃんの表情は霞んで見えなかった。


「寂しくなるのう、寂しくなるのう、けどね、どうにもこれは天命だなぁ」


 霞んでいる源ちゃんの影は何故か天井を見上げたまま呟く。


「アンタの肉体の限界だ。中身はもちっと持ちそうだが、こればかりはバランスでねぇ」


 さっきから何が言いたいのだろうか。

 未だ天井を向いてブツブツと呟いている源ちゃんの話が半分も頭に入らない。


(私の寿命の事か? 説得してくれんでも、今更足掻いたりせんから大丈夫だ)


 源ちゃんは冷たくなっている私の手を握り絞めて、歳の割りに活力に満ちている声で話しかけてくる。


「そうだやっちゃん! 事故ったワシの孫を知ってるだろう?」


 何で今、源ちゃんの孫の話しになるのだろうか……首を傾げたかったが身体は一寸も動かない。

 源ちゃんの孫といえば、あまり見た事はないが相当なヤンチャ坊主らしく、そもそもあまり家に寄り付かない。

 半年前にバイク事故を起こしてからはずっと入院していた筈だ。


「どうやら中身を失ったあの馬鹿孫の身体が、そろそろ限界みたいでね」


 私の意識もそろそろ限界みたいなんだが。

 いい加減逝ってしまいたい気持ちをどうにか押し留めて、私は源ちゃんに半ば見えない目を向け続ける。

 源ちゃんが握っている手が酷く熱かった。不思議とそっちに意識を向けると少しだけ頭がすっきりする。


「ありゃあ性質だね。フラフラしてると思ったら、中身も本当にフラフラしちょる。だからなやっちゃん!」


 源ちゃんはずいっと私に顔を近付けて、入れ歯ではないらしい白い歯を見せて笑った。


「アンタちょっと、ワシが孫の中身を見付けるまで身体に入っといてくれんか!」


 さも名案だとでも言うように、源ちゃんは声を上げた。本当に源ちゃんは出会った時から最期までファンキーだ。もう私には日本語を真似した呪文かというくらい耳に馴染まない。

 源ちゃんは、私が妻とこの地に腰を据えるずっと前から居たらしく、私が引っ越しの挨拶をするより前に菓子折りをねだりに訪れた。ここら辺一帯に住む人間は皆そうだったらしい。私達の後に来た人も、挨拶回り前に源ちゃんの特攻訪問を受けていた。

 まぁ以来、私の何が気に入ったのか暇なだけなのか、源ちゃんは度々私の家へ来てはバンドを結成しようと私にギターを握らせてみたり、海が熱いと言って私をサーフィンに連れ出したり、今の時代はパソコンだと言って勝手に私の家のプロバイダ契約をしたり。

 妻が亡くなってからは更にその突飛な言動は増し、三味線の大会に出るだの英語を習いに行くだの果ては遥々北海道まで蟹を食べに行かされた事もあった。

 元々トンチキな人だったが、思えば妻が亡くなった後は源ちゃんなりに私を励ましてくれたのだろう。が、如何にせんやる事為す事言う事突飛過ぎて、私はいつも振り回されていた。

 そう言えば、源ちゃんの外見は髪の毛や肌の色などの変化はあれど会った時から然程変わっていない。


(案外本当に化け物かもしれんなこのじじいは)


 これから死ぬだけだと言うのににわかに背筋が寒くなった。どうして今まで気にしなかったのか。

 私が疑念を抱きながら源ちゃんを眺めている間にも、源ちゃんは独りうんうん頷きながら訳の解らない話を続けている。
 

「それがええ。ワシ、もちっとやっちゃんと遊びたいし、孫も助かるしで一石二鳥だわ! つー訳でやっちゃん、ちょいと失礼っ」


 と、どうやら勝手に結論に至ったらしい源ちゃんが私に覆い被さってきた。


「……!?」

「なぁに、怖い事はないない。中身を先に抜くだけだから。痛くも無いし、目が覚めたらパラダイスだからの!」


 もういっそ無理矢理叫んでしまいたかった。

 あろう事か、源ちゃんはそう言って輝くような笑顔を私に向けた後、ムニュリと、私に接吻をしてきたのである。


(なっ、なんでーっ!?)



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