無意識だった。そいつを見た途端胸の奥がざわつくような感覚があって、気がつけば駅のホームを俺とは反対方向に向かって歩いていたそいつの手首を掴んでいた。


「……あんた、どっかで会ったことありやすか?」


初対面のはずのそいつに妙な懐かしさを感じてしまい口が勝手に動く。
会ったことなんてないはずだ。だって俺はこんな女に見覚えなんてない。けど、それならこの胸のざわめきはなんなんだ。わからない。わからないけど掴んだこの手から伝わる温もりに柄にもなく泣きたくなる。この手を離したくない、と思ってしまうなんて俺は知らないうちに頭でも打ったんだろうか。


俺に歩みを妨げられたそいつはゆっくりと俺の方を振り返り俺を見た途端目をこれでもかというほどに見開いた。


「…、」


そいつの口が小さく何かを呟く。だけど、声は出ていなくて口が動いただけ。…なのに、何故だか自分のことを呼ばれた気がした。


「……ナンパ、ですか?」


我に返ったように微笑んでこちらを見つめるその目にどくんと心臓が音を立てた。

…確かにさっきの言葉ではまるでナンパだ。こっちからしたらそんな気はなくても相手からしたらナンパに見られても全く不思議ではない。…だけど、それならそれで少しは警戒してもいいはずだ。なのにこの女からはそんなもの全く感じない。無防備、とは少し違う。俺のことを何もかも見透かされてる感覚。そんな感覚に居心地が悪くなって掴んでいた手を離した。


「…すいやせん、俺の勘違いだったみてェでさァ」
「そうですか」


女の手を掴んでいた手がなんだか物足りなく感じてぎゅっと握りしめる。
俺の言葉にあっさりと納得した女は笑っている。


「あぁ、そういえば質問に答えてませんでしたね。…会ったこと、ありますよ」


一瞬何を言ってるのかわからなかった。頭の中で何度もその言葉がリピートされる。
会ったことがある会ったことがある会ったことがある会ったことが、ある。俺と、こいつが、どこかで会ったことが、ある…?

…何かとても大切な物がすぐ近くまで来てる気がするのに、掴めない。


「貴方は覚えていないみたいですけど。……けど、それでいいんです。そっちの方が」


言ってる意味がさっぱり理解出来ない。…だけど、少し寂しそうにそして悲しそうにしながらも笑うそいつに、誰かの笑顔がダブって、すぐに消える。
一体誰なんだ。一瞬だけ頭を過ぎった顔にも全く覚えなんてないし会ったことがあると主張するこいつのこともわからない。まるで一部分だけ記憶喪失にでもなったみたいだ。だけど知っている。そう心が悲鳴をあげるように叫ぶ。俺は、この女を、頭を掠めた女を、…知っているはずなんだ。













「…何の、冗談ですかィ」
「冗談なんかじゃねーよ。…こんな笑えねェ冗談、誰が言うか」


恋人がスパイだった、という情報を土方さんから聞いたのは辺りが夕日により赤く染まり出した時間帯。

何ヶ月か前に真選組の隊士へとなりつい最近恋仲という関係になった彼女がいなくなったのに気付いたのは今朝。中々起きてこない彼女に痺れを切らした土方さんが山崎に起こさせに行ったのだが戻ってきた山崎は慌てたように部屋がもぬけの殻だと告げ、そしてその言葉の通り急いで見に行った彼女の部屋はまるで彼女の存在自体が嘘だったかのように彼女の私物すら全てなくなっていた。

彼女の物が一つもないということは本人の意思による失踪という可能性が極めて高い。そして調べた結果わかったのは彼女が高杉の部下でスパイを目的に真選組に潜入していたという事実。
その事を今し方聞いたものの全く現実味がない。だって、昨日まで彼女は俺の隣にいて笑っていたんだ。…あぁ、だけど確かその笑顔は、


「…さっき山崎から潜伏してそうな場所を見つけたっていう連絡が入った。今から出動するが、総悟、お前は屯所で待機だ」


そう言ってさっさとこちらに背中を向ける土方さんに激しい憤りを感じて肩を掴んで引き止める。
…もし彼女がそこにいたとき俺が刀を振るうのを躊躇するかもしれなくて待機を命じたのはわかる。わかるが、その考えがいけ好かない。


「俺も行きまさァ」
「…待機だって言ったのが聞こえなかったのか」
「土方さんが何と言おうが俺は行きやすぜ」


顔だけこちらを振り向きいつも通り瞳孔が開いている目でこちらを睨み付けるかのように見てくるのでこちらも負けじと睨み返す。少しの間睨み合いは続いたがやがて土方さんが諦めたように舌打ちを一つ零した。


「…くれぐれも私情を挟むんじゃねェぞ」


そう言って去って行くのを見ながら決意を固めるように拳をにぎりしめる。

…私情を挟むな、なんてそんなこと土方さんなんかに言われなくてもわかってる。
躊躇なんてしてたら正に命取り。そんなへまをする訳にはいかない。
それに、俺が何もしなくとも他の隊士が彼女を斬ってしまうかもしれない。それなら、いっそのこと…。

