騎士靴1 | ナノ
 
 黒耳の騎士と靴屋の新月



黒耳の騎士靴屋新月


第一章
『穏やかな冬空の下で』



 港を囲むようにそびえる要塞都市レスターニャ。大陸の中で比較的大きな力を持つアルジ王国の中でも、この都市は独立都市として長い間栄えていた。交易の盛んなレスターニャ港はいつでも賑わい、港近くの市場では毎朝毎夕、商人達の怒号が飛び交っている。

 様々な人間や亜人種が多い割に治安が良いのは、年間を通して温暖な気候と合わせたようにのんびりとした住人の気性、加えてレスターニャ領主直属の自警団の活躍が大きいだろう。

 この街では人間と亜人種が折り合いよく共存をしている世界でも珍しい都市だ。今でこそ亜人種の人権は尊重されてきているが、世界全体ではまだまだ人間と亜人種の間にある確執は大きい。レスターニャでは領主の方針により昔から人間も亜人種も等しく市民権があり、人種に関係なく生活を共にしていた。だからこそレスターニャには治安を日々守っている王直属の騎士団にも負けない程の強さを誇る自警団が存在している。

 亜人種と呼ばれる種族は、言ってみれば人間以外の人型である。様々な種類があるが総じて人間より基本的な身体能力が高い場合が多い。レスターニャの自警団は半数以上がその亜人種、中でも攻撃能力の高い種族で構成されている、世界でも類を見ない団体なのだ。


「ヴィグン!」

 背後から大声で呼ばれたヴィグンは、かなり遠くの方から己目掛けて走ってくる塊を見つけて仕方なさそうに息を吐き、今まさに出る所だった門の前でゆったりと脚を止めた。その塊はいくらも待たないうちにヴィグンの前で急停止する。


「何か用か? アーリグ」

「いや、お前今日非番だったろ? だから」


 全力疾走してきたにもかかわらず大して息も乱さぬ大男の名はアーリグ。ここ、レスターニャ自警団第二支部所属第一部隊の部隊長である。瞳孔が縦に割れた瞳、鱗のように線が入る硬い灰褐色の肌、厚い唇から覗く牙はギザギザと鋭い。すぐ亜人種と解る外見のアーリグはその立派な牙を光らせながらニッと笑った。外の人間が見れば獰猛に映るだろう恐ろしいその笑顔も、彼の人柄を熟知しているヴィグンには少々うっとうしい笑顔なだけだ。


「ああ、別に緊急事態という訳ではない。朝飯を食べに市場へ行ったが、今日も概ね平和だった」

「あんだよ、ビックリさせんな。副師団長様が非番に出向いてるってんで、どんな事態かと思ったぜ」


 気安く話し掛けてくるこの男が、ヴィグンは嫌いではなかった。去年副師団長に就任して以来どうも周りがよそよそしいような気がして仕方ないのだが、そんな周囲の中で立場も何も気にせず声をかけてくるアーリグは、ヴィグンにとって数少ない友人のような存在である。

 ヴィグンは亜人種の中でも特に身体能力、攻撃能力共に高いとされる狼種【ロウシュ】だった。見た目はほぼ人間と変わらないが、大きな違いは獣の耳と尾にある。耳は人より高い位置に黒々とした毛の生えた大きなものが、尾骨からは太いやはり黒い毛の尾が生えている。個体差はあるが狼種の特徴として、体躯は総じて同じ分類の狗種【クシュ】よりも逞しい。

 そのヴィグンが自警団として活躍する姿は雄々しくも優美であり市民、特に女性の間で人気が高かった。狼種や狗種、猫種【ビョウシュ】等、獣系特有の、可愛らしさを感じるはずの耳や尾すらヴィグンだと勇ましく立派である。

 アーリグの言葉に苦笑を滲ませるヴィグンは、軽くアーリグの肩を叩きながら「それはすまなかった」と笑った。今日のヴィグンは私服のうえ軽装なので緊急事態からは程遠い出で立ちなのだが、それもわかった上でアーリグの冗談なのだろう。


「お前が入ったのが五年前か? 随分早い出世だよな」

「身に合わない気がするがな」

「またまた、ご謙遜を。現場に出たらドラゴンより怖いよ、お前は」

「言い過ぎだろ」

「いやいや」

「アーリグこそ鰐種【ガクシュ】じゃないか。ドラゴンより怖いのは、むしろお前の方だと思うが?」

「鰐種とドラゴンじゃ格が違うって」

 しばらく軽口を叩き合って、二人は同時に吹き出した。自警団の門番を任されている団員が支部の中でも地位のある二人の話に、若干身を強張らせている。中庭の方からは、団員の演習の音が響いていた。


「で、今日は本当に何で来たんだ? 休みの日くらい女の所にでもいろよ」


 ひとしきり笑ったアーリグは豪快に笑う己と違いクツクツと静かに笑うヴィグンの肩を抱いて、内緒話をするように囁いた。さっきからチラチラと門番が視線を向けるので、一応気を使ったのだろう。


「今日は長期休暇の申請にな」


 あえて後半の言葉を無視したヴィグンはやけに近いアーリグの顔を押し退けて距離を取った。鰐種の容姿に対する差別や偏見という訳ではなく単純にむさ苦しい男であるという点で、アーリグは近くで見たい顔ではない。

 一番突っ込みたい所をはぐらかされたアーリグは頬の硬い皮膚を歪め眉のない眉間を寄せた。それからふとヴィグンの言葉が引っかかったのだろう。空気の匂いを嗅ぐように鼻をひくつかせて、少しばかり高い空を見上げた。


