静かに開いた扉の音に、びくりと肩が震えた。咄嗟に頬を流れる雫を指で拭って開かれた扉の方を見るとそこに立っていた人物とばっちりと目が合う。だけどそれはすぐに逸らされて宙をさ迷いだす視線。その視線は最終的には床に向けられてその直後ごめん、という小さな声が聞こえた。


「孤爪くん、なにか忘れ物?」


今にも扉を閉めて回れ右してしまいそうだったクラスメイトに慌てて声をかけて引き止める。最終下校時刻が迫っているこの時間に教室に来たということはきっと、忘れ物を取りに来たのだろう。あたしの問いに孤爪くんは俯いたままこくりと頷いた。床を見ている視線は宙をさ迷っていたときと変わらず左右に落ち着きなく動いている。


「教室、入らないの?」


あたしの言葉に一瞬躊躇った後ようやく孤爪くんは教室に入ってきた。孤爪くんの様子からしてきっと泣いていたことには気付かれているのだろう。こんなところで泣いていたせいで気を遣わせてしまって、申し訳ない。


「あたしもそろそろ帰ろっかな」


あたしの左斜め後ろ。そこにある孤爪くんの席へと彼が近付いてくるのを視界に捉えながら椅子から立ち上がる。本当は帰ることがとても億劫だ。帰ってご飯を食べて寝て、そしてまた変わらない明日がくる。あたしがどれだけ悲しんでたって、そんなの関係なく時間は進む。そんな風に時間が経っていってそのうちこの悲しさなんて忘れてしまうのだろう。それでいつの日かそんなこともあったな、と笑って懐かしむ日がくるのかもしれない。だけど今の私にはどうしてもそんな日がくることが想像できない。このままずっと、何年もこの悲しみを引きずっているような気がして、……いや、むしろあたしは忘れてしまうことの方が怖いのかもしれない。だって、あんなにも必死になっていたのにそんな簡単に忘れてしまったら、傷ついても我慢して必死に彼に縋り付いていたこの今までの時間は一体なんのためのものだったのだろう。簡単に忘れてしまったら、その固執していた時間は全て無駄なものになってしまう。そんなの、馬鹿みたいだ。


「…あっ……」


孤爪くんの戸惑った声に我に返る。頬を伝う涙に、また孤爪くんに対して罪悪感が募った。こんな風に目の前で泣いてしまったら孤爪くんを困らせることなんてわかりきっているのに、それでももう涙を止めることはできなかった。


「ご、ごめん。目にゴミ入っちゃったみたい」


目の前まで来ていた孤爪くんに背を向ける。ゴミが入っただなんて下手な嘘、きっとバレてる。だけど孤爪くんは何かを聞いてくることもなくそう、と簡潔な一言が返ってきた。


「…これ、使って」


しばらく無言の状態が続いた後、意外にも孤爪くんが話しかけてきた。俯き気味に孤爪くんの方を伺うとタオルがこちらに差し出されている。びっくりしたけど孤爪くんの優しさを無下にできるわけもなくありがとう、とお礼を言って受け取った。そして自分の席に行って座る孤爪くん。…帰らないのかな。普段なら気にしないけど、泣いているこの状態だと非常に気まずいんだけどな…。


「…おれ、しばらくゲームしてるから」
「え?」
「多分熱中してなに言っても聞こえないと思う。だから、おれのことは気にしないで」


その宣言通りすぐにスマホからピコピコとゲームの音が聞こえてきた。…これはもしかして、自分の事は気にせずに思いきり泣け、という孤爪くんの気遣いだろうか。でも、確かに一人で泣くより誰かがいてくれた方がなんだか心強くていいのかもしれない。何も言わず、ただそこにいるだけの孤爪くんの優しさに胸があったかくなって、あたしはタオルを顔に押し付けてただただ泣きわめいた。








「……、…きて」


名前を呼ばれた気がしてぼんやりと目を開ける。そしたら今度は起きて、という声がはっきりと聞こえた。


「孤爪くん……?」


目が覚めてすぐに視界に入った人物の名前を呼べば、何故か顔を少し顰められた。


「どうしたの、寝惚けてる?」


その問いの意味がわからなくて何が、と聞こうとしたところで意識がはっきりと覚醒した。


「…夢見てた」
「どんな?」


そういえば今日は一緒に帰る約束をしていたから教室で待っていたのに、いつのまに寝てしまったのだろう。孤爪くん、だなんて呼んでたのはもう一年以上前の話だということに気付いてなんだかおかしくなる。


「研磨があたしを最低最悪男から救ってくれる夢」
「…なにそれ。ナンパでもされてたの?」


不思議そうに首を傾げる研磨に思わず笑ってしまう。そんなあたしに拗ねたように唇を尖らせてはやく帰ろう、と急かす研磨はもうあたしの前で視線をさ迷わせることなんてなくて、今ではちゃんと目を合わして話してくれる。

バレバレな浮気ばっかりする最低な彼氏に、それでも浮気には気付かないふりをして必死に捨てられないようにしていたのに最終的には捨てられて、でもそれでも忘れたくなかったあの頃が今では懐かしいと思えるようになった。だけど、あの頃が無駄だったとはもう思えない。だって、あの時捨てられて悲しくて泣いていたからこそ、研磨と仲良くなれてこうして手を繋いで帰れるようになったんだよ。


「研磨、明日アップルパイ作ってくるから食べてね」
「…なんだか今日機嫌いいね」






悲しみに閉じこもっていたあたしを救ってくれたのは、貴方でした



July 22, 2014


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