彼女のどこか悲しそうだった笑顔が頭にこびりついて、離れない。







「真選組の連中が来やがったな」
「…晋助様がもたもたしていられるからですよ」


細い路地裏に隠れ今しがた出て来たばかりの宿屋をこっそりと盗み見ながら後ろで悠長に構えている晋助様にため息をつく。宿屋には仲間達がまだいて、出て来たのはあたしと晋助様だけ。仲間達が足止めをしている間に晋助様をあたしが安全なところに連れて行く算段だ。先刻窓から外を覗いた際に山崎さんらしい人物が宿屋を見ているのを見つけたため本当は真選組が襲撃してくるのは前もって予測出来ていた。だからその前に逃げるつもりだったのに何故か晋助様が中々動こうとなさらなかったからやむなく作戦を変更するしかなかったのだ。

真選組がこちらに気付いていないのを確認して晋助様と一緒に宿屋から遠ざかるように入り組んでいる路地裏を歩いて行く。また子達が待っているであろう船を目指して。だけどその歩みは目の前に現れた人物によって止まった。後ろにいる晋助様は楽しそうに喉で笑っている。…本当に悠長なお方だ。


「こんなところで会うなんて奇遇ですね、沖田隊長」
「…さっき路地裏に人がいる気配がしたから先回りしたんでィ」


夕日も沈み辺りは暗くなってきている。だから、気付かれることはないだろうと高を括っていたのに、まさか気付かれていただなんて…。

舌打ちしたい思いを抑え焦燥感が顔に出ないように努める。そして、いつでも抜刀出来るようにしながら辺りにも気を配る。

…出来ることなら、会いたくなかった。会うことで決意が鈍ってしまうなんてことはない。ただ、隊長に直接裏切り者と罵られるのが怖くて悲しい。…だから、会いたくなかった。


「安心しな。ここには俺しかいねーよ」
「…一人で来るだなんてよっぽどあたし達を逃がさない自信がおありなんですね」


あたしが辺りにも警戒しているのに気付いたのだろう、隊長の言う通り辺りから人の気配は全くしない。だけど気配を消すのが得意な人が隠れてる可能性だってあるのだからまだ気を抜いてはいけない。場所的にも時間的にも暗いこの状況で油断するのは致命傷になりかねない。それに、敵の言う事を丸呑みにするだなんて馬鹿がすることだ。…そう、あたしと隊長はもう敵なのだ。

悲しくなんてない、胸なんて痛まない。
だってこれは、最初から知っていたことなのだから。


「せっかくの逢瀬だ。そんな緊迫しねェでもっと楽しめや」


突然ククッ、と笑いながらそう言った晋助様の言葉に心臓をわしづかみにされたようにドキッとする。そしてふと、一つの推測が頭を過ぎった。

もしかして、


「邪魔者はさっさと退散させてもらうぜ」
「逃が…っ!」


晋助様が一歩踏み出したのを合図に隊長が刀を抜く。だけど真っすぐ晋助様を狙っていた刀はあたしの刀によって遮られそのまま静止。女が男に力勝負で勝てるわけがない。一瞬でも油断を見せたら押し負けてしまうだろう。それでも、晋助様を逃がすための時間稼ぎなのだから意地でも負けるわけにはいかない。そんな気合いであたしはどうにか隊長の刀を押し止める。
あたしが邪魔するせいで晋助様に斬り掛かれないことに隊長が苛立っているのが刀を通じてわかる。その隙に晋助様は何食わぬ顔でこの場を去った。あたしの側を通るときにここは任せた、と楽しそうに一言言い置いて。


「…退きなせェ」
「……」


晋助様の一言によってさっきのあたしの推測は確信へと変わっていた。

一際高い音を立てて交わっていた刀をお互いに離し、距離をとる。そしてこちらを睨んでいる隊長を真っすぐと見つめた。

晋助様はきっと、


「…隊長が局長を慕っているようにあたしも晋助様を慕っているんです」


あたしが隊長のことを本気で好きだということに気付いている。


「だから、退くわけにはいきません。……これで終わりにしましょう」


知っていて尚この舞台を意図的に用意したのだ。あたしに全てを清算させるために。

逆に言うと清算出来ないようならあたしはいらないということ。……好きな人を殺せだなんて晋助様もひどいことをおっしゃるものだ。だけど敵を好きになるなんて言語道断。チャンスを貰えただけでも運が良かったのだろう。それに、そのくらい出来なければ晋助様に着いて行く資格はないのでしょうね。


「…恋人だったからって手加減はしねェからな」


お互いに刀を構え睨み合う。そして一瞬の間を置いた後最初に動いたのはあたしだった。何回か連続で急所を狙って刀を繰り出すも躱されたり刀で受け止められたりして全く手応えがない。そして一瞬の隙をついて隊長から反撃とばかりに刀が突き出されたのを確認して思わず自嘲の笑みが零れた。







