不釣り合いな密度 | ナノ
 
 不釣り合いな密度




 第一印象からして不味かった。見た目からして、彼は私のタイプだったのだ。

 ここで店を構えてから早三年……こんな日が来るとは、露程も思いはしなかった。

 彼の名前は神宮寺 遠野という。初めてその姿を見たのは三年前、スイーツ特集の組まれた女性向けの情報雑誌だった。

 その頃の私と言えば、当時世話になっていた"フェティッシュ"をクビになったばかりで、色々と鬱憤が溜まっていたり自信を喪失していたりした。

 小学生の頃から菓子職人になるのだとまるで女子供のような夢を抱いていて、高校では近所の洋菓子店でバイトをし、卒業と同時に海外へ渡ったのだから我ながら凄い情熱だと思う。

 そうして培ってきた己と技術への矜持は、フェティッシュで仕事をして行くにつれ磨り減ってしまった。駆け抜けて駆け抜けて、気付いたら四十寸前、若く見目の良いパティシエが私の変わりに表舞台に立っていった。

 帰国後ちやほやと持て囃されていただけに中々立ち直れず、フラフラとしていた時に見掛けたのが彼の記事だった。

 今思えば一目惚れに近い。若さへの憧憬と、才能への嫉妬、それを上回る、彼への羨望。

 端整で男臭い容姿、骨格のしっかりした体躯、何よりも。


(生地を扱う、指先がいい)


 骨張った手が白い生地をかき混ぜている静止画。動き出したその手は一体どれ程魅力を増すのだろう。

 気付くと、私は雑誌を手に取りその記事を食い入るように読んでいた。


『若き天才 神宮寺遠野』


 記者が神宮寺に贈る評価は高いようだった。帰国したばかりの頃の自分を思い出す。

 だが、ジクジクと膿みだしそうな感傷に浸る前に、記者のインタビューに答える神宮寺の言葉が目についた。


『どうしても俺には作れないスイーツを作る人が居るんです。目標はその人ですかね』


 その人物について、神宮寺が明確に答えている記事はどんなに探しても無かった。だだ私は、雑誌を持つ手が震えた。

 この言葉が独立で店を開く決心になったのだと思う。もっと言えば、この男にそんな事を言われる人物への嫉妬が。

 私にもスイーツが作れるのだ。いつか神宮寺の目に止まるようなスイーツを作りたい。

 それからはとにかく忙しかった。資金が無くコネも失った私に持てる店は限られてくる。

 私は都心から離れ、地方の安い貸し店舗を借りて一から出直した。大通りから外れた路地にあるそこは流行るような場所ではないし面積も狭い。

 構うものか。私はとにかく腕を磨くべく毎日毎日試行錯誤を繰り返してスイーツを作っていった。それこそ、それなりに気を遣っていた外見も気にしないで。

 オープン初日はまったく売れなかった。赤字の月が何回も続いて何度挫けそうになった事か。

 それでも諦めなかったのは、彼が居たからだった。

 気付けば店を構え三年、店が軌道に乗り始め儲からないまでも赤字は無くなった年、それは突然来た。

 奥の厨房でタルトの仕上げに入っていた私は、来客を告げるドアベルに接客スペースへと足を運んだ。人件費が捻出出来そうにないので、全て己でしなければならない。

 一応とボサボサに放置していた髪を手櫛で軽く整えながら、顔を上げる。


「……」


 同時に、私は叫んでいた。とてもじゃないが彼には見せられないと。


「ちょ、ちょ、入っちゃらめぇぇえっ」


 彼が店に入って、叫んでしまった直後私は口を押さえた。恥ずかし過ぎる。慌てて舌が可笑しな具合に縺れた。

 頭が酷く混乱していた。何故、何故、何故。

 彼がここにいるのか。

 これは夢だろうか。

 神宮寺 遠野が、私の目の前にいる。

 顔に血がウワッと上がるのが解った。最悪だ。こんな四十過ぎの、自分で言うのも虚しいが小汚ないおっさんが真っ赤になっても気持ち悪いだけだ。

 何故私は今日髭を剃って来なかったのか。髪をセットしていなかったのか。コックコートを新調していなかったのか。

 そんな事する訳がない。三年間まともに身繕いすらしていないのだ。


 ――消えてしまいたい。


 なんとか冷静を取り戻そうと、口を開いた彼に待ったをかけるが……それからは頭が真っ白で、何をしたのかほぼ覚えていない。

 気付けば、彼が弟子になっていて。

 私はやはり、消えてしまいたいと思ったのだ。


END

 
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