「ああ、もうそんな時期か? 気候があんま変わんねぇから、自分以外の時期はあんま把握してねぇな」

「そんなものだろう。面倒だが、私達は本能に弱い」

「狼種は只でさえ数が少ないからなぁ。お前も大変だろう?」

「どうかな。まぁ、種類によって分散してるおかげで街の警護に支障がないのが救いか。アーリグは雨期だったな」

「おうよ。っても、春先はやっぱ人手が足りなくなるよなぁ」

「仕方あるまい。狗種や猫種の数が一番多いからな」


 亜人種の多い自警団の中でも、大半の数を占めているのが狗種と猫種だ。この種族は亜人種の中でもとりわけ人口が多い。


「理性だけでどうにかなるなら、こうも容易に長期休暇などくれまいよ」

「そこら辺の柔軟さはありがたいね。例え春先に休みがなくなったとしても!」


 大げさに嘆いたアーリグに、ヴィグンは苦笑を漏らした。気候の温暖なレスターニャでも、春はやはり街がいつもより浮かれたように華やかになる。住人達も楽しげで、仕事に追われる身としては羨ましい限りだ。忙しくさえなかったら、普段は真面目に仕事に取り組んでいるヴィグンでさえ住人に混じって麦酒の一つでも飲みたくなるのだから、アーリグは尚更そうなのだろう。

 グッ、と大柄な体躯を伸ばしながら叫んだアーリグは、空に伸ばした腕を下ろしそのまま腰に当て、斜めに構えながらヴィグンの精悍な容貌を見た。縦に裂けている瞳孔が少しだけ細くなる。


「で、いつ頃立つ?」
「一ヶ月後の予定だ。それまでは、ちゃんとこっちにも顔を出す」

「真面目だねぇ、副師団長のヴィグン様は。繁殖期くらい長めに休みゃいいのによ」

「そうもいくか。出られる限りは出るさ。仕事だからな」

「そんなにお仕事が好きなら、伴侶でも見つけたらどうだ?」


 ニヤニヤと笑みを浮かべるアーリグに、ヴィグンは眉間の間をこれでもかと縮めた。結局はその話題に戻るのかと。

 大抵の亜人種には人間と違い繁殖期が存在する。種によって異なるが、狼種であるヴィグンの繁殖期は冬だ。鰐種であるアーリグの場合は雨期に来る。気候の緩やかなレスターニャでは忘れがちだが、時期がくれば嫌でも種の本能が思い出す。


「私に特定の相手が居ないのはお前も知ってるだろ」

「選り取りみどりなのに何で選ばないんだよ」

「相手が私ではなく副師団長を見ているからだ」


 顔を歪めて憎々しげにヴィグンが答えた。既に伴侶を見つけて結構な人数の子供を持っているアーリグは「頭固いよ、ヴィグン」と肩を竦めて返す。

 繁殖期の亜人種というのは本能の塊となる。すなわち生物の行動根源である種の繁栄だ。祖先の面影を色濃く残す亜人種は人間と違い、いつでも子を生せる訳ではない。亜人種の女性は繁殖期が来ないと身体に子供を作る準備が整わないのだ。男もそれに合わせる形となる。

 短い繁殖期で確実に種の保存をはかる為、その時期の亜人種の男は頭がそれ一色に染まる。特に伴侶のいない単独の男は街でもよく騒ぎを起こすため、一人身の亜人種の男は大抵が面倒を避けるために繁殖期が終わるまで街を出るのが暗黙の了解となっていた。


「いいじゃん、その周波送ってくる相手の中から伴侶見つけたら? いちいちマニダまで行くのも面倒だろ。相手さえいれば街から出なくていいし、手間も金もかからん上に大好きなお仕事もずっと出来る」

「余計な世話だアーリグ。あまり馬鹿にすると、私でも怒るぞ」

「まぁ怖い! ……ふざけてるだけじゃなくてな、真面目な話お前もそろそろ伴侶見つける年齢だろ?」

「お前のように良い伴侶がいれば捕まえるさ。そういえば、細君は元気か?」


 あまりにしつこいのでわざとらしくヴィグンは話題を変えたのだが、アーリグはとたんに厳つい顔をとろけさせ見苦しいほど嬉しげに笑った。己の伴侶の話題となると、アーリグはわかっていても反応してしまう。


「おう、ウチのは元気だぜー、去年生まれたガキの面倒みんのであんま俺には構ってくんねぇがな」

「相変わらず、仲の良いことだ」

「あ、あの、アーリグ隊長!」


 苦笑を浮かべかけたヴィグンを遮るように、アーリグが走ってきた方向から声を張り上げた団員がいた。若い人間の青年だ。黄色の腰布を巻いているので、新人なのが見て取れる。

 ヴィグンの姿を見つけアーリグは演習から抜け出して来たのだろう。他の団員に言われたのか呼び戻しに来たものの、ヴィグンの姿に萎縮したように声を出したまま後方からおろおろとこちらをうかがう部下にアーリグは手を上げて答えた。


「今戻る! じゃ、俺は仕事に戻る。羨ましいならお前も早く相手見つけろよ!」


 走り出しながら最後にそう叫んで会話を終わらせると、アーリグは部下を引き連れて中庭の方へ駆けて行った。その後ろ姿を見送ってヴィグンは一度溜め息を吐くと、今度こそ自警団の門を出た。



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