「…なんで、」


避けられると思った。実際に彼女の実力なら今の一撃は避けれたはずだ。だから次の攻撃を仕掛けるために刀を動かそうとしたのに刀からは人を斬った感触。彼女は避けなかったのだ。…いや、むしろ自分から刺さりにきたと言っても過言ではない。


「…終わりにしましょう、って言った、じゃないですか」


呆然としたまま動けない俺から離れるように体を貫通している刀を体から抜き、支えを失ったせいでひざまずき、荒い呼吸を繰り返しながらしゃべる声はとてもか細くて聞き取りにくい。


「最後、までどっちかを選び、きれなかったあたしの、自業自得なんです」


バタリ、ひざまずく力すらなくなったのか力が抜ける様に彼女が倒れた。刀は胸のど真ん中を貫通したみたいで溢れ出る血は止まる気配はなく、一目でもう助からないことがわかる。


「…わかるように言いなせェ」
「…わからなくて、いい、です」


ゴホッゴホッと血を吐く彼女は今にも目を閉じそうだ。それなのに彼女は立ったまま全く動かない俺を見て最後に掠れた声を発した。


「ごめ、なさい」


そう言って閉じてしまった瞳はもう開かない。…ったく、何に対しての謝罪かわかるように言えってんだ。

全く未練がなさそうなくらい穏やかな死に顔で死んでやがるがこっちは後味が悪いことこの上ない。

…他の奴が殺すくらいなら俺が殺したいと思って俺一人で追ってきたものの彼女の死を受け入れられない俺は覚悟が出来ていなかったのだろうか。
だけど、涙なんか出やしないし不思議と悲しいとも思わない。ただ、どうしようもない喪失感だけが心を支配していて、あまりにもあっさりとした結末に今までのお前との思い出が泡沫の夢だったんじゃないか、なんて疑ってしまう。













聞き慣れた駅名を繰り返しアナウンスする声によって閉じていた目を開く。

…また、昔の事を思い出していた。普通の人なら忘れているはずの前世の記憶。どういう訳かあたしにはその記憶があり、今でもふとした瞬間に思い出してしまう。
…もしかしてあたしは、後悔しているのだろうか。隊長を裏切ったくせに隊長を斬ることは出来なくて隊長に斬り殺されたことは、あたしが望んだ結果だ。例えそれが晋助様に対しての裏切り行為だとしても、終わらせたかった。晋助様も隊長も裏切りたくなかかったのに結果的にあたしは二人を裏切って逃げたのだ。どちらか一方を選ぶことから。

だけど後悔なんてしてない。だってもし過去に戻れたとしてもあたしはまた同じことを繰り返すことしか出来ないに決まってるから。それに、何に対して後悔すればいいのか、それがまずあたしにはわからないのだ。晋助様に忠誠を誓ったこと?…違う。晋助様はあたしの全てで晋助様に着いて行けたのはあたしの誇りだ。なら、隊長を好きになったこと?…これも違う。確かに隊長を好きにさえならなければ全てが上手くいっていたのかもしれない。けど、隊長を好きになったことを後悔なんてしていない。したくない。

深く考え込んでいる間にいつの間にか電車があたしが降りる駅へと到着していたことに気付き、思考を一時中断して慌てて電車から降りてもう何度も通っているホームを歩く。あの時の面影なんて全くない、これが今の日常。

だけど突然、歩みを妨げるかのように手首を掴まれる。


「……あんた、どっかで会ったことありやすか?」


この声にこの口調。どくん、と胸が高鳴り僅かな期待と違うに決まっているという自嘲を胸に振り返るとそこには会いたいと願い続け、だけどきっとあたしのことなんて覚えていないし第一あたしに会いたくなんてないだろうと諦めていた人物。


「…、」


隊長。声には出さず口だけで呟くと何故だか隊長が返事をしてくれたような気がした。










今、わかった。あたしが後悔していたのはただ一つ。それはきっと隊長を裏切ったこと。
晋助様を裏切るなんてあたしには出来なくて真選組を、隊長を裏切ったのに知らないうちにあたしはそれを後悔していたのだ。だからって晋助様を裏切って真選組に寝返れば良かったと思ってるわけではない。それが出来ないとはわかっていてもやっぱり隊長を裏切ったことに対しては後悔しているのだ。なんて矛盾しているのだろう。

……ねぇ、隊長。貴方があたしのことを覚えていなくてもあたしはこの再会を運命だと思いたいのです。それどころか、貴方があたしのことを覚えていないのはあたしにチャンスをくれたんじゃないか、だなんて考えるのは少し都合が良すぎますか?
だけど、あたしに声を掛けたのは隊長なんですから責任、取って下さいよ。


今世こそは死ぬまで貴方の隣にいたい。願うなら、謝罪ではなく愛の言葉を呟き逝けるように。

April 3, 2011

アニメ銀魂復活おめでとう!

主催企画 祝宴 提出作品
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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