僕のアオイロ 君のアオイロ
僕のアオイロ 君のアオイロ
空の色が何故蒼いのか、真面目に考える奴が世の中には何人居るのだろう。ちょっと科学とか気象やらに詳しい奴に聞けば答えてくれるだろうし、そもそも今の時代は携帯片手に何でも簡単に調べられる。
俺が気になるのは、空が何故蒼いのか疑問に思い、それをわざわざ調べる奴がどのくらい居るのか──だ。
大概の人間は見たままに空は蒼いものだと認識して疑問も感じないのだろう。
そもそも、己が見ているあの蒼は、本当に蒼なのだろうか。
例えば、目の前に青森産の林檎があるとする。別に青森産でなくてもいいが、とにかく林檎があるとする。
その林檎を前に適当な人間を置いて、俺とそいつと、二人で色を言うのだ。
その林檎は俺の目から見れば赤い。だから俺は赤と答える。相手も赤と答える。
それは一見共通の認識のように見えるが、例えばそいつが俺から見て赤だと思う色が本当は黄色に見えていて、でもそいつはその色を赤だと認識していたならば、二人の間の共通認識は消えて、しかもそれに気付く事は難しいだろう。
以上をふまえ、俺が見上げた空の色は俺の認識だと蒼いが、他人から見ても本当に同じ蒼なのかを考えると、それを証明する事は難しいんじゃないだろうか。
「……何考えてるの?」
「林檎は赤いか考えてるの」
「ふーん」
屋上の床を背に見上げた空はまぁ高い。ぷかぷか浮かぶ雲の移り変わりを眺め、控えめにかけられた声に答えた。
隣に腰を下ろした同じクラスの眼鏡野郎は俺の返答にありきたりな相槌を打ち下ろし、一瞬間抜けな空白が流れる。
「……それって楽しいのか」
「お前の楽しいと俺の楽しいが一緒ならば、まぁ楽しい」
「ナニソレ」
「認識の問題」
「……テスト範囲にそんなのあったかな?」
噛み合わない会話は、嫌でも相手と己が全くの他人である事の証明のようだ。どんなに会話をしてどんなに時間を共に過ごしどんなに感情を分かち合う事をしても、埋まらない認識の差。
移りゆく雲のように、たゆたう意識の流れ。
「林檎は赤いよ」
「本当に赤いか」
「……赤いよね?」
「俺が聞きたいんだよ」
脆弱な意識は少しの揺さぶりで動揺する。林檎は赤、空は蒼、同じ世界を見てるようで、まるで違う世界を見ているかもしれない脳味噌。
埋まらない、俺と他人の距離。
「林檎は一般的に赤いでしょうよ」
「しかしその赤は、大多数と同じ赤なのか」
「えー? なんか小難しい事考えんね。なに、林檎が青くでも見えたの?」
「俺の認識では赤い」
「俺も林檎は大概赤く見えるけどなー」
「けどそれは、本当に赤いのか」
「……赤じゃないの?」
赤色、青色の定義はきっと誰にでも出来る。林檎は赤、空は蒼。人間は日々の暮らしの中で学習をする生き物だ。みんなが青と言うから空の色は蒼。だから林檎も赤。でもそれが本当に相手の見てる色と同じかどうかなんて、わからないのだ。
君が見ているあの空の蒼が、俺の視界を埋める青と同じかなんて。
「わからないのだ」
「ナニガ?」
「空が本当に蒼いのか」
「……楽しいの、それ」
「少なくとも俺には有意義だな」
君との間隔を埋める作業なのだ。この噛み合わない会話さえ、俺には学習の時間になる。
「俺の見ている赤が青で、青が赤かもしれなくても、俺は林檎を赤と言い、空の色を蒼と言う。君が見ている赤は赤で青が青で、それを赤と青と言ったら、俺と君の世界の差を埋める手段が……ない」
「今日は珍しくよく喋るね。なに、心境の変化?」
「相互理解の方法って何かな」
俺は、その差を埋めたいと思うのだ。君と俺は何処までも他人で、脳味噌は別で、肌は溶け合わないけど。
備わった認識と学習能力を駆使すれば、見ている世界を近付ける事くらいは、出来るかもしれない。
「あ、わかった」
「何?」
「寂しいんだろ、お前」
時々、驚く事があるのだ。彼はいとも簡単に俺との埋まらない境界線を見つけ出す。溶け合わない脳味噌と肌を、それでも溶け合わないからと。
「俺が青く見えるもんがお前に赤く見えたとしてもさ、それが互いに青だって言ったらそれは青なんだよ」
「けど」
「見てる世界はちょっと違うかもしれないけど」
「それは、やはり相互理解にはならないんじゃないか」
「そう? 同じだよ。どうしても寂しいならさ」
不意に掌に触れた熱は、溶け合えない俺と君の肌。
「こうして触ってればなんとなく暖かいじゃん」
不意に、なんだか余計に寂しいような気分になった。鼓動が跳ねて鎮まる。
埋まらない俺と君の境界線、一致しない認識の差、青色かもしれない林檎の赤。
溶け合わないけど、暖かい君の肌は、確かに俺の何処かを浸蝕しているのだ。
「空は蒼いか?」
「青いよ」
答える君と俺の見てる世界は違うかもしれない。
俺は切実に、君とのその境界線を埋めたいと思うのだ。
end