騎士靴3 | ナノ
 
 黒耳の騎士と靴屋の新月



 仕方なく、ソノラは赤い顔のままヴィグンを見上げた。下世話な話題を振ってしまった羞恥心で声が震えてしまう。この手の話題がソノラは苦手だった。同年代の友人が少ないので、免疫がない。

 あまりの慌てぶりに無礼よりも愉快さがこみ上げてきたヴィグンが、珍しくも声を張り上げて笑う。

「もうそんな時期です」

「か、からかわないで下さい! ほんとにただの、ドジなんですっ」


 ああもう俺バカと、頭を抱えてしまった青年をみてヴィグンはいくらか心が和むのを感じた。こういう人間をみると、己の仕事はなんと誇り高いのかと気負うでもなく思う。彼のような人々を守っている仕事なのだ。そうすると、繁殖期で仕方ないとはいえ長らく留守にしなければならないのが煩わしくて仕方ない。今朝方支部に寄った時にしたアーリグとの会話が頭をかすめた。


『お前も早く相手見つけろよ!』


 欲しいと思ってすぐ手に入るなら、とっくに見つけているとヴィグンは眉を寄せた。しかし己に群がってくる人は皆、ヴィグン自身ではなく地位を見てる気がしてならないのだ。そんな相手と良好な関係が気付けるとは思わないし、好きでもない相手と添い遂げようとはどうしても思えなかった。何より、繁殖期が煩わしいという理由だけでそこら辺の誰かを伴侶にするのは浅慮すぎる。


『頭固いよ、ヴィグン』


 煩い、自分はそういう性質なのだから仕方ないだろう! と、頭に響くアーリグの声に反論する。己だって、愛する人が欲しくない訳ではないのだ。

 ふと、無意識にヴィグンの瞳が目の前で慌てて小さくなっている靴屋の青年をとらえた。


(そうだな、伴侶にするなら……)


 彼のような人物なら好ましいかもしれない。真面目で控えめで、奥ゆかしくすら思うこの青年のような人物ならばと。そんな人との日々は、きっと心地よく愛しい。


「あ、あの……?」


 あまりに微動だにせず見つめられてソノラが戸惑ったように声をかけた。思考が旅立っていたヴィグンはいきなり現実に戻されて、今考えていたことに呆然と表情を無くす。


(私は今何を、考えて)


 確かにヴィグンの目の前にいる青年には好感を持っていたが、それは人としてだ。けして女性に対するようなものではないはず。ヴィグンは緩く頭を振って、ソノラに笑いかけた。


「いや、なんでもない」

「そうですか? あ、計測終了です。お疲れ様でした。サイズに変わりはありませんね」

「そうか」

「以前作ったものに何か気になる点とかありましたか?」

「いや、問題なかった」

「では基本的な作りは同じにしておきます。こちら、注文書の控えです」


 残りの欄をさらさらと埋め、ようやくと注文書を作り終わったソノラは転写シートを挟んだ下の一枚をヴィグンへ差し出した。その顔はどこかほっとしているようにも見える。ヴィグンは受け取った控えを上着の内ポケットにしまって、名残惜しいようにソノラに声をかけた。


「本当に届けてもらっていいのか? 配達は仕事外なんだろう?」

「大丈夫ですよ。俺よりきっとヴィグン副師団長の方が忙しいですから」

「そうか、ありがとう。頼んだよ」


 明朗に笑うソノラに控えめに笑い返したとき、ふと、鼻腔を甘い匂いが掠めた。思わず習性でヴィグンは匂いを追う。何かの果実に似た、甘く後を惹くような残る香りのくせに、匂い自体は一瞬で霧散し消えてしまった。掠めた瞬間普段は抑えている本能が顔を出してしまいそうな、そんな蠱惑的な香りだった。


(なんだ?)


 匂いの元が気になってしきりに鼻で匂いを辿る。本当に一瞬掠めただけで消えてしまったその香りがどうしても気になった。甘く香る、果実に似た本能を誘う匂い。


「どうかしました?」

 常にない様子で鼻を動かしてるヴィグンが気になったのだろう。ソノラが首を傾げてヴィグンを見上げる。


「いや、何か甘い匂いがしなかったか?」

「甘い匂いですか? 特に俺は感じなかったですけど」


 そもそも狼種と人間では嗅覚がだいぶ違う。ヴィグンの嗅覚がとらえた微かな匂いをソノラが感じ取るのは難しい。鼻をひくつかせたソノラに苦笑を返したヴィグンは「いや、いいんだ」と首を振った。


「長居をしてしまった。そろそろ私は行くよ」

「そうですか? では、出来上がりましたら支部の方へお届けに行きますね」


 なんとなく、ヴィグンは己を見上げて微笑んだソノラの頭をポンと撫でた。思いがけず触れた温もりにソノラの頬がほのかに染まる。その時、ヴィグンの鼻を再びあの甘い匂いがくすぐっていった。やはり一瞬で消えてしまったその匂いがとても気になったが、ヴィグンは振り切るように静かに店を出た。



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