短編 ブルース★プリング | ナノ
 
 ブルース☆プリング




 緊張した面持ちで大学からの友人は佇んでいた。まだ梅雨入りはしていない六月の初旬。荘厳だか騒々しいんだか判断がつかない音で鐘が三回鳴った。

 私は小さな教会の端っこに、これまた大学からの友人である男と一緒に座っていた。


「例えばさ、あいつが逸香みたいに女の子だったら強引に犯して孕ませて、俺だけのもんにだって出来たのに」


 まだ少し騒々しい教会で、彼の周りだけ空間を切り離したみたいな静寂があった。

 彼はそれを壊す事もなく、合わせた両手で口元を隠しながら小さく呟く。

 私はその意味をこの場にいる誰よりも正確に理解出来るからこそ、片眉を上げてわざとらしい表情をまとい彼の作る静寂な空間に潜り込んだ。


「健ちゃんそれサイテーの考え方だよ」

「なんでよ」

「愛のない関係なんてムナシーだけだもん」


 私は彼に向かってありきたりな言葉を吐く。

 彼はほんの少しだけ私を誤解している。

 私の口調はわざとそうしているだけで、私はそんなに優しくはない。


「愛ねぇ」


 彼は気のない、吐息のような短い音を紡いだ。

 切り離したような彼の持つ空間に、私は石を投げ込む。


「好きでもない男の子供なんて最悪。例えば彼が女の子だとして、そんな事されたら死ぬか殺すか逃げるかするよ」

「そりゃ困るな。死なれても逃げられても俺は泣く」

「でしょー」


 泣きそうな顔。

 そんな事出来る訳がない。そんなのは誰より彼が理解している。

 痛ましいような、憐憫を募る言葉に私ははっきりと否定を突き付けた。

 彼は、今日この日、ただ一人を除き誰からも祝福されながら他人のものになる男に、長いこと恋をしていた。

 多分、それを私だけが知っている。


「あぁでも……殺されんのはいいかもしれない」

「えー? 健ちゃんブッソー」

「もういっそそんな気持ちよ。どうせ叶わないんだから、俺の凶暴なこの気持ちと一緒に」


 ──殺して、くれたら


 音にならなかったその言葉の最後を、私は正確に理解した。

 何もかも白い教会の中の端っこの、青く寂しい空間。

 彼の持つ濃密な空気は肩にのしかかるようで、私は指先をいじりながらどうしようもなく隣に座っている男を苛めてやりたくなった。


「……なんかさ」


 気合いを入れて塗ったルージュが渇いているような気がした。

 舌先で湿らせるとほんの少し苦い。


「健ちゃんって中学生みたいね」

「なにそれ」


 荘厳なんだか騒々しいんだか分からない音で、また鐘が鳴る。バックに控えていた音楽隊がささやかに賛歌を歌い出した。

 私達は周囲に合わせて立ち上がると、父親に手を引かれ静かに入ってくる新婦に目を奪われたように立ち竦む。

 一瞬隣の男を仰いだ。

 迷子のような顔をして、ヴァージンロードを進んでいく純白の女性を見つめていた。


「純粋過ぎて見てて痛い。恥ずかしい。猥褻物陳列罪で訴えたい」

「お前ね」


 静寂のヴァージンロード。白いドレスの清廉な女性は、父に手を引かれて悲痛な面持ちで進んでいく。

 嘘吐き。

 私は叫びそうになった。

 静寂の教会。隣にいる背ばかり高い痩躯の男は、無理やり祝福の表情を浮かべている。

 嘘吐き。

 私は叫んでしまいたかった。


「キラキラのピュアピュアなのね。ブルースプリングね」

「ぶはっ、青春ってか」


 彼は小さく笑った。あぁ、なんて顔をするのだろう。

 汗ばんできた手のひらを強く握り込んだ。収納力のまったくないお飾りの小さなバッグが軋む。


「いい歳こいて、いつまで引きずるの? そんな綺麗なもの、その歳まで持ってるから動けなくなっちゃうのよ」

「綺麗ねぇ?」


 私の言葉に、彼は首をささやかに傾ける。


「そんなお綺麗なもんじゃねぇのよ」


 自嘲する声が、私の耳だけにどうしようもなく痛い。

 私は段々と早くなっていく鼓動を持て余し気味に浅く呼吸を繰り返した。

 純白の女性は、純白のタキシードに身を包んだ彼の隣に収まる。

 難しい顔をした花嫁の父親は一番前の席で静かにその表情を隠した。


「怖くて怖くてしょうがねぇ。多分俺は、あいつが女でも強引に犯して孕ませてなんて事は出来なかったんだろうな」

「健ちゃんはチキンだもんね」


 神父が口を開く。

 祝福の空間。

 どうして、全てが身を切り裂く程に鋭いのだろうか。

 隣に大人しく収まる男を、私は苛めて苛めて苛め抜いてやりたい。


「そう。鶏肉なの。口では色々言っても結局動かないまんま、大人になった経験と中坊ん時の妄想力で頭の中だけであいつをぐちゃぐちゃにしてる。中身なんかドロドロだ」


 そうしてもう許してくれと懇願したこの男を神父の前に突き出してやりたい。


「もう最悪だよ。ぐちゃぐちゃにしてよがらせて、俺なしじゃだめな身体にしてって……そんな妄想ばっかりよ、俺。そんで本物じゃ満たされない心を満たすんだ」


 それは懺悔だ。

 大学入学から今日までの凡そ八年間、彼が抱えてきた、私だけがその欠片を見つけられた彼の秘密だ。

 もどかしかった。

 やるせなかった。

 私達は、私は、今ここで何をしているのだろう。


「罪悪感で一杯になりながら?」


 脳味噌が沸騰している。私は感情に任せたまま言葉の刃を彼に向け続ける。


「……お前は怖い女だな」

「誰でも通る道でしょ。健ちゃんが勝手にそこで止まってるだけじゃない」


 静寂の教会で、神父が分厚い本の一節を読み上げるように、重厚な声を出している。

 もう何度か聞いた台詞だ。

 あと少ししたら、神父の前の二人は誓いを立ててしまうのに。


「やっぱり健ちゃんは、キラキラのピュアピュアマンね」

「なんだよ」

「中身がドロドロなんて嘘よ。彼が好きすぎて、彼に欲情する自分を許せないんだわ。でも自分のものにしたいから、板挟みになってるの」


 どうしてアナタは、ただ黙ってそこに居るの。


「怖い女だ。こんな日に俺を暴いてどうするつもりだ」


 駄目、早く。

 焦りが私を支配する。

 鼓動が速い。手に汗が滲む。

 この日を逃しては駄目だ。これは彼にとって最後のチャンスなのだ。


「大人の階段登っておいでって、ピュアマン健ちゃんを誘惑してるの。アタシが持ってるのは赤い毒リンゴね」


 私にとっても、多分最後のチャンスなのだ。


「殺されにこいってか」

「そうよ」

「怖い上に酷い女だ」

「バカは死なないと治らないでしょ」

「悪魔め……」


 小さく、彼は呟いた。


「大人の階段登って、ピュアマンからシンデレラマンに変身しなよ健ちゃん」


 走って!

 私は強く願う。


「ふはっ、どんだけ乙女だ俺は!」


 軽快に笑った後、彼は誓いを立てた二人を後は静かに眺めていた。

 その誰より清廉な横顔を、多分、私だけが、真っ正面から眺めていた。


end

